日本で唯一の屋根に椿の木を植えた店舗から作家、社長、杜氏である谷口英久が綴る抱腹絶倒の「Blog」 |
「それにしても、真冬に路上で暮らすのは、身体にもきついでしょう?」
ぼくは言った。 「いやいや、慣れてしまえば、何て言うことはないんですよ。 もう終わりも近いわけで、こうしているうちに、いつかは消えてなくなるでしょう」 おじいさんは言った。 自虐的でもなく、本当に素直にそう言っているように聞こえた。 「そうは言っても・・・」 ぼくは言った。 「それよりタニグチさん。あなたは運が良いですね。 きっとご存知ないかと思いますが、あの日、私と別れたあとで、 タニグチさんは事故に遭いませんでしたか?」 おじいさんは言った。 路上は裏通りということもあるけれど、車もほとんど通らず、 午前中の温かい陽を浴びて、我々は話を続けた。 「はい、それもご存知なんですか? まいったなあ」 ぼくは言った。 comments (2) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
「そういえば、鈴木さんの家の近くで、
誠子さんかと思うような女性に会いましたよ。 西洋風の家で、おばあさん一人で暮らしているんですけど、 そこでこのテツを預かってくれていたんです」 ぼくは言った。 「誠子が? うちの近所で?」 おじいさんは言った。 「はい。もしかしたらそんなこともあるのかな? と思ったんです」 ぼくは言った。 「いや、前にも話したとおり誠子は、タロを追いかけて、 洪水の渦に飲み込まれてしまいました。 ですから、その人は誠子とは違うことでしょう」 おじいさんは少し硬い表情になると、そう言った。 まだ何かを胸のうちにひそませているような気がした。 でも、それを追求してどうなる? という気持ちもあった。 「そうですか。やっぱり違ったんですね。変なことを言ってすみませんでした」 ぼくは言った。 「それでその子は、今までいた施設よりも、 もっと環境の良いところに移れることになって、私もホッとしました。 ですから、私の役目はこれで終わったことになります」 おじいさんは言った。 comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
「そうでしょうね。私にだって理解できませんよ。
土地も家も売って、赤の他人の娘さんの面倒を看ると、 誰かに相談されたら、反対したことでしょう。 でも、私にはもうやることもないし、身体が弱って、 老人ホームに入るつもりもありませんでした。 あの家と店も、ああしておいても仕方がありませんし、 それなら体力のあるうちに思い切って全部片づけてしまおう、と思いました」 おじいさんは言った。 「そうだったんですか」ぼくは言った。 「夏に、タニグチさんに、あそこで過ごした 何十年かの出来事を話したことで、 自分のことを客観的に見ることが出来ました。 ああして一人で過ごしていても、仕方がないし、 それよりは、このお金があの子の足しになるのなら、 それが一番良いんじゃないか、と思ったわけです。 誠子もあの子のことはずいぶん心配していましたしね。 誠子の子だったんですよ、あの子は」 おじいさんは言った。 「そうだったんですか・・・・。 いや、なんとなくそんな感じはしていたんですが、・・・ そうですか、・・・それなら、まだ納得がいきます」 ぼくは言った。 内心は驚いて、今の言葉だけでも口にした自分に少し驚いていた。 comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
「足りましたか?」
ぼくは言った。 「ああ、温かいものを食べたのは、久しぶりで、本当に美味しかった」 おじいさんは満足そうに言うと、はずしていた軍手を再び手に付けた。 軍手は二枚、重ねて付けた。長いこと付けているからか、手の形になっている。 それを再び手に付けると、軍手はあるべきところに戻ったように手になじんだ。 「どうして浮浪者になったのか? 訊きたいでしょう?」 おじいさんは言った。 夏におじいさんと話したときのことを急に思い出した。 あのときのおじいさんが、目の前の浮浪者に乗り移っているような奇妙な感触をおぼえた。 「はい」 ぼくは言った。 「お金が無くなったんです。 それであの家と土地を売って、 自分が暮らしてゆく当面のお金は出来ました。 そのお金を入院費にも当てたんですよ」 おじいさんは言った。 「はい。鯛焼き屋さんの会長からその話を伺いました」 「ああ。そうだったんですか。会長さんから・・・。そうですか。 じゃあ、だいたいのことは知っているんですね?」 おじいさんは言った。 「いや、それだけしか知りません。 だいたい、どうして鈴木さんがその娘さんを看ることになったのか、 話を聞いてもまるで理解出来ませんでした」 ぼくは言った。 娘さん、というのは、誠子さんが以前付き合っていた、男の娘である。 その男と、奥さんのあいだに出来た子で、 重度の障害があった、と会長さんから教えられた。 誠子さんとその男が付き合ってゆくうちに、 男の奥さんは次第に調子を崩して、 とうとう自宅の裏だったか、木 の枝にビニールのヒモを引っかけて自殺を図った。 それを見つけた探偵が慌てて助けたけれど、 奥さんも後遺症が残り、娘さんを看る人はいなくなってしまった。 誠子さんも、犬を助けると言って、家を飛び出したことは、おじいさんから聞いた。 その娘さんをおじいさんが看ていたらしい。 comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
「今度はお雑煮にしましょう」
そう言って、焼いてきたお餅をお椀に入れると、そこにおつゆを注いだ。 水筒から出てきたおつゆは、朝日の中で湯気を立てた。 テツが食べたそうに横でそれを注視している。 おじいさんはそのことにも気がつかない様子で、 やはりお雑煮を食い入るように見つめていた。 お餅の上に三つ葉も載せようとしたけれど、 おじいさんはそれには気がつかず、 一心不乱といった面持ちで、お雑煮を食べた。 お雑煮を二杯、おせちもお椀に二回、入れて、 おじいさんはそれをぜんぶ平らげた。 comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
「明けましておめでとうございます」
ぼくは言った。 おじいさんはキョトンとした顔をしてぼくを見つめた。 「今日はお正月? ですか?」 おじいさんは言った。 「はい。元旦です」 ぼくは言った。 「そうか。元旦ですか。それはそれは」 おじいさんはそう言うと、お椀と箸を持って、おせちを食べ始めた。 本当にお腹が空いていたのだろう。 他のことには脇目もせずに、目の前のおせちを食べている。 「おかわりもありますから」 ぼくは言った。 おじいさんは何も言わずに、一杯目を食べてしまった。 comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
買ってきた紙のお椀を袋から出して、
さて、それをどこに置いたらいいのか、少しのあいだ、迷った。 路上の上に置くのは、気持ちとして嫌だった。 そこで鈴木さんにそのお椀を持ってもらって、 持ってきたおせちを箸でつまんで入れた。 おじいさんは何も言わずにそのおせちに見入っている。 生唾を飲む音が聞こえてきそうなくらい、おせちを注視していた。 「どうぞ」 ぼくは言った。 おじいさんはそのお椀をアスファルトの上に置くと、 はめていた軍手を取った。 躊躇なく、お椀を路上に置いたので、ぼくはハッとした。 路上生活が長くなると、こういうことにも慣れてしまうのかもしれなかった。 comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
それから新聞紙の束を道の端に置くと
「どうぞ」 と言った。 おじいさんが座るのだと思っていたので面食らってしまった。 「いや、ぼくより鈴木さんが座って、おせちを食べないと」 ぼくは言った。 「ああ、そうでしたね。ご飯を戴くんでしたね」 おじいさんはそう言うと、新聞紙をもう一束荷物の中から引っぱり出した。 それを路上に丁寧に置くと、ぼくと並ぶようにして座った。 空気は本当に冷たいけれど、日差しを浴びると暖かさが身体に染みた。 それだけで幸せな気持ちになった。 自分が浮浪者になっても、こういう気持ちになるんだろうか? と思った。 comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
「じゃあ、この先まで歩きましょうか?」
ぼくは言った。 「ああ、それが良いです」 おじいさんは言った。 テツはおじいさんの後ろ足にそっと鼻を近づけると、その匂いを嗅いだ。 しばらく考えているようだったけれど、突然「ワン」と吠えた。 嬉しくて吠えているらしかった。 「元気だったか?」 おじいさんはテツのほうを少しだけ振り向くとそう言った。 しゃがみ込んでテツを撫でるほどの元気はないようだった。 服はどこかで拾ったのか、 身体に合わないブカブカしたダウンジャケットを身につけていた。 おじいさんは日溜まりまで歩くとそこに台車を停めた。 comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
「ああ、ありがとうございます」
おじいさんはそう言うと、お辞儀をした。 それから台車を止めて、落ち着ける場所を探した。 「さっきの銀行の前が良いんじゃないですか?」 ぼくは言った。 「ああ、あそこは追い払われてしまったので、 別の場所に移動しようとしていたところです」 おじいさんは言った。 「じゃあ、駅前の、広場にしましょうよ」 ぼくは言った。 「いや、あそこも駅員に追い払われてしまいますから」 おじいさんはそう言うながら、台車を押している。 台車にはさっき自分が座っていた新聞紙やら、 拾い集めた空き缶が溢れるほど載っていた。 comments (2) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
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