日本で唯一の屋根に椿の木を植えた店舗から作家、社長、杜氏である谷口英久が綴る抱腹絶倒の「Blog」
ツバメがやってきた嬉しさ。
19/Apr.2017 [Wed] 17:21
風に乗って、鳥の声が聞こえてくる。
今はウグイスがさかんに鳴いている。
それからほととぎす。
メジロも澄んだ高い声で囀っている。
それに混じって、ツバメの声が聞こえたような気がした。
まだ肌寒いのに、もう渡って来たのかな?
と思って空を見上げた。
桜の花が咲く梢をかすめるように素早く飛んでゆくツバメの姿が見えた。
そうか、もう渡ってきたんだ。
今年は暖かくなるのがゆっくりで、桜も長く咲いた。
だから、渡ってくるのは、まだ先だろうと思っていた。
玄関の前には、蚊がたくさん湧いてきて
扉が開くのを待っているように見える。
もう蚊も出てきたんだ、と思ったのが一週間前のことだった。
虫が出てくれば、それを食べるツバメも渡ってくる。
自然の営みは、ぼくが知ろうと知るまいと、確実に進んでゆく。
ツバメはどうやってその時期を知るのか?
どうやって仲間を募って、群れになって飛び立つのか?
どうしてこの大島にやってくるのか?
ぼくは何も知らない。
ただ耳を澄ますと、鳥の声が聞こえてきて
ああ、ツバメがやってきたんだなあ、と
今日はそのことが嬉しかった。
comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
愉しみは自分で探そう。
17/Apr.2017 [Mon] 17:26
旅行会社の人から連絡があって
大人の社会見学、というツアーを企画しているけれど
そちらに伺ってお話を伺うというのは
どうでしょうか? と言われた。
お話しって、どんなことを喋ればいいのか、
ぼくはそれを聞いただけで、うろたえてしまった。
こんな小さな焼酎蔵で、一人でぼちぼち造っているだけの
人間の話を聞きたい人なんているのだろうか?
かつては、こういう話がくると律儀に引き受けていた。
山登りみたいな格好をしたお元気そうな初老の人たちが
バスからわらわら降りてきて、
じわじわと取り囲まれる。
では、タニグチさん、お願いします、と言われて
自分がしていることを話すのだ。
どうして一人で焼酎を造っているのか? 
というようなことを話すと
うんうん、とか、ふむふむ、とか言いながら肯く人もいる。
その奥からジーッとまばたきもせずに薄く笑っている人と
眼が合ってしまって、言葉が出なくなることがあった。
話したあとは、もう寝込みたいくらい、疲れてしまう。
仕事どころではなくなってしまうのである。
それで、近頃はもう滅多なことでは、こういうツアーのお話は
引き受けないことにしている。
なにしろ店も小さいし、十人も人が入ったら身動きが
取れないくらいだ。
「そうですか。残念です。もっと多くの人に
ツバキ城の良さを知って欲しいんですけどね」
とそのツアーを企画している人は言っていた。
観光名所になるのに、と思っているらしい。
いえいえ、もうツバキ城の屋根の草もボウボウで
人に見られるのも恥ずかしいくらいですから。
外壁のすき間の土も埋めなきゃいけないのは
わかっているけれど、毎日、仕事に追われている。
春になって、ウグイスやメジロの囀る声が聞こえてくる。
それを耳にすると本当に嬉しくなる。
疲れたらちょっと日向ぼっこをして、ぼんやりする。
そんなことをツアーのお客様に喋ったら面白いのかな?
と、思うけど、
考え出すと際限なく頭が動いて疲れるので、
とにかく自分の仕事に精を出す日々である。
味わいのある旨い焼酎を造る。
それだけである。
comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
プチトマトの収穫
15/Feb.2017 [Wed] 17:38
右手の人差し指の先端がお昼のあとで急に痛み出した。
なにかを触ると、ズキンと痛む。
これは何かな?
爪を剥がしかけたのかな? と思った。
でも爪はなんともない。
ちょうど鍼に行くところだったので
阪本さんにそのことも訊いてみた。
「うーん、わからないけど、とりあえず瀉血(しゃけつ)をしてみよう」
と言って、小さな道具を取り出した。
糖尿病の患者さんが血液を測定するときに使う道具で
ペンの先端に針が付いているらしい。
それを指先に当てて、シャープペンの芯を押し出すように
お尻のボタンを押すと、針が出て、指先にプツンと小さな穴が開いた。
プチトマトのように指先から紅いものが盛り上がってくる。
指をしごいて、血をどんどん出すように、と言われて
そうすると、血がいくらでも出る。
阪本さんはそれを待っていて、脱脂綿にアルコールを含ませたもので拭いてくれる。
指をしごけばしごくだけ、血が出るので、少し心配になった。
「輸血をしないと・・・」
とぼくが言うと、
「大丈夫。そのうちピタッと止まるから」
と阪本さんは言った。
そんなことを二十回くらいやっただろうか。
血が止まって、もういくら指をしごいても血は出なくなった。
すると指先の痛みも消えてしまった。
うっ血したものを出せば痛みも消えるのだという。
面白いものだなあ、と思って阪本さんにそう言うと
「本当にねえ」
と言って、嬉しそうに笑った。
お地蔵さんのような、しみじみとした笑顔だった。
comments (5) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
また今度会いに行くからね。
30/Jan.2017 [Mon] 18:16
浜松町の竹芝桟橋から船に乗るまでのあいだ、
すこし時間があった。
そこで待合室の上の陽の当たるベンチに座って、
持ってきたおにぎりを妻と食べた。
日向ぼっこをしたいなあ、と思っていたので嬉しくなった。
おにぎりを食べ始めるとすぐに鳩が寄ってきた。
一羽だけなので、お米を何粒か、鳩のそばに投げると
すぐにそれを喉を鳴らして食べた。
鳩がもう一羽、どこからともなく飛んできて
我々の前に舞い降りた。
ありゃー。
こいつらは、誰かがこうして食べ物をくれるのを
知っているんだ。
するとベンチの脇の植え込みから
スズメが一羽、顔を覗かせた。
顔が汚れていて、体型もまんじゅうを潰したような
形をしている。
もう歳なのかもしれない。
大島ではあまり見かけないタイプのスズメだった。
なんだか可愛らしくて、鳩ではなくてこのスズメに
ご飯をあげたくなった。
指にくっついているご飯粒を指で弾いて、鳩の群れの向こうに
いるスズメめがけて、飛ばしてみた。
スズメはそれに素早く気付いて、鋭く動きながら
ご飯をついばむと、植え込みに隠れた。
「いいぞ、スズメ」
妻と二人でそう言って、スズメが再び出てくるのを待ち構えた。
「きた。それ、今だ」
今度は妻がご飯粒を投げた。
またしても鳩より速く、ご飯をついばんで、植え込みに隠れた。
都会ではこのくらい敏捷でなければ生きていけないのかもしれない。
興奮して、スズメを応援していたら船が出る時間になっていた。
慌てて下に降りると、最終のアナウンスが流れて
船に掛けられたタラップをはずす準備をしていた。
「危なかったね」と妻と船に乗り込んでから呟いた。
「へちゃむくれのスズメ、かわいかったね」
と妻が船が動き出してからまた、そう呟いた。
comments (x) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
ちょっとだけ春。
26/Jan.2017 [Thu] 18:22
冷たい空気を自分でかき回しているのだろう。
蔵の中で動くと冷気を裂くように
身体が冷たかった。
それでも、外はなんとなく春の息吹を感じる。
今までとは違った鳥の鳴き声があちこちから聞こえた。
メジロが、小さな声でチュクチュク、呟くように鳴いている。
春になると、もっと高らかに澄んだ声で鳴くのだけれど
冬の中でも、こんな声で鳴いているんだ。
ウグイスも、春とはまるで違った声で
やはり何かささやくように鳴いている。
あちこちで鳥たちが静かにそっと空気をかき混ぜるように
動いている。
「ちょっとだけ春だね」
と一緒に仕事をしていたカネちゃんに言うと
「そうですか?」
と言った。
何を言っているのか、わからない、というような
きょとんとした顔をしていた。
一日ごとに春を感じるようになるのは、まだ先のことだけれど
それでも、春がすぐそばまで来ている。
嬉しいなあ、本当に嬉しいことだなあ、と思った。
comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
もうそういう歳になったんだなあ、と友達が言った。
21/Jan.2017 [Sat] 17:39
仕事をしていると、S藤のお母さんがやってきた。
うちにS藤のお母さんが来たのは
初めてのことだったので、どうしたんだろう? と思った。
お母さんはぼくの顔を見るなり涙ぐんで
眼から涙が溢れてくるのが見えたので、驚いた。
驚いたのと同時に何か悪いことがあったんだな、
と思った。
でも、そんなことは考えたくないな、とも思った。
「ヒロユキがねえ、死んじゃったのよ」
とお母さんは言った。
S藤とは中学一年生のときに同じクラスになった。
気があって、一緒によく遊んだ。
S藤の家にもよく遊びに行ったので
お母さんにもお世話になった。
大学生になって、東京に出てからも、神楽坂から
S藤の住んでいる中野のアパートまでよくバイクで
出かけた。
最後に会ったのは三年前で、お正月休みに大島に戻ってきたので
と言って、焼酎工場に寄ってくれた。
娘さんが一緒で、その子が中学時代のS藤に本当によく似ていて
嬉しくなった。
二年前に寄ってくれたときは、ぼくが出かけていて
会うことが出来なかった。
そのことをときどき思い出して、
「そうだ。連絡をしなくちゃなあ」
と思っていたのである。
昨年の秋に胆管が詰まったことで手術をしたのだそうだ。
すると肝臓に癌が見つかった。
その癌がずいぶん進んでいたのだそうだ。
胆管を手術したあとで、仕事場である大学にすぐに
復帰をしたらしい。
けれども、また具合が悪くなってクリスマスの日に
亡くなったのだそうだ。
お母さんの話しを聞いて、ぼくも涙がとまらなくなった。
お葬式は現役の大学教授だったこともあり
住んでいた街で執り行われたのだという。
「今日、大島のお墓に納骨をしてきたの。
そうしたらあんたの顔が眼に浮かんだから
ここに来てみたのよ」
とお母さんは言った。
少し前に、S藤が高校生のときに録音してくれた
ビートルズのカセットテープを久しぶりに聴いたのだった。
シングルの発表順になっていて、それを調べて
録音してくれたものである。
誕生日プレゼントにS藤がくれたもので
それが今でもちゃんと聴けることが素晴らしいなあ、
と思ったばかりだった。
夕方になって、家に帰るまえに、S藤のお墓参りに出かけた。
村が違うので、場所がよく判らなくて、しばらく探した。
お墓の前にマグカップが置いてあって、それをしばらく眺めた。
冷たい風が足元から吹きつけていた。
comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
大島の太陽と潮風にさらされた味わいのある。
04/Jan.2017 [Wed] 18:29
ジーンズの膝がよく破れる。
立ったりしゃがんだり、という動作が多いらしくて
膝が擦り切れて、そのうち破れる。
それでも、もったいないので、膝を縫って履いている。
裁縫の得意なリエさんという女性に頼んで
膝に布を当てて、一針ずつ丁寧に縫ってもらった。
ところが、ジーンズの生地自体が劣化しているのか
継ぎをあてても、やはり膝が貫けてゆく。
(これはもう寿命かな?)
と思ってあきらめた。
そういうジーンズが三本もあって、捨てようか?
と迷っているときに
S原さんという建築家と飲むことになった。
S原さんは藤森さんのお弟子さんで、今は東京の
建築事務所で働いている。
その前はロンドンにいて、やはり建築事務所で
働いていたのだそうだ。
ロンドンには古着屋さんがたくさんあって
そこをを巡るのが好きだったという。
日曜日に市が立つと足しげく通っては古着を
探していたらしい。
「ぼくのジーンズで良い味になっているものが
何本かあるんですけど、興味がありますか?」
と訊いてみると、即答で「欲しい」と言われた。
「焼酎造りの激しい仕事で、破れた膝を何度も継いだような
ものですよ?」
としつこく確認した。
こんなものを欲しいという人がいること自体、驚きだったからだ。
伊豆大島に戻ってから、そのジーンズをS原さんの
ところに宅急便で送った。
すぐに連絡が来て、どれも良いという。
あれから四年が経って、またジーンズの膝が切れた。
たてつづけに二本、ダメになってしまった。
アイロンでくっつける膝あてがあって、それを裏から
あててみたけれど、やはり生地が薄くなって
二三回履くと、また別のところが破れてきた。
今日、スマホを見ていたら、ニュースで
瀬戸内海の漁師さんが一年間履いたジーンズが
元の値段の倍で売れた、という記事が出ていた。
瀬戸内の海と太陽で、良い味に色落ちしたジーンズを
欲しがる人が多いのだそうだ。
そうか、やっぱり欲しい人がいるんだ。
(ぼくのジーンズも売れないかなあ?)
と妻に言うと、
「ダメでしょ」
と一言で片付けられてしまった。
せめて新品のジーンズと交換してくれるような人が
現れないものかなあ? と思った。
大島の潮風と、焼酎造りの現場で耐えてきた
味わいのあるジーンズ。
いいじゃないですか。
comments (2) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
子供から教わる大切なこと
25/Dec.2016 [Sun] 17:16
風呂釜の修理をしてくれたI澤さんが帰ってから
今度は一人で、錆びている部分に錆び止め液を塗った。
この錆び止めは、錆びたところに塗ると、
錆びがそのまま硬化してしまう、という
優れものである。
焼酎工場で使うために買ってあるけれど
家のまわりも鉄を使った部分はどんどん錆びるので
気が付いたときに塗ることにしている。
とにかく海の近くに住んでいると
潮が雨のように降ってくる。
そして何もかもが錆びて朽ちてゆく。
海岸に沿ってテトラポットを置くようになったのも
潮が舞う原因のひとつだ。
風呂釜の下の部分が錆びていてそこを塗った。
隣の家のお孫さんが、一人で遊んでいて
「今日は一人か? 」
と声を掛けたら、
「うん。じゃあねえ、ぼくの名前を言うね。
00たくやっていうの。小学校一年生」
と言った。
人懐っこい子で、何か外で作業をしていると
必ず寄ってきて、ジッとそれを見ている。
錆び止め液を多めに出してしまって、それがまだ余っているので
「おじいちゃんにどこか塗るところがないか聞いてきて」
とたくや君に言った。
「うん」
と言って家の中に走っていった。
おばあさんが出てきて
「いいよ。大変だでえ」
と言った。
液はもう捨てるしかないから、というと
「それなら、雨戸の戸袋が錆びているから
そこを塗ってくれない?」
と言われた。
背の高いところで、脚立を持ってきてそれを塗った。
お菓子をくれるというので
「食べないからいいよ」
と断ると、
「それならリンゴをくれるョ。
甘くておいしいよ」
と言って、リンゴを二つ貰った。
甘い香りがして、美味しそうなリンゴだった。
自分が子供に戻ったような甘酸っぱい気持になった。
夕焼けがところどころちぎれるように
海に沈んでいくところだった。
comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
寒い日は湯船が身にしみる。
23/Dec.2016 [Fri] 16:10
今日は再び風呂釜の修理にI澤さんが来てくれた。
午後二時で、
「お昼は食べたの?」
と訊いたら、まだ食べていないという。
朝の船で大島に来て、レンタカーを借りたら
ナビゲーションが付いていなかった。
それで苦労をしながら二軒、住所をたよりに
家を探した。
ところが大島では、番地はあっても、それが
順番通りには並んでいないので、人に聞いたほうが
早いことに気が付いた。
しかし人に聞いても、
「そこだよ」と指さされたところには家が見当たらなかったりする。
そんな苦労をしながら修理をしてきたという。
二時半には、レンタカーを返さなくてはならないらしい。
「えっ? じゃああと三十分しかないの?」
と訊くと、そうなんです、とI澤さんは苦笑いをしながら言った。
持参して貰った部品の径が微妙に合わないことが
風呂釜を開けてから判明し、
今回は修理にならないという。
「とりあえず、傷んでいるパッキンを替えておきましたよ。
これはサービスでやっておきますから、
御代は戴かなくて結構です」
とI澤さんは言った。
急いで、台所に行ってお湯を沸かして紅茶を淹れた。
パンを温めて、ミルクティーと共にそれをI澤さんのところまで持っていった。
修理の道具をヤマト運輸で送りたいけど
どこかお店がないか? と訊かれたので
「それはうちで出来るから、荷物だけ預かって
あとで送ることにするよ。だから今、これ、急いで食べなよ」
とぼくは言った。
今日の船で帰るのだそうだ。
修理は出来なかったけれど、この部品はまだ当分のあいだは
持つだろう、ということが二人で見てわかった。
今日は自分で錆びているところに錆び止め液を塗ろうと思っていたので
風呂釜の器械はそのまま開けておいてもらって
I澤さんにはパンを食べてもらった。
現場で働く人は気持の良い人が多い。
パッキンまで替えてもらって、本当に
ありがたいことだったなあ、と思った。
「次回、もし大島に来ることがあったら
必ずこの部品を持ってきますから」
とI澤さんは言ってくれた。
「ありがとうね。気をつけて帰ってね」
そう言ってI澤さんを見送った。
さて、錆び止めを塗って、風呂釜の修理は完了だ。
comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
お風呂に浸かれることの歓び。
20/Dec.2016 [Tue] 17:14
不思議なものだなあ、と思いながらご飯を食べていた。
風呂釜の修理に来てもらった、I澤さんと共に
自宅の食卓でお昼ごはんを食べた。
朝、I澤さんを港まで迎えに行って、そのまま現場にお連れして
風呂釜を修理をしてもらった。
部品を替えれば、それで直ることも判って、
二人でホッとして、ご飯を食べることになったのだ。
おかずは妻があらかじめ作っておいてくれた
大根の煮物と、サトイモの煮付けだった。
味噌汁はI澤さんが修理をしているあいだに
ぼくが作った。
ご飯を温めて、二人で食べたのだった。
そうしてまったく見知らぬ人と自宅の食卓で
ご飯を食べていることに、不思議な感慨を覚えた。
昨日までこんなことになるとは考えてもみなかった。
(修理をしても、部品を替えるだけでは直らない場合も
ありますので、そうなると、風呂釜を全部取り替えることに
なります。その場合は、修理が無駄になります。
またその場合でも東京からの往復の船賃とサービス料金は
別途掛かってしまいますが、よろしいでしょうか?)
とサービスセンターの人に訊かれたのだ。
二日間、考えたけれど、自分で風呂釜を見るかぎり
そこまで傷んでいないだろう、と思った。
それで
(まあダメでも仕方ないや)
と思って、修理の人に来てもらうように連絡を取った。
お昼はどこかで勝手に食べてもらってもいいけれど
近所には食べるところがないし、ぼくも焼酎の仕込みは休んだので
それならご飯を一緒に食べよう、と言うことになったのだった。
I澤さんは若くて、まだ二十代に見える。
ご飯はいつも外食なんですか? と訊くと、もう三十三歳で
お子さんも二人いるのだそうだ。
「そうなんですか? そんなふうには見えないなあ」
と話して、それから世間話に花が咲いた。
ボタンひとつで、こうしてお風呂にお湯をためることが
できるなんて、どんなに素晴らしいことか、と
ぼくは言った。
若い人にはつまらない話だろうと思ったら
「子供たちにもそういうことを知って欲しいので
なるべくキャンプとかに出かけて、焚き火からお湯を
沸かしたりしているんですよ」
と相槌を打ってくれた。
修理が一通り終わったあとで伝票を食卓で書きながら
「こんなふうに伺ったお宅の中で伝票を書くなんて初めてですよ」
とI澤さんは言った。
ふだんは外で、伝票を書くのだそうだ。
風呂釜はたいてい屋外に設置してあるので
冬の作業は大変だろうなあ、と思った。

「実は来週も大島に修理に来るんですよ」
とI澤さんは帰りの車の中で言った。
立て続けに二軒、修理の依頼が入ったという。
「なーんだ、それなら一緒に見てもらえば、良かったね」
とぼくは言った。
やはり大島でもこの風呂釜を使っている人もいるんだなあ、
ということがわかった。
今日、風呂釜を開けて、さらに部品を取り替えておいたほうが
いいところが見つかったので、
「それなら来週もう一度来たときに、あそこの部分を取り替えてくださいよ」
とお願いした。
時間が余ったので、蔵に寄って、焼酎の試飲をしてもらった。
焼酎が好きなのだそうだ。
「うまい。これ本当にうまいっす」
I澤さんの嬉しそうな笑顔を見て、修理に来てもらってよかったなあ
と思った。
今日からまた自宅の風呂に浸かれるんだ、と思うと
ホッとしたような嬉しさが身体の奥底からじわじわと
湧いてくるのがわかった。
comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
<<<<< 2017,Apr >>>>>