日本で唯一の屋根に椿の木を植えた店舗から作家、社長、杜氏である谷口英久が綴る抱腹絶倒の「Blog」
日ごろの鍛錬が物を言う。
23/Oct.2018 [Tue] 17:00
朝、ゴミを出しに行くと、隣のおばさんがゴミを出しているところだった。
「おはようございます」
と声を掛けると、
「ヒデ坊もずいぶん痩せたなあ」
と言いながら、ジロジロと不躾な視線で上から下まで値踏みをするように
見つめられた。
おばさんにとってはぼくはまだ「ヒデ坊」なのだ。
同級生のお母さんなので、まあ仕方がないけれど
黙っていると何を言われるかたまったものではない。
「かわいそうにねえ」
とぼくはすかさず言った。
すると、可笑しそうに、ケラ、と笑って
それからげらげら笑った。
ぼくも可笑しくなって笑った。
「可哀想じゃないよ」
とおばさんは言って、なおも嬉しそうに背中を丸めて笑っている。
うはは、どうだ、こういう返しが出来るには
やはり相応の鍛錬が必要なんだ。
「そんなことないよ」
でもいけないし
「うん」
ではつまらない。
やっぱりここは、この言葉しかない。
朝から決まったぜ。
意気揚々と家に戻って、それからお茶を啜った。
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やすらぎの場所でつぶやく。
10/Oct.2018 [Wed] 17:59
「お風呂場に植物を置いたら、雰囲気がもっと良くなるよ」
と妻が言った。
何を置くつもりなのか訊いてみると
今まで部屋の窓辺に置いてあった蘭の鉢植えだという。
工場の裏でひっそり生きていた蘭の葉を移植して
家の窓辺に持ってきたのだ。
(じゃあ、やってみようよ)ということになって
その蘭の鉢植えを二つ、お風呂場の窓辺に置いてみた。
おおー、良い感じじゃん。
「ほらね、わたしの言ったとおりでしょ?」 と妻は得意げに言った。
確かに、窓辺に緑があると、グッと雰囲気が良くなる。
無機質なお風呂場が、その鉢植えを置くことで安らぎの場所に変わったよう
に思えた。
それで毎日、お風呂を沸かす前に、この蘭の葉に水を掛けて、
撫でてみることにした。
すると、新しい芽が急に出てきてそれがどんどん伸び始めた。
新しい葉は新緑の色をして、活き活きとしている。
今まで部屋の窓辺に置いてあったときは、こんなに芽吹いたことは
一度もなかったので、驚いてしまった。
「そりゃそうだよ。撫でると植物は喜ぶからね」
妻は植物が好きで、小さな庭に色々な花や葉を植えては
楽しんでいる。
工場の裏にも花を植えているけれど、手伝いに来てくれるタケシ君が
知らずにその葉を刈ってしまうので、今度は家にそれをせっせと移しているらしい。
とにかく、蘭の葉はどんどん芽吹いてきて、それが今、ぼくにとっても
嬉しいことになった。
お湯に浸かりながら、この鉢植えを眺めていると
古い親しい友人と語り合うような、ゆっくりした気持ちになる。
緑がたくさんある家って、いいなあ。
素晴らしいことだよなあ、と思った。
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夏の思い出と入道雲。
14/Sep.2018 [Fri] 8:17
えーとですね、なにかを書こうと思っていたわけですけど
忘れてしまったので、どうしたものか、と考えているわけです。
このあいだは、藤森照信さんが設計した秋野不矩美術館の
二十周年記念の式典があって、浜松まで出かけてきました。
暑い盛りのころで、前日に熱海から浜松まで出て、友人のところに
顔を出しました。
友人は古い車をレストアする仕事をしていて、どうしてこの人と友達に
なったのか? というと,この人は藤森建築ファンで、どうしても自宅兼店舗を藤森さんに造ってもらいたいと思っていた。それで、藤森さんとコンタクトを取りたいと思っていたそうなんですね。
しかし、藤森さんは、もう雲の上のような存在になってしまって、設計をお願いしても、そう簡単に「ほいきた」と受けてくれない。
まあそんな困難をものともせず、手紙を何度も書いて、とうとう設計をお願いし、店舗と自宅を建てた、という人なんです。
しかも素朴な誠実な人柄で、一度その店舗を建てるときに手伝いに行ったのをきっかけにして、ものすごく仲良くなってしまった。
一緒にご飯を食べて、話しているだけで、楽しい。
仕事の話も楽しいし、悩みごとなんかを聞いているのも楽しいわけです。
不思議なものですよね。
だって今までぜんぜん知らなかった間柄なのに、何時間も一緒にいて
話が尽きない、というようなことがあるのかって、あるんです。
それで夕方になってしまったので、そろそろお暇(いとま)をしようとしたら
「掛川に行くなら、天竜浜名湖鉄道っていう、一両の風情のある鉄道がありますよ」って教えてくれて、その駅まで送ってくれたわけなんです。
無人の、切符も売っていない、という鉄道で、その友人一家に見送られて
掛川までの道のりをトコトコ、小さな電車に乗って走っていくわけですが
これがまた良いんですね。
一緒に電車に乗ったおばあさんとちょっと話したら、おばあさんは温泉に浸かりに毎日、この電車に乗って、出かけてくる、ということ。
へえー、良いですね。うらやましい、と言いながら、
どんどん小さくなってゆく友人たちに手を振って
電車が走り始めました。
掛川には親戚がいるので、今日はそこに泊めてもらって、しかし、それにしても夕暮れの中をゆっくりとした速度で走りぬけながら、田んぼのあぜ道をおばあさんと犬が散歩しているのを眺めたり、案山子が立っていたり、電車の窓すれすれまで樹の葉っぱが伸びてきていたり。
ああ、いいなあ、なんて良いんだろう。
来て良かった。
そう思う一日でした。
明日になればその友人一家も式典に来るので、また会えるけれど
やっぱり式典になると忙しいし、色々な知り合いも来るからなかなかゆっくりは話せないし、まあ、今日来て、本当に良かった、と夕暮れの中を電車に揺られて思ったのでした。
思い出しましたよ、今日書きたかった話は、お風呂場に緑を置いたらどうだろう? と妻が言い出して、蘭の鉢植えを置いてみたんです。
急に思い出したけど、まあ、そのはなしはいずれまた。
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いつもこんなことを呟いてため息をついているんだな。
11/Aug.2018 [Sat] 17:28
台風が近づいてきている。
ゆうべもかなりの量の雨が降って、今日の午後には本格的に島に近づいてくるという。
朝になって倉庫に行ってみると、雨漏りしていることがわかった。
ここはもう古いので屋根のコンクリートに亀裂が入って、そこから
雨が漏れてくるのである。
亀裂の部分を削って、そこにコーキングを流し込み、なんとか修理をしたけれどやはりコーキングが古くなってくると、同じように水が染みてくる、らしい。
やれやれ、今日は焼酎の瓶詰めをしておきたかったけれど
仕方がない、一度工場に出かけて、修理の道具を持って、もう一度ここまで
戻ってくることにしよう。
(いつもこんなことを心の中で呟いてため息をついているんだな)
幸いなことに今は雨も止んでいるので、なんとかこのあいだに
雨漏りの修理をしてしまいたい。
あと二時間くらいは雨も降らない、という予報である。
ハシゴに、コーキング、それにコーキングのヘラ、を車に積んで
もう一度、倉庫に戻ってきた。
途中で、サイクリングをしているカップルを見かけた。
中年の男性はステテコ姿で、女性は自転車を停めて、上着を脱ごうとしているところだった。それを男性がすごい形相で見つめていた。
なんだってあんな形相で相手を見つめているんだろう? と思った。
おいおい、これから台風なんだぞ、そんな呑気なことをしている場合ではないぞ、と思いながら、車で走りぬけた。
あまりに疲れている人や、ちょっとこれは目的地まで辿り着く事が出来そうにもないような人を見かけたときは車を停めて声を掛けることもあるけれど、
今は、そんな余裕はない。
雨が降ってきたら屋根の修理どころではなくなってしまうからだ。
でもヘタに声を掛けると、怪しまれたり、怖がられたり、あとは
せっかくの休みに楽しんでいるんだから、ヘンなこと言わないでください
と怒られたりもする。
そうなのだ。
うちに買い物にきたお客さんが水着を着ていたので
「今日は台風だから、泳ぐのはやめたほうがいいですよ」
と言ったら、その人に
「せっかく休みを取ってきたんですよ」
と逆上されてしまったことがあった。
まあそれぞれ都合があるんだから、台風なんかに構っていられるか、ということなのだろう。
気持ちはわかるけど、でも死んじゃうこともよくあるよ、となんとか伝えたい。
しかしこちらが真剣になればなるほど、相手は引いてゆくので
これはダメだろうな、と思って、諦める。
それで倉庫の屋根に登ると、風がびゅんびゅん吹いて、帽子も、道具も飛ばされそうになった。
ちょっとでも空に近づくと、ひどく暑く感じるのは気のせいだろうか?
なんとかコーキングを塗って、やれやれ、と思って、工場に戻った。
さっきのサイクリングをしていたカップルの姿は見当たらず、
どうか無事に楽しい休暇になってもらえたら、と祈るばかりだった。
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きみは「うな牛」を知っているか?
23/Jul.2018 [Mon] 18:37
浜松町から竹芝桟橋に向かって歩いていると
丼屋の看板が目に入った。
「うな牛」という字が見えて(なんだろう?)と思った。
写真も一緒に付いていて、
鰻の蒲焼の脇に牛肉が載っている。
(うーん・・・)
鰻だけで良いと思うけど、そこに牛肉。
重すぎる。
鰻ならなんとか消化できるけど
そこに牛肉も、というのはちょっと。
胃が過激に反応して、もだえ始めてきた。
横にいた妻に
「うな牛だって」
と言うと、やっぱり同じような表情をしている。
若い頃なら飛びついただろうか? うな牛。
いや、鰻と牛の食感がまず違うから、同じような
感触では食べられないのではないか?
鰻の歯ざわりは格別で、まず前歯で噛んでやわらかさを
味わったあとで、今度は奥歯でそれをもう一度愉しむ。
米粒と鰻の歯ざわりが絶妙なハーモニーを生み出すのだ。
そこに牛肉が入ってきても、もう楽しめる余地がない。
喰えばいいってもんじゃない、と思うけど、
こういうことを言うと近頃は炎上するんだそうですね。
まあ、どっちにしても食べないのだし、鰻だって
近頃は滅多に食べない。
脳の中であの食感とタレの味わいを再現して
(美味しいだろうなあ)とは思うけれど
実際に食べると胃が苦しいので、まず手が出ない。
たいていのことはすぐに忘れてしまうのに
一日経ってもまだ忘れないのは、よっぽど衝撃だったんだろう。
暑いので、日に日に体重が落ちてゆく。
身体に付いたよけいな肉が削げて、動きやすくなった。
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むせび泣く人。
16/Jul.2018 [Mon] 18:21
夕方、日が暮れ掛けている時間に家に帰ってくると
向こうから人が歩いてくるのが見えた。
島では歩く人は少なくて、たいていは近所に出かけるにも車を使う。
だから、島の人ではないのかな? と思った。
狭い道で顔を合わせて何にも言わないのも気持ちが悪いので
「こんばんは」
と声を掛けた。
すると
「あンたは誰?」
と訊かれた。
(うーん誰って言われても、単に挨拶をしただけなんだけど・・)
とも言えず、ちょっと困っていると
「トラさんのお孫さん?」
と訊かれた。
トラさんというのはぼくの父親なので
「いえ、息子です」
と答えた。
「え? お孫さんでしょう?」
とその初老の男性は言った。
短い髪の毛は白髪混じりで、立ち振る舞いからすると
島で暮らしている人ではないように見えた。
父親のことは知っていても、ぼくのことは知らないのだろう。
まあ、孫でも良いか、と思っていると
「お盆でお棚があればお参りしたいけど」
と言われた。
それで家に上がってもらって、お線香を上げてもらうことにした。
しかし、帰ってきたばかりで、家の中は暑くてたまらないだろう。
そう言うと、それでも構わないと言う。
父親の写真を見ると、その人は
「いやあ・・・良い写真だなあ・・・」
と声を詰まらせるようにして言った。
写真は店番をしている晩年の父の姿だった。
店のレジに立って、こちらを見てホンヤリ笑っている。
いつもこうしてレジに立って、店番をしていたので
遺影にもこの写真を使ったのだった。
ロウソクは置いていないので、ぼくがライターで
お線香に火をつけて、その人に手渡した。
すると、男性はなんだか声を詰まらせて
「トラさん、世話になったなあ・・」
と言って大声でこらえきれない、といったように泣いた。
「くっ・・・くうぅっ・・」
という声にならない声が部屋に響いた。
どう声を掛けたら良いのか、わからず、その人の隣に座って、
父の写真を一緒に見ていた。
「本当に良い人だったですよ。
去年も店で(帰ってくれば良いでえ)って言ってもらって
それで帰って来たのに・・」
とその男性は言った。
(良かったねえ)
と父の写真を見ながら、ぼくは大きな声で言った。
そうして頭を下げて、その人を見送った。
もうじきお盆も明けて、何もかも焼いてしまう日が来る。
生きているって何かなあ? と尋ねる人もいない。
同じく死ぬってどういうことかなあ? と尋ねる人もいない。
経験した父に訊いてみたいけれど、父はただ遺影の中で
笑っているだけである。
前歯が抜けてそれがチャーミングに見える。
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不思議な装置
08/Jul.2018 [Sun] 19:38
大島では「お棚」という独特の風習があって
これは亡くなった人を弔うための新盆の儀式である。
白い提灯に戒名を書いたお札を貼り、その提灯に
手と足を模した切り紙をぶら下げる。
これを天井から吊るして、飾る。
その脇に、お葬式で使った白木の位牌と香箱を置く。
あとは一本の串に四つ、団子を指して、これを四本並べる。
キュウリと茄子に爪楊枝で足を付けたものも飾る。
それを新盆の十六日前から家に祀って、近所の人が線香をあげにくる。
新盆が開けて、七月十六日になると、浜で、その飾ったものをすべて火で焼いてしまう。
「お炊きあげ」という行事で、そうやって、ようやく故人は
家族と別れてあの世に行くのだそうだ。
そのお炊きあげのときには、人型を模した提灯も焼いてしまうので
まあ本当にこれで死んでしまった人と袂(たもと)を分かつ、ということなのだろう。
しかし、この季節なので、串に指した十六個の団子は
すぐにカビが生えてくるし、仕事をしながら、団子を作るのは
なかなか大変なことだなあ、と考えてしまう。
先週はこの棚を飾るのに奔走した。
まず、提灯を吊るのに、一苦労をした。
売っているものを買えばそれで済むけれど
それではあまり供養にならないような気がして、
どうにか自分で作れないものか、と思った。
しかし、手と足を模した切り紙も複雑で、写真を見せてもらっても、
これを自分で作るのは無理だろうな、と考え直した。
昔は、この切り紙が得意な年寄りがいて
それぞれの家を廻って、ひとつずつ作ったのだそうだ。
今となっては作り方を教えてくれる人もいないので、
仕方なく、売っているものを買った。
お寺に戒名を書いたお札を貰いに行き、それから白い布を買いに
洋品店に出かけた。
洋品店なんて、もう東京にはないだろうなあ。
こういう単なる白い布は、東京ではどこで買えるものか、
ちょっと見当がつかない。
お棚を飾ると、お線香を上げに来る人がお香典やお供えを持ってきて
くれるので、それもお断りしなければ、と姉と話した。
しかし、家にずっと、二週間も、いるわけにもいかないので
やはり家には鍵を掛けて出かけるしかないだろう。
お線香を上げに来てくれる人がいれば、言ってもらって
鍵を開けてもらうように、姉に頼んだ。
あとはロウソクの火が、提灯の切り紙に燃え移って
火事になった前例があるので、その火には特に気をつけなければ、
ということで、ロウソクは置くのはやめて、
お線香に直接火をつけてもらうようにした。
昔はどの家にも年寄りがいて、こういう役を引き受けていたけれど
もう、そんなことも言っていられない。
妻もぼくも一緒に仕事に出かけるわけで、
そうなると線香番をする人間もいないのである。

とにかく十六日間に渡る、お棚の儀式が始まった。
お棚を飾ると、故人が帰ってきた気配がして
久しぶりに父親と接した気分になった。
話すというより、お互いの気配を察した、というほうが近い感じである。
生きているときも、男同士、積極的に話をするわけでもなかったので
それは今も変わらないのだろう。
そこにいるんだね、というような気持ちになった。
不思議な装置である。
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停電の日に。
29/Jun.2018 [Fri] 17:08
水道の蛇口をひねったら水が出ないので、あれれ? と思った。
モーターが壊れたのかと思ったけれど、電気全体が消えているので
ブレーカーが落ちたのだろう、と思いなおした。
電気製品を使いすぎると、ブレーカーのスイッチが落ちて
工場全体の電気を遮断するようになっている。
200ボルトの電源を使っているために
器械の具合でこうなることがたまにあるからだった。
けれども、ブレーカーのスイッチは落ちてはおらず
(おかしいなあ?)と思った。
これから瓶詰めをするので、とにかく電気が入らないことには
仕事にならない。
しかし、どうなってしまったのか、訳がわからず、しばらく
工場の中の色々なところを点検して歩いた。
うーん、わからない。
まあ、いいや。仕方がないからお茶でも飲もうよ、ということにした。
しかしお湯を出すポットも電源がないと、ボタンを押しても
お湯は出て来ない。
それで、ポットのふたを開けて、お玉でお湯を掬って、急須に入れた。
「お手前~」とモトコさんと言って笑った。
そのうちモトコさんの携帯電話に旦那さんからのメッセージが来て
「停電だけど原因はわからず、復旧の見通したたず」
ということがわかった。
そうなのか。
近頃は電気工事を路上で頻繁に行っている。
そんなこともあって、何か停電の原因になる事故があったのかもしれない。
お茶を飲んでしばらく待ったけれど、電気が来る気配はない。
午前中に瓶詰めを終えて、午後からはラベルを貼ってしまいたいけれど
まあ、仕方がないや。
お昼を食べて、午後一時くらいになれば、電気も復旧するかもしれない。
じゃあ、ずいぶん早いけれどお昼休みにしようよ、ということにして
モトコさんはいったん家に帰ることになった。
妻とぼくは早いお昼を食べて、それから昼寝をした。
なにしろ電気がないし、外は雨で工場の中も真っ暗闇である。
懐中電灯で照らしながら、ご飯を作って、妻ともそもそ食べた。
電話も電気がないと使えないので、注文の電話も入らない。
昼寝をして起きてきても、まだ電気は来なくて
闇の中でぼんやりした。
いいなあ。こんな時間は、滅多にないんだ。
こんなふうに何もすることがなくて、ぼんやりできるなんて
贅沢なことである。
東京電力さん、一体何をしているか、なんて怒っても仕方がない。
そんなことで、闇の中でボーッとした。
停電になってから四時間近く経って、ようやく電気が来た。
良い時間だったなあ。
のんびり過ごせたことで、頭がすっきりした。
たまにこういうことがあると電気のありがたさが身に染みる。
これからはランプも用意しておいてこういうときに備えれば
もっと愉しくなるだろう。
さ、仕事しごと。
モトコさんにメールを出して、瓶詰めに取り掛かった。
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人と話すのは面白い。
21/Jun.2018 [Thu] 17:23
お風呂のお湯を沸かそうとしたら、お湯が出て来ない。
灯油タンクの中が空になってしまったらしい。
そうか。
そろそろ入れなきゃなあ、と思っていたのだ。
でも毎日忙しく働いて、さらに夕方は英語の勉強をしていた。
なんでこんなに忙しくなっているのか、それは自分のせいである。
無理に英語を喋らなくてもいいじゃないか? ということが
チラッと頭をよぎる。
しかし、そうなると、自分の調べたいことが進まなくなってしまう。
どうしても祖父のことを調べたい。
もう一度シアトルに出かけて、そのことを掘り下げたい。
そう思う気持ちがどうしても湧いてくる。
ネイティブの人の喋る英語の速いこと、といったらない。
でもね。
聴いているうちに少しずつ、判ってくるんですね。
初めは判らなかった言葉がひとつずつ、わかってくる。
そうなんですよね。
わかってくると面白くなるし、それに先生と近況を話し合ったり
趣味の話しをすると俄然面白くなるのは人間同士だからだろう。
黒人のマイケル先生がぼくには合っているのか
話しをしていて面白い。
「今日は何があった?」
ということから会話が始まるけれど
「肩が痛くてさ、鍼に出かけたんだよ」
と言ったら、マイケル先生は急に色めき立って
「○×○×は知っているかな?」
と話し出した。
いったい何のことだろう? と思ったら
電極パッドを付けて、痛みを取る方法を説明してくれているらしい
ことがなんとなくわかってきた。
そうは言っても授業もしなくてはいけないので
その話しは途中で切り上げて、あとは自分で調べてみることにした。
ネットで調べてみると、そうか、こういう装置があることは
知っていたけれど、おじいさんが使うものだとばかり思っていた。
マイケル先生によると、痛みというのは脳が感じていることなので
その痛みを微弱電流を流すことによって、痛みとしての信号を変えてあげる方法が有効だと言っているらしかった。
そうか、じゃあひとつ試してみるか、ということになった。
なんでも人の話を聞くのは面白い。
世界中の言葉で世界中の人の話しが聞けたら
どんなに楽しいことだろう。
マイケル先生とは歳が近いらしく、
映画では「ブルースブラザース」のことでも盛り上がった。
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シアトルに渡った祖父を探して。
22/Mar.2018 [Thu] 17:31
今は英語を勉強している。
こんな歳になって、英語を必死になって勉強するなんて
夢にも思っていなかったけれど
とにかく毎日、話すことと、聞き取りの練習をしている。
一日休むと、今まで聞き取れていた単語が聞こえなくなる。
粒になって耳に届いていた言葉が、泥のように固まって
聞き取れなくなってしまう。
口から単語も出てこなくなって、泡を吹くように
もたもたと喋る。
カナダの友人のロブが、新しい言語を話すことは
老いた脳に一番効く、と言っていたけれど
本当にその通りだと思う。
物忘れもしなくなるし、言葉もすぐに出てくるようになった。
しかし、呆け対策のために英語を勉強しているわけではない。
祖父が昔、110年前に、アメリカのシアトルに渡って
ソーダ会社を経営していたので、それを調べに、先月、出かけてきた。
シアトルには巨大な図書館があって、そこで会社のことや
入国してきた外国人について調べることができる。
手がかりは祖父が晩年に作った一冊のアルバムで
その中に、ソーダ会社を設立した当時のお披露目の葉書が
貼ってあった。そこには住所も印刷されていて
それを頼りに探していけば、なにか見つかるのではないか?
と思ったのだ。
30年も前から調べに行きたいと思っていたけれど、他のことを優先して
このことはいつも後回しになっていた。
その重い腰をようやく上げて、ついに先月シアトルに出かけてきたという
わけである。
しかし、大きな問題はシアトルの人の喋る英語が聞き取れない、という
ことだった。
幸いなことに妻が英語が堪能で、本当に何から何まで助けてもらった。
でも一度の滞在では、調べつくすことは出来なくて、
もう一度出かけて調べなければ、と思った。
ひとつのことが見つかると、その枝葉を探って、さらに調べることが
増えてゆくからだ。
ソーダ会社を設立するまでに、祖父はどんなことをしたのか?
なぜ失敗したのか?
それからどうしたのか?
まずはそれを調べたくて行ってみたけれど、今度はその細部も調べなければ
ならなくなった。
今は現地の人とメールでやり取りも出来るけれど、それにしても
英語で文章を書かなければいけないわけで
そんなことも含めて、もう一度英語を勉強している。
単語カードに今日習った文章を書いて
それを仕事場でめくりながら、復習をする。
簡単な単語が出てこなくて、それを辞書で調べる。
いくつになっても勉強をするのは楽しいことよ、と
ロブとは別のカナダの年老いた友人に言われたことがあったけれど
それに目的が伴うと、本当にやる気が出てくる。
知らない人と話すことは楽しい。
ましてやそれが外国の人となると、文化から、その背景から
色々なことがわかって、本当に楽しい。
アメリカは移民の国で、祖先を辿ることについて
話すと、みんな色めき立つように
「It isso exciting story」
と声を揃えたように言う。
それは多くのアメリカ人の祖先が、どこかよその国から渡ってきたからである。
ぼくも、もし祖父がこの島に戻ってこなければ
ここにこうして住んでいることはなかっただろう。
いつか、それをまとめることが出来たら、と思うけれど
それよりもまず今は調べることだ。
先は長いけれど、でも、一歩踏み出した、というわけである。
(こうして書くとかっこ良いように思えるけれど
そんなことはなくて、つまづきの連続である。)
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