日本で唯一の屋根に椿の木を植えた店舗から作家、社長、杜氏である谷口英久が綴る抱腹絶倒の「Blog」
シアトルに渡った祖父を探して。
22/Mar.2018 [Thu] 17:31
今は英語を勉強している。
こんな歳になって、英語を必死になって勉強するなんて
夢にも思っていなかったけれど
とにかく毎日、話すことと、聞き取りの練習をしている。
一日休むと、今まで聞き取れていた単語が聞こえなくなる。
粒になって耳に届いていた言葉が、泥のように固まって
聞き取れなくなってしまう。
口から単語も出てこなくなって、泡を吹くように
もたもたと喋る。
カナダの友人のロブが、新しい言語を話すことは
老いた脳に一番効く、と言っていたけれど
本当にその通りだと思う。
物忘れもしなくなるし、言葉もすぐに出てくるようになった。
しかし、呆け対策のために英語を勉強しているわけではない。
祖父が昔、110年前に、アメリカのシアトルに渡って
ソーダ会社を経営していたので、それを調べに、先月、出かけてきた。
シアトルには巨大な図書館があって、そこで会社のことや
入国してきた外国人について調べることができる。
手がかりは祖父が晩年に作った一冊のアルバムで
その中に、ソーダ会社を設立した当時のお披露目の葉書が
貼ってあった。そこには住所も印刷されていて
それを頼りに探していけば、なにか見つかるのではないか?
と思ったのだ。
30年も前から調べに行きたいと思っていたけれど、他のことを優先して
このことはいつも後回しになっていた。
その重い腰をようやく上げて、ついに先月シアトルに出かけてきたという
わけである。
しかし、大きな問題はシアトルの人の喋る英語が聞き取れない、という
ことだった。
幸いなことに妻が英語が堪能で、本当に何から何まで助けてもらった。
でも一度の滞在では、調べつくすことは出来なくて、
もう一度出かけて調べなければ、と思った。
ひとつのことが見つかると、その枝葉を探って、さらに調べることが
増えてゆくからだ。
ソーダ会社を設立するまでに、祖父はどんなことをしたのか?
なぜ失敗したのか?
それからどうしたのか?
まずはそれを調べたくて行ってみたけれど、今度はその細部も調べなければ
ならなくなった。
今は現地の人とメールでやり取りも出来るけれど、それにしても
英語で文章を書かなければいけないわけで
そんなことも含めて、もう一度英語を勉強している。
単語カードに今日習った文章を書いて
それを仕事場でめくりながら、復習をする。
簡単な単語が出てこなくて、それを辞書で調べる。
いくつになっても勉強をするのは楽しいことよ、と
ロブとは別のカナダの年老いた友人に言われたことがあったけれど
それに目的が伴うと、本当にやる気が出てくる。
知らない人と話すことは楽しい。
ましてやそれが外国の人となると、文化から、その背景から
色々なことがわかって、本当に楽しい。
アメリカは移民の国で、祖先を辿ることについて
話すと、みんな色めき立つように
「It isso exciting story」
と声を揃えたように言う。
それは多くのアメリカ人の祖先が、どこかよその国から渡ってきたからである。
ぼくも、もし祖父がこの島に戻ってこなければ
ここにこうして住んでいることはなかっただろう。
いつか、それをまとめることが出来たら、と思うけれど
それよりもまず今は調べることだ。
先は長いけれど、でも、一歩踏み出した、というわけである。
(こうして書くとかっこ良いように思えるけれど
そんなことはなくて、つまづきの連続である。)
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なんと言っていいのかわからない。
17/Mar.2018 [Sat] 9:45
明日は父の百間日で、いよいよお墓に納骨をする予定だ。
納骨にあたって、石屋さんを頼むのだろう、と思っていたら
自分でお墓に収めるのだという。
それが先週、お寺のお坊さんと話していてわかった。
初めはそれを聞いてびっくりしたけれど
考えてみれば、葬式組合では、よく納骨をしている。
お葬式を終えてすぐに納骨をする人も多いので
そういう時は、葬式組合の人間がお墓の下を開けて
お骨を収めるのである。
ぼくの住む村には、葬儀屋さんがいない。
元町という、島で一番大きな町には葬儀屋さんが何軒か出来た。
しかし、ぼくの住む村では自分たちの手でお葬式をする形が残っていて
そのために組合がある、というわけだ。
組合では葬儀のための祭壇を作り、進行もする。
終わってから片付けもあって、さらに納骨もするのである。
ぼくはまだ若手なので、そういう仕事は進んでやらなければならない。
といっても仕事があったり、出かけていたりすることも多くて
いつも必ず参加するわけでもない。
まあ、そんなこともあって、納骨だって、自分で出来るのだ。
それで、一昨日だったか、墓石の下の石の目地をあらかじめ開けておく
作業をしに、お墓に出かけた。
バールで目地をこじ開けようとしたのだけれど、
この目地のセメントがずいぶんしっかり固定されていて
簡単には開けられないようになっていた。
まあ、お骨の入っている場所が簡単に開いてしまったら困るわけで
そういうものか、とも思った。
しかし、そうなると、金づちも持ってきて、バールで叩いて
目地を開けなくてはならないだろう。
また改めて出直さなきゃいけないかなあ? と思っていると
お坊さんが様子を見に出てきてくれた。
金づちが要るのなら、持ってきてくれるという。
そんなわけで、お坊さんにも手伝ってもらって
二人で、お墓の石の目地を開けて、石を引っ張りだすところまでやった。
なんとか動いたので、あとは当日、やることにしよう、ということに
なって、また石を元の通りに戻した。
土がずいぶん溜まって、スコップで掘らなければ、お骨を収めるのは
むつかしいこともわかった。
今度はセメンではなくて、コーキングという、ゴム系の
素材を使って目地を埋めようとお坊さんと話した。
そうすれば、次回はカッターで切れるから、とお坊さんが言った。
しかし、この次にこの石を開けてお骨を収めるときは
ぼくが入るときなんだ、ということに急に気が付いた。
30年前に母が、その翌年に祖母が、そして父が明日、ここに入る。
そのあとはぼくの番なんだ。
そうか、もうそんなことになるわけか。
s感慨深い気持ちになって、しかしそんなに嫌な気もしない。
お骨になって静かにここで過ごすのも悪くないだろう。
日当たりも良いし、なにより静かだ。
お骨になるって、不思議なことだ、と父のことを見て
そう思ったけれど、それも近未来の現実なんだなあ。
良いお骨になれるようにするにはどうしたら良いんだろう?
それには、まず、うーん、覚悟をして
生きていかなくてはいけないんだろう。
明日、晴れるといいな。
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お手柔らかにお願いします。
04/Mar.2018 [Sun] 18:41
春の嵐が来る前に、屋根を直しておかなくっちゃ、
ということで、工場から家に戻って、屋根に登った。
そうなんですよね。
昨年の11月の台風で屋根の一部を壊されたまま、
直さずにとうとう春の嵐が吹き荒れるまで放置してあったのだ。
幸い、雨漏りもせずに、なんとか過ごしてきたけれど
明日は雨も激しく降るようだし、これは直しておいたほうが
いいぞ、ということになった。
といっても誰かと話しあったわけではなくて、自分でそう思っただけである。
屋根の尾根というんですかね、馬の背中というんでしょうかね、
そういう部分が風で吹き飛ばされて、道路に落ちた。
車が通るたびにそれを何度も踏まれて平たくなってしまった。
その屋根の断片を金づちを使って、元の形に叩くことから始めた。
陽射しは春のようで、汗をかいた。
今度はそれを抱えて、屋根に登って、しかしこれをどうやってはめ込むのか、
あれこれやっているうちになんとか、収まった。
釘で叩けばいいのかもしれないけれど、下手なところに打つと
またそこから雨が吹き込んでくる可能性も考えられる。
屋根は急で、道具を置いておく場所がない。
釘をいちいちポケットから何本か取り出しては口にくわえて
しかしこんなものを間違って飲み込んだりすると大変だから
何か良い方法はないものか? と考えても、思いつかない。
飲み込んでしまったら、どうなるんだろう?
手術をして胃から取り出すしかないんだろうか?
そんなことになったら大変だよなあ。
あいつ、釘をくわえていて、飲み込んじゃったんだってさ。
やっぱりいるんだよね、そういう奴。あはは。
大工さんが腰に釘袋を下げているのを見かけるけれど、
そうか、ああいうものがあれば便利なんだ。
でも、こんな作業は年に一度か二度で、そのために買うのも気が引けるしなあ。
と思っているうちに、金づちで自分の指を叩いてしまった。
痛くてたまらないけど、しかしやってしまわなければ、と思いながら
また同じところを叩いた。
バカだなあ、まったく。
やれやれ、これでなんとか明日の嵐はやり過ごせるだろうか?
嵐が来なければ、ずっと放置したままだっただろう。
ありがとう、春の嵐さん。
明日はお手柔らかにお願いします。
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そこにいるの?
31/Jan.2018 [Wed] 7:27
近所の民宿をやっている女性から電話があった。
電話に出たのは妻である。
「あのさ、お父さんが住んでいた家、あれ貸したり売ったりしないの?」
と訊かれたのだそうだ。
「いえ、まだ亡くなったばかりですし、それにまだお骨も置いてありますから」
と妻は応えた。
「うん、知ってる。親戚の人に聞いたら、見てもいいって言うから
今見てきた。お客さんを連れて」
その人はそう言ったという。
四十九日までは祭壇にお骨を置いて、近所の人でお線香をあげたい人がいれば
昼間のうちに勝手に家に入って手を合わせてもらえるようにしてある。
そこにお客さんを連れて、家の中を見てきたのだそうだ。
「お客さんはイギリス人で、ここに住みたくて、家を探しているのよ。
だから連れて行って家の中も見させてもらったけど、売る気があるかどうか、
旦那さんに聞いてくれない?」
そう言われて答えに窮して、仕事をしているぼくのところまで妻が電話を持って訊きに来た、というわけだった。
(だってお骨が置いてあるんだよ。そう言ったの?)
ぼくは電話の子機を手のひらで押さえている妻にそう言った。
「うん、何度も言ったけど・・・・」
妻も困ってしまったように少しうなだれるようにしてそう言った。
目の下に隈が出来たように青白い顔をしている。
お骨が置いてある棚には花も飾られて、父の遺影、それにいつも被っていたお気に入りの帽子も置かれている。
イギリス人の夫婦はそれをどういう気持ちで見たのか、それよりも家を欲しい気持ちが優先したのか、それはもう理解のしようがなかった。
「売る気も貸す気もないって言ってよ」
ぼくは電話に出ずに妻にそう言った。
妻がそう電話に向かって言うと
「じゃあもし気が変わって、売る気になったら連絡をちょうだいよ」
そう言ってその民宿の女性は電話を切ったという。
しばらくそのことを考えていたけれど
造っている焼酎が不味くなるので、考えるのをやめた。
(見に入ったのか・・・)
そう思うと可笑しくなってきて、ちょっと笑った。
死んだら何も言えないけれど、生きていても何も言えないことって
あるよなあ、と父に話しかけた。
焼酎蔵の中に四つぶら下がっている電球のひとつが消えた。
電球の球が切れたのかと思って取り替えようとしたら
また点いた。
不思議なことがあるもんだ、と思った。
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自分では気に入っている。
21/Jan.2018 [Sun] 17:19
仕事で着ているジャケットの袖が長いので、自分で切ってみた。
ジャケットの素材は、なんだろう?
裏地が柔らかい起毛のようなもので、フリースに似ている。
火をつけると切ったところが固まるので
元はプラスチック素材なんだろう。
山登りのときに着るようなものらしい。
とにかく、この袖が長いので、二年近く折って着ていたけれど
そこだけ厚くなるので、仕事がしにくかったのだ。
我慢をしながら、着ていたけれど
そうだ、切ってみればいいかもしれない、と急に思いついた。
家ではやる気にならないので、仕事場に裁縫道具の籠を持参して
仕事の合間にやってみよう、と思い立った。
肩口から長さを計って切ればいいものを、適当に折ったところで
切ったら、右と左の長さがちぐはぐになってしまった。
左腕はちょうどいいけれど、右は明らかに短くて
下のセーターが出てきてしまう。
ありゃー、これはいかん。
しかも、切りっぱなしだと、袖口が広がってしまって
寒気が袖から入り込んでくる。
そうか、袖が窄まって(すぼまって)いるのは、やっぱり大切なことなんだ。
でもまあ、誰もこんなところは見ないだろうと思っていると
妻がめざとく見つけて、
「どうしたの、これ?」
と言った。
やっぱり目立つらしい。
袖のほつれたところはライターで炙って、終わりにしようと思っていたけれど
もう一度ゴミ箱から捨てた袖を拾ってきてそれを縫い付けた。
おおー、上手く出来た。
それに寒気も入ってこなくて、これは良い具合になった。
長さは相変わらず測らなかったけれど、適当に縫い付けたら
左右同じくらいになった。
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そう簡単には騙されないぞ。
19/Jan.2018 [Fri] 18:02
暮れに喪中の葉書を出さなかったので
年が明けてから、年賀状を頂いた人に
返事を書いている。
何年か前から、プリンターで宛名を印刷するようになって
今までは、宛名を印刷して送るのは相手に失礼なんじゃないか?
と思っていたけれど、やってみたら、もう本当に便利で
ありがたい道具だと身にしみてわかった。
宛名は印刷にしたけれど、その人に向けて、なにか一言二言、
手書きで書くことにして、それで勘弁してもらおう、と思うことにした。
ところが今年はこのプリンターのインクジェットを用意していなくて
あわててネットで買うことにした。
プリンターはヒューレッドパッカードのもので、しかし、純正でなくとも
使えると書いてあるので、それを鵜呑みにして、別のインクを買ってみた。
すると、純正のものを使え、とプリンターが言い張る。
頑として動かない。
いや、これは困った。
仕込みでまだ忙しいし、手書きでコツコツ宛名を書いていると
何日掛かっても、終わりそうにない。
そこで考えて、純正のインクに付いていた金色の小さなシールのようなものを
剥がして、それを純正でないインクに両面テープで付けてみることにした。
シールはちいさなもので、両面テープも本当に細かく切った。
すると爪をたてても、両面テープの裏についている白い保護の紙がはがせない。
寒くて手はかじかむし、シールは床に落ちて、どこに行ったかわからなくなる。
はずしていた眼鏡をかけなおして、這いつくばって床の上を探した。
はらり、と落ちたはずなのに、こんなところに、と思うような場所で見つかった。しかし、両面テープに砂がついて、また一からやり直し。
さあ、今度はちゃんと貼れたので、これで動くかと思ったら
やっぱり純正でないから、動かないのだそうだ。
強情な奴だなあ。
あっさり騙されて動くかと思ったけど、こりゃダメか。
仕方なく手書きで宛名を書くことにした。
力仕事で腕が震えて、始めは上手く書けなかった字も
だんだん良くなってきた。
いいぞ、たまには字の練習もしないと、味わいのある字にはならないもんな。
二十枚くらい書くと、良いあんばいになってきて
始めに書いたものは書き直したくなった。
そんなことで、今年は年賀状ではない、
いつもとはちょっと違った葉書を書いている。
昨日は暖かかったのに、今日はまた冷え込んで、
宛名を書く手がかじかんでいる。
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お骨を拾ってもまだ。
24/Dec.2017 [Sun] 15:53
お骨を拾って、葬式も終えたのに、まだ夕方になると
病院に行こうとして、身体が身構える。
病院に行くのは仕込みとはまた違った力の入ることで
どうしても身構えて身体に力を入れないと、足が向かない。
しかし、もう葬儀も終えて、今は自宅にお骨を安置してあるので
そのまま家に帰って、線香を供えればいいのに、どうしても
朝や夕方になると、そのことを考えて身体が反応している。
麹を造る日は三日が必要で、その晩は工場に泊り込んで仕事をする。
こうして仕事をするようになって何年経つのか、もうはっきりしたことは
わからないけれど、夜中まで麹を見て、家に帰る途中で居眠り運転をしかけたことがあってから、家を借りることにした。
その家には簡単なベッドを二つ置いて、あとは食卓と台所、風呂も付いている。
安普請なので、冷気が家の中に容赦なく入ってきて、一度布団に潜り込むと
なかなか出ることが出来なくなる。
父が具合が悪くなってからは、夜中に電話が鳴ると驚いて目を覚ます。
一度は明け方に電話があって、びっくりして電話に出ると、従兄弟から
台風で道路わきの屋根のスレートが落ちかかっているから、気をつけるように
という内容でホッとした。
下を歩く人に重いスレートが落ちれば大変なことになるのだけれど、しかし
それでも、ホッとした。
父はときどきは病院で目を開けていることがあって、
「おーい」と話しかけると、目をぱちくりすることもあったし
何かを喋ろうとすることもあった。
途中からは酸素マスクを付けられて、そのゴムが伸びて、マスクははずれ掛けていることもよくあった。
もう、具合は明らかに良くないけれど、それでも次の日になると、また恢復していることもあった。
手や足はむくんで、喉の周りも水が溜まったようになって、そういうときはたいてい熱を出していた。
若いインターンの医者がちょっといいですか? と言って、病人のすぐ脇で大きな声で話し出すこともあった。
食道に出来ているがん細胞が脳にまで達していることが、昨日スキャンをして
わかったんです、と言った。
耳だって聞こえるし、声に明らかに反応しているのに、そんなことを大きな声で言うかなあ、と訝しく思った。
なによりこんなに具合の悪い人間をCTスキャン室まで連れて行って、あの轟音のする器械に潜らせたことにびっくりした。
そんなことをしなくても、もう長くないことは見ればわかるのに、と思いながら、(そうですか、ありがとうございました)と頭を下げて、お医者さんを廊下に引っ張って、そこで話しを聞いた。
麹に種を付けて、明日の朝にはもうタンクに出すことになっている夜中に電話が掛かってきて、姉からだった。
「今ね、呼吸が止まって、すぐに病院に来てくださいって連絡があった」
と言った。落ちついた低い声だった。
慌てて着替えて、一度工場に寄って、麹の様子を見てから、病院に向かった。
星が冷たい空にさえざえと光っていて、それを見上げた。
まだ額は熱かったけれど、もう息はしていなかった。
お骨を拾っているときに、死ぬってなんだろうな? と改めて思った。
生きていて、星を見上げて、今度はお骨になっている。
それはどういうことだろう? とまた昔から考えていることを改めて想った。
お坊さんは、三途の川を渡るときに、一本目の川はゆるやかに、それから急流に、最後は激流を渡ってあの世に行くのだ、と話していた。
しかし、死ぬということはどういうことか尋ねてみる気にはならなかった。
曹洞宗のお経の中に
「生を明らめ、死を明きらむるは仏家一大事の因縁なり」
というくだりが出てきて、そのことを、このお坊さんに訊いてみようかな?
といつも思う。
葬儀のときにはそのお経本を一緒に唱えるように、と言うのである。
しかし、どうしても、それを尋ねてみる気にはなれない。
それは自分で紐解くしかないのではないか? と思う。
亡くなって、葬儀が始まるまでに、お坊さんの都合や、友引が入って
二日ほど時間があった。
そのあいだに、工場に出かけては、麹を出してタンクに入れた。
翌日には麦を蒸して、仕込みをした。
よく喋る、叔母がいて、途切れなく喋っている。
父はこの妹が来ると、
「いつ帰るんだ?」
と訊いていた。
(うるさいから、もう帰れって言うことなのよ)
とその妹は、不満そうな、困ったような顔をして言っていた。
そんな人がたくさん来て、父の棺の周りであれこれ喋っている。
自分は賑やかなのはあまり得意ではないので、醗酵するもろみの
静かに浮かんでは消える泡を見つめているほうが、父と話しているような気持ちになった。

(お香典は戴いておりませんので、ご了承くださいますよう、お願い致します)
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タキシード
21/Nov.2017 [Tue] 17:29
国税局主催の鑑評会で優等賞を貰った。
表彰式が先週あって、ぼくは仕込みで出席できないので
友人のタケシ君に代わりに出てもらった。
そのタケシ君からメールが来て
「表彰式にはタキシードを着ていけば良いですか?」
と書いてあった。
うはは、タキシード。
いや、やっぱり晴れの舞台だから、タケシ君はそう思ったのかもしれない。
でもまあ、そんな人はいないので、普通の背広にネクタイで
出てくださいよ、と返事を書いた。
このあいだタケシ君が蔵に手伝いに来てくれたときに
「鑑評会で優等賞を取ったら、タケシ君が表彰式に出てくれよな」
と話して盛り上がったのだ。
ぼくはこの時期は焼酎の仕込みで忙しくて、とてもそれどころではなくなってしまう。
それで毎年、出品もしなかったのだけれど今年は審査員になったので
それなら、自分の造った焼酎も出してみよう、ということになったのだ。
その鑑評会に出かける日に、タケシ君も一緒に東京に帰ることになったので
船の中でどんなふうに審査が行われるか、を話した。
審査はもちろんブラインド方式となっていて、日本酒はあらかじめ40度に温められて、魔法瓶に入れられている。
焼酎は常温でグラスに入れられて、番号だけが振られている。
朝九時に集合して、すぐに日本酒の審査が始まる。
マークシート方式で、番号順に官能検査をしてゆく。
香り、味、など細かく分けられていて、そのひとつひとつを味わってゆくのである。
もちろん自分の造ったものも、わからないので点数を入れることは出来ない。
「じゃあ、自分の焼酎に特別ポイントを入れることも出来ないわけですか?」
とタケシ君は言った。
「そりゃそうだよ。そんなことが出来たら、審査じゃなくなっちゃうからね」
ぼくは言った。
審査は国税局の鑑定官室から四人、日本酒の蔵元から三人、焼酎の蔵元からはぼく一人、あとは主に鑑定の仕事に携わっている人が何人かいて、その人たちがそれぞれ官能試験をしたあとで、総評をすることになっている。
全体的にどうか、問題があるとすれば何か、など、一人一人が意見を述べてゆく。
朝九時から午後四時まで、そんなやりとりを何度もして、その結果が優等賞につながった、というわけである。
まあ、タケシ君は冗談だと思って、軽く返事をしたのかもしれない。
ぼくも半分は冗談のつもりで、
「表彰式に出てくれよな」
と言ったのだ。
それが本当になって、タケシ君はびっくりしていた。
表彰式が終わったあとで電話をしてみると
「めちゃくちゃ緊張しました」
と言っていた。
その表彰状が後日郵送されてきて、受け取ると感慨深い気持ちになった。
また今年も造りが始まる。
いくつまで出来るのか、もう本当に限界が来ているなあ、と思いながら
ぎりぎりのところで造っている。
それが形になって、褒められることが、こんなに嬉しいとは、思ってもみないことだった。
今年もまた頑張ります。
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鑑評会で優等賞を戴きました。
17/Nov.2017 [Fri] 17:02
このたび国税局主催の鑑評会で「御神火」が優等賞を受賞しました。
いつも応援してくださっている皆様に心より御礼申し上げます。
これからも精進して、味わいのある焼酎を造っていきたいと
思います。
今後ともご贔屓くださいますよう、よろしくお願い致します。
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次の台風が来て、壊れた屋根はどうなったか?
31/Oct.2017 [Tue] 16:50
それで次の台風が来て、どうなったか?
というと、壊れた屋根のあいだから
水がどんどん入ってきて、
倉庫の中は水浸しになってしまった。
それが結構な範囲で濡れていて
(ここは大丈夫だろう)
と思ってそのままにしていた包装紙も濡れていた。
ありゃー、こりゃもうダメかねえ?
と独り言を言いながら、それを片付けた。
工務店はまったく動く気配がなく
そうこうしているうちに、また雨が降りそうなことを
天気予報は言っている。
仕方がない、やっぱり自分で応急処置をするしかないなあ、
と思って、今日は軽トラックをオカムシのところまで借りに行って
それに長い梯子を載せて運んだ。
父は点滴を受けに姉が病院に連れて行ってくれたので
帰りはその父親を連れて家に帰って来なければいけない。
今朝、瓶詰めした焼酎はすぐにラベルを貼って、
うん、しかし、こうやって三つのことが同時に進行しているじゃないか。
素晴らしいことだなあ、と思った。
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