初出:日経BP社、日経アーキテクチュア

8.復活したクリ普請

「足場パイプ構造」の誘惑を振り切った教授。塔状部分を45度振るアイデアが決め手となり,設計は固まった。
いざ実践へ!







・・ロフトをクリに決めた時のスケッチ(1999年12月10日)・・






・・ロフトの断面図
(書き込みは2000年5月5日の打ち合わせ時のもの)・・






・・伐りたてのクリの丸太がトラックで届いた・・

 いよいよ工事が始まる。といっても,普通の建築工事のように,縄張りからスタートするわけではない。私の工事の場合,縄張りに先立って,自然素材の手当てをしておかなければならない。施工業者を通して電話1本でマーケットから入手できる材ならいざ知らず,私好みの木,石,土といった自然素材には不確定要素が多く,基本設計が終わったあたりですみやかに準備にかからないと,間に合わないのである。

 まず,木から述べたい。
 木を思う存分使うにはどうすればいいか。先立つのは,金か情報か人か。建築家たる者,心しておいていただきたいが,地獄じゃあるまいし,金では絶対にない。これまで私が使ってきたクリもナラもアカマツも安かった。スギやベイマツの大木も,決して高くはなかった。物によっては言うのをはばかられるほど安かった。
 “木材の沙汰は製材所しだい”
なのである。木材を取り扱う業種は製材所と材木屋の二つあるのだが,いささかでも志を持って建築を作ろうとするなら,足を運ぶ先は,材木屋ではなくて製材所。製材所は,丸太を挽くだけじゃなくて,挽かれた材木の販売もしているが,一方,材木屋は販売だけだからどうしても商社化しやすい。商社などわれわれ流通のシロウトの歯の立つ相手じゃない。
 で,電話帳で探すなり車で通りがかりに見かけたのを思い出すなりして,製材所に足を運んでみよう。たいていの場合,きっとあなたは落胆する。なぜなら,現在の日本の製材所は,大量均質生産路線にどっぷり漬かっており,あなたの入手したいていどの量も,ちょっと吟味したい質も,もはや扱えないような体質になっているからだ。
 資本主義の大量商品生産路線をナメてはいけない。相手はあなたや私より絶対的に強力です。絶対的に強力な相手に正面から当たるような無謀な真似は,若い頃だけにしたいものだ。ウッチャリしか道はない。それも勝とうなんて滅相もない。ウッチャリで同体,そして物言いに持ち込めたらオンの字なのである。20世紀末の象のグループや石山修武の満身創痍の意味を深く考えなければならない。そして,21世紀には,満身創痍の傷の中から新しい皮膚を生み出さねば。そうしないと,建築は物からも人からも離れてしまう。

 どうするか。町はずれに車をとばすなり,田舎の知人に聞くなりして,一人親方の,家族労働の小さな製材所を探そう。そう,あなたの設計事務所に見合った規模のところを探すのである。近い必要は全くない。私の製材所は信州だが,そこから九州へも大島へも運んでもらっている。急ぎの時は,床柱ていどなら宅配便も可。
 ここに,志を持った建築家にふさわしい志ある製材所を探す秘訣を伝授しようと思う。小規模なだけではいけない。簡単な秘訣だから通りすがりにでも判別は可能だ。それは,
 “まっすぐじゃない丸太がころがっているかどうか”
 現代の製材所の丸太置場では,志の有無にかかわらず,ベイマツ,ヒノキ,スギの3種が大きな顔をしている。この3種しかないところが実は大半。まっすぐな針葉樹しか大量均質生産に向いていないのだから仕方がない。たとえ志あっても,この3種を挽かずには成り立たない。ベイマツ,ヒノキ,スギにうらみがあるわけじゃないし,私もたくさん使っているが,それだけではあまりに淋しい。日本の山を眺めればもっといろんな木が生えている。曲がりやすい針葉樹もゴツゴツした広葉樹も育っている。
 志ある製材所は,いや“志”なんて言葉は迷惑かもしれないから言い替えて,木の好きな製材所のオヤジさんなら,山に生えてるいろんな木を捨ておけないのだ。さまざまな事情で山や畑や神社や屋敷の一角から伐り出されながら,まっすぐじゃないから行き場のないクリ,ケヤキ,ナラ,アカマツ,ツガ,などなどを引き取り,材木置場の隅にころがしてある。挽く日のあてもないまま。そのうち,丸太梁用のアカマツや床柱や床板用のケヤキのように出番が来るのは幸いで,三分の一くらいは使われずに腐るしかない。私の信州の製材所では,クリ,カキ,キリ,イチイ,サワラ,ナラ,ツガが,ここ10年ほどの間,その道をたどっている。
 さて,曲がった丸太が隅の方に置いてある小さな製材所に行き当たることができたとして,次にどうすればいいか。読者には申し訳ないが,この先を私は知らない。まずオヤジと信頼関係を築く必要があろう。人間的にも金銭的にも。人間的の方はあなたしだいとして,金銭的にはどうすればいいのか。おそらく,あるていどの前金を渡して挽いてもらうしかないだろう。流通を通っていない挽いただけの材木は,建設資材物価表なんかとくらべるとおどろくほど安いから,心配はない。

 言い忘れたが,重要なポイントがある。製材所に二度目に行く時は,かならず施主と一緒に行ってほしい。施主が自分で出向いて材木を買い付け,施工業者に渡すという筋道を立てておかないと施工業者が納得してくれない。すべての木材をそうすると施工業者が経済的に困るから止めた方がいいが,表現上で重要なポイントとなる木材は施主支給とするのである。施主の意向は施工業者にはききます。秋野不ふ矩く美術館の時はホールのスギの太い三本柱,ニラ・ハウスの時はアトリエのクリの角柱とその上のアカマツの丸太梁と床と外壁のベイマツ乱尺板をそうした。
 もう一つ言い忘れたが,乾燥の問題がある。製材して得られた木材は,しばらくの間,どっかに保管して乾燥する必要がある。製材所でやってくれればいいが,そうはいかない。製材所の近くか,施工業者の資材置場か,現場の一角にか,とにかく雨の当たらない場所を確保する。場所はあっても屋根がないなら,積み上げた上にシートをかけるなり,塩ビ波板で屋根をかけるなりする。なお,シートだと,通風が劣るから,アカマツなどはカビを吹く時がある。乾燥場の確保が不可能だと,ことは頓挫する。
 さて,私の場合,製材所と乾燥場はどうしたのか。先ほど,製材所を探し出した後にどうすればいいのか知らない,と突き放したような言い方をしたのは理由があって,生まれ育った村の製材所がたまたま諸条件を満たしていたから信頼関係は築くまでもなかったし,乾燥は実家の作業場や畑ですますことができた。幸いだったとつくづく思う。向こうは私をガキの時から知っているし,ガキの私は,学校帰りに製材の様子を興味深く眺めていた。木の好きなオヤジさんとも息子さんとも,長い付き合い。
 カクダイさんというのだが,もしカクダイを知らなかったら,これまでの私の仕事は成り立ったかどうか。それくらいに製材所の存在は決定的なのである。
 今度のツバキ城は,カクダイと組んでクリ材を使うことにした。中央の鉄筋コンクリート造の塔状部分の吹抜けの中に納まる独立柱とそれが支えるロフトを,柱も梁も床板も階段もすべてクリでやる。
 クリ普請。いい言葉だ。ヒノキ普請やケヤキ普請を頼まれたらことわるが,クリ普請だけはやりたかった。江戸時代まで,東日本ではクリはごくありふれた木材として多用されていたが,明治以後しだいに減って,戦後になると耐水性を期待して土台に用いられるだけになり,今では土台用薬剤のせいでそれすらなくなり,現代の日本の木造建築からは消えた。カクダイでも私がたまに柱を注文するほかは需要はゼロだという。
 絶滅状態といっていいのだが,しかし,クリの味を一度しめると,忘れられるものではない。堀口捨己の最後の名作となった昭和41年の〈居〉がクリ普請だったことを思い出そう。あまり知られていないが,佐藤秀の昭和12年の代表作〈住友家那須別邸〉もクリ普請。ウロ覚えだが,白井晟一の昭和41年の〈呉羽の舎〉の応接室もクリを多用していたように記憶している。日本の木造の伝統と格闘した3人が結局行き着いたのがクリだった。
 クリの魅力は,その二律背反的性格にあるにちがいない。硬いようだが意外に柔らかい。肌がザラッと荒あらしいかと思えばチーズのように木理がつんでもいる。大暴れするかと思えば,素直な時もある。こうしたアンビバレントな性格から,鉄道の枕木にも使われれば,最高の木ともたたえられるのである。

 私がはじめてクリを使ったのは,処女作の神長官守矢史料館で,鉄平石屋根回りの鼻板(幕板)と収蔵庫の軒の支持材に使い,オイルステンを塗った。この時は,共同設計者の内田祥士とカクダイまかせだったが,次作のタンポポハウスでは,気合いを入れ,私が子供の時に植えた40年もののクリの立木をカクダイさんに伐ってもらい,角柱にして玄関先に立てた。この時以後は無塗装で使うことになる。その次はニラハウスで,施主の赤瀬川原平さんと山に入ってクリの倒木を伐り出し,ハツって玄関先に立てた。アトリエの柱は,カクダイが用意してくれた丸太から挽いた角柱。その次の秋野不矩美術館では,地方の製材所が用意した材を玄関ホールの外回りのテラスの柱に使った。テラスの手スリ関係のクリ材は,カクダイで製材してくれたのを,秋野さんの息子さんと一緒に,現地まで運び,加工し取り付けまでやった。アプローチの登り坂の手スリも同様で,この時,赤瀬川さんがクリ材のクサビを3日がかりで数十本,削り出してくれて助かった。この時の工事で,設計者側シロウト施工集団の縄文建築団の,今回の施主の谷口英久を含むメンバーは,扱いにくいクリ材と雨中で格闘し,自信を付けた。
 以上のようにして,しだいにクリとのなじみが深くなり,そして今度の仕事で,クリ普請とあいなったのである。
 木のすべてはカクダイからはじまる。基本設計が固まった頃,実家に所用で帰ったついでにカクダイに寄り,クリの入手をお願いした。カクダイにはいつも2,3本ころがっているが,長さも量もとても足りない。すると息子が,これから一緒に見に行こうという。カクダイがクリの丸太を入手する先は二つある。いずれも木材が主目的の業者ではなくて,森林伐採業とでもいうべきか,別荘開発などに先立ち木を伐り処分するのが仕事で,その時にたまたま出るクリの丸太などを捨てずにためておき,カクダイなんかに売る。
 前回まではオヤジさんと見に行っていたが,老齢なので,今回からは息子と一緒。まず,近い方に行くが,とても長さが足りない。柱と階段用は,末口(すえくち,末端の径)で30センチほどのが長さ4メートルと5メートルはほしい。
 仕方なく,八ヶ岳の麓に入り込んだところにあるもう1軒に回る。ここにくると,本業が伐採で材木用はついでというのがよく分かり,売れないのは場所ふさぎだからどんどん燃やしている。そればかりか,いつ行っても人がいない。今度もいない。
 息子と一緒に,広い丸太置場というか残材置場というか,丸太の最終処理場を見回る。カラマツとスギはたくさんあるが,クリは細いのが数本。後で電話してもらったが,このところクリは出ていないそうだ。カクダイの最後の手は,業者のつてをたどってクリの生えてる山に行き,持ち主の許しを得て伐り出すこと。結局,そうすることになった。
 そしてその当日,藤森,大嶋,谷口の3人は,朝一番の新宿発あずさに乗りカクダイを訪れた。伐り出しに参加しようと思ったのだが,山仕事関係者と早朝にトラックで出かけたという。ちょっぴり残念。
 オヤジさんと木材談義を楽しみながら,しばらく待っていると,帰って来た。そのトラックの光景を見て,あきれました。荷台には伐り立てのクリの丸太が大小長短山積みされている。面積わずか4坪弱のロフトにこんなにたくさん必要なんだろうか。私があきれるくらいだから,生まれてはじめて製材所という場所を訪ねた施主の谷口氏はなおさらで,ショックを受けたらしく目をむいたまま無言。