日本で唯一の屋根に椿の木を植えた店舗から作家、社長、杜氏である谷口英久が綴る抱腹絶倒の「Blog」
プチトマトの収穫
15/Feb.2017 [Wed] 17:38
右手の人差し指の先端がお昼のあとで急に痛み出した。
なにかを触ると、ズキンと痛む。
これは何かな?
爪を剥がしかけたのかな? と思った。
でも爪はなんともない。
ちょうど鍼に行くところだったので
阪本さんにそのことも訊いてみた。
「うーん、わからないけど、とりあえず瀉血(しゃけつ)をしてみよう」
と言って、小さな道具を取り出した。
糖尿病の患者さんが血液を測定するときに使う道具で
ペンの先端に針が付いているらしい。
それを指先に当てて、シャープペンの芯を押し出すように
お尻のボタンを押すと、針が出て、指先にプツンと小さな穴が開いた。
プチトマトのように指先から紅いものが盛り上がってくる。
指をしごいて、血をどんどん出すように、と言われて
そうすると、血がいくらでも出る。
阪本さんはそれを待っていて、脱脂綿にアルコールを含ませたもので拭いてくれる。
指をしごけばしごくだけ、血が出るので、少し心配になった。
「輸血をしないと・・・」
とぼくが言うと、
「大丈夫。そのうちピタッと止まるから」
と阪本さんは言った。
そんなことを二十回くらいやっただろうか。
血が止まって、もういくら指をしごいても血は出なくなった。
すると指先の痛みも消えてしまった。
うっ血したものを出せば痛みも消えるのだという。
面白いものだなあ、と思って阪本さんにそう言うと
「本当にねえ」
と言って、嬉しそうに笑った。
お地蔵さんのような、しみじみとした笑顔だった。
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もうそういう歳になったんだなあ、と友達が言った。
21/Jan.2017 [Sat] 17:39
仕事をしていると、S藤のお母さんがやってきた。
うちにS藤のお母さんが来たのは
初めてのことだったので、どうしたんだろう? と思った。
お母さんはぼくの顔を見るなり涙ぐんで
眼から涙が溢れてくるのが見えたので、驚いた。
驚いたのと同時に何か悪いことがあったんだな、
と思った。
でも、そんなことは考えたくないな、とも思った。
「ヒロユキがねえ、死んじゃったのよ」
とお母さんは言った。
S藤とは中学一年生のときに同じクラスになった。
気があって、一緒によく遊んだ。
S藤の家にもよく遊びに行ったので
お母さんにもお世話になった。
大学生になって、東京に出てからも、神楽坂から
S藤の住んでいる中野のアパートまでよくバイクで
出かけた。
最後に会ったのは三年前で、お正月休みに大島に戻ってきたので
と言って、焼酎工場に寄ってくれた。
娘さんが一緒で、その子が中学時代のS藤に本当によく似ていて
嬉しくなった。
二年前に寄ってくれたときは、ぼくが出かけていて
会うことが出来なかった。
そのことをときどき思い出して、
「そうだ。連絡をしなくちゃなあ」
と思っていたのである。
昨年の秋に胆管が詰まったことで手術をしたのだそうだ。
すると肝臓に癌が見つかった。
その癌がずいぶん進んでいたのだそうだ。
胆管を手術したあとで、仕事場である大学にすぐに
復帰をしたらしい。
けれども、また具合が悪くなってクリスマスの日に
亡くなったのだそうだ。
お母さんの話しを聞いて、ぼくも涙がとまらなくなった。
お葬式は現役の大学教授だったこともあり
住んでいた街で執り行われたのだという。
「今日、大島のお墓に納骨をしてきたの。
そうしたらあんたの顔が眼に浮かんだから
ここに来てみたのよ」
とお母さんは言った。
少し前に、S藤が高校生のときに録音してくれた
ビートルズのカセットテープを久しぶりに聴いたのだった。
シングルの発表順になっていて、それを調べて
録音してくれたものである。
誕生日プレゼントにS藤がくれたもので
それが今でもちゃんと聴けることが素晴らしいなあ、
と思ったばかりだった。
夕方になって、家に帰るまえに、S藤のお墓参りに出かけた。
村が違うので、場所がよく判らなくて、しばらく探した。
お墓の前にマグカップが置いてあって、それをしばらく眺めた。
冷たい風が足元から吹きつけていた。
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また必ず会おうね。
27/Nov.2016 [Sun] 19:23
カナダからロバートがやってきた。
と言っても、これを読んでいる人には何のことか、わからないだろう。
妻の高校時代の英語の先生が
カナダ人の女性で、ロブ(ロバートの愛称)はその息子さんにあたる。
息子さんと言っても我々よりはずっと年上で
見た目はもうおじいさんのようである。
ぼくが初めてロブに会ったのは18年前のことだった。
奥さんのジャネットも一緒だった。
18年前はぼくものんびりしていて
一緒に遊ぶ時間もたっぷりあった。
ところが今回は焼酎の仕込みにぶつかってしまい
伊豆大島でロブを迎えることがどうしても出来なかった。
さつま芋の仕込みで忙しかったのと
麹菌が身体に入ると、ものすごく気分が落ち込むので
とてもお客さんを迎えるような気持になれなかったのである。
それで東京で一晩だけロブと逢うことになった。
その日は税務署の用事があり、夜なら時間が空いているので
どこかでご飯を食べようということにした。
静かな和食のレストランを予約して
三人で夕食を食べた。
三年ぶりに見たロブは、背中がずいぶん丸まってしまって
歳を取ったなあ、と思った。
ぼくの顔を見ると、ロブは本当に嬉しそうに笑って
「ヒデだよ。これは幻じゃないか?」
と言った。それからお互いに「久しぶりだね」と言って抱き合った。
「今回は本当に申し訳なかったね、ロブ。
大島に来て欲しかったんだけど、どうしても忙しくて
迎えることが出来なかったんだよ。ごめんね」
とぼくは言った。
ロブは東横インというビジネスホテルが気に入っていて
今回は東京での部屋が取れず、秋川のホテルに泊まっているという。
「今日は何を食べたの?」 と訊いたら
「お昼はオムライスを食べたよ」
と言って、笑ってみせた。
しばらくはお互いの近況や、カナダに暮らしているロブの兄弟の
話しをしたけれど、それから亡くなったジャネットの話になった。
18年前は一緒に鎌倉にも出かけて、山の中を散策したね。
それから長谷寺の近くの宿に泊まったよね。
歩きすぎてジャネットの足が腫れあがって
あのときは大変だったね、と話した。
ジャネットのことを思い出すと、ぼくはすぐに泣いてしまう。
ジャネットが亡くなったあと、お遍路さんの道をロブと二人で歩いたときも
ずいぶん色々な話をした。
言葉が途切れると、ビートルズの曲を口笛で吹いて
ロブはそれをなぞって歌った。
春の始まりで、桜の咲く夕闇の中を二人で歩いた。
インマイライフという曲が胸に染みた。

ロブを見送った翌日、大島に戻ってきて、また焼酎の仕込みを始めた。
夜、家に帰ってきて、ホッと一息ついたときに
ロブのことを思い出して、涙が出てきた。
あんなにおじいさんになって、はるばる日本にやってきたのに
どうして大島に迎えてあげられなかったんだろう?
と思った。
ロブはジャネットと過ごした大島の思い出の場所を
一人でも歩きたったんだろうな、と今になって思った。
忙しいことにかまけて、ロブの身になって深く考えなかった自分を恥じた。
きっと後悔することになるぞ、と思って、
妻に頼んでロブに電話をしてもらった。
「一泊でも大島に来ない?」
と訊いてみたけれど、もう約束が入っていて
今回は無理だと言う。
「一人でも楽しんでいるから、心配しないようにヒデに伝えてくれよ」
とロブは言っているという。
秋川渓谷を散策して、紅葉の素晴らしい道を歩いたのだそうだ。
「また必ず日本に来るから、そのときは大島で会おうね」
と話して電話を切った。

今日、ロブはカナダに帰っていった。
さよなら、ロブ。
また必ず会おうね。
秋の空に雲がひとつ浮かんでいる。
夕暮れがその雲を柿色に染めていた。
その柿色の雲をしばらく眺めてから、また仕込みに戻った。
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台風凄かったですね。
22/Aug.2016 [Mon] 17:56
台風、すごかったですね。
もうね、雨がザバザバと降ってきて
窓から外を見ていても、すぐ向こうの屋根が
見えないくらい、白く霞んでいました。
こうなると家の天井から雨漏りもしてくるし
寝室の窓ガラスからは水が入ってきます。
風に押されて雨水が窓のどこからか浸入してくるらしいんですが
しかし、床が濡れるので困ります。
これが何時間も続けば、本当に水浸しになるだろうなあ、
と思いながら、台所からボウルを持ってきて
水が垂れてくる場所に置きました。
こういう日は昼寝が一番。
雨戸を閉めているので、家の中も暗いし、
風と雨の音を聞きながら眠るとよく眠れます。
心配はしているんですけど、その一方で
それ以上考えても仕方ないよ、と思ってしまう。
よく眠れることはありがたいことです。

気にしていたのは三年前の台風で大きな被害があった
元町という街に、また水が溢れるのではないか? 
ということでした。
知り合いのIさんの家は民宿をしていたのですが
やはりその民宿は水害で大変なことになり
この三年間、営業も出来ず、仮設住宅で暮らしていました。
三年を経て、ようやくそこに新しい店を作り直して、
もうすぐ再開というところまで来ていたので
ここでもう一度被害に遭ったら辛いなあ、
と思っていました。
でも、今回は大きな被害もなく、ホッと一安心。

ご心配してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
東の空に手を合わせて、何事もなかったことに
お礼を言いました。
工場はどうなったのかって? 雨がだいぶ小降りになったので
もう少ししたら見に行ってみます。
ありがとうございました。
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そんなことがあるかなあ?
09/Aug.2016 [Tue] 18:59
近頃は暑いせいか、雀がご飯を食べに来ない。
仏さまにお供えしたご飯を雀におすそ分けして
庭にまくのだけれど、雀がちっとも食べに来ない、
と妻はつまらなさそうに言った。
ところが今朝はその雀がたくさん電線にとまって
ご飯を待っているので嬉しくなったの、と言った。
しかし、それは雀ではなくてツバメだった。
眼が悪いので、よく見えていないらしい。
たしかに、ツバメが横並びに電線にとまっている。
一羽、また一羽と、見ているあいだにも、その数は増えている。
春からの巣作りと子育ても終わって、これから群れを作って
どこか南の暖かい地方へ移動するのかもしれない。
暑いとは言っても、ツバメたちには、移動する季節なのだろう。
そうか、もうそんな季節なのか。
渡ってゆく途中で死んでしまうツバメもいることだろう。
渡るのは過酷な旅なのだ。
だからみんなで群れを為して飛んでいく必要があるのだ。
このツバメたちが集まる風景を見ると
なんともいえない気持にさせられる。
窓辺から離れて、朝ごはんを食べていると
「あっ、リス。リスがご飯を食べに来た」
と妻が大きな声で言った。
尻尾の大きな台湾リスが屋根に登ってきたという。
(そんなことがあるかなあ?)
と思いながら、味噌の効いた濃い味噌汁を飲んだ。
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びっくりしたなあ。 5
26/May.2016 [Thu] 6:53
「昔のままですか?」
ぼくはI葉さんに訊いた。
「はい」
もう言葉よりも眼が先に動くという風にI葉さんは
家の中を見渡している。
十年前に改修をしたときに、より原型に近い形に戻したのだ。
祖父が移築したあとで付け足したお風呂場や洗面所は別の場所に移した。
ただし客間だけはもう使わないので、畳敷きを板張りに変えて
ある。
廊下だったところは、そのまま板張りの部屋と一体化させた。
しかし、だからと言って原型を損なうようにはなっていない。
設計者と何度も相談して改修したのである。
ぼくは奥にある囲炉裏の部屋のことを話した。
ここにはかつてI葉さんのおばあさんが座っていたらしいことを
聞いたことがあったからだ。
でも、350年も経った家なら、本当に様々な人が座っていたことだろう。
I葉さんはご家族で撮ったいう古い写真を見せてくれた。
この家の前で撮ったものだという。
I葉さんはまだ赤ちゃんで、お母様に抱かれていた。
たしかにこの家の前で撮った写真で、それを見ていると不思議な気持になった。
かつて縁側があったこの家の前で、知らない家族が写真に写っている。
その奥には見たことのない庭が広がっている。
この家を大島に持ってきて建てたときに島の大工さんたちでは
建てることが出来なかったことも、叔母から聞いたことがあった。
釘を使わず、木組みだけで建ててあるために、構造がわからないと
組み立てられなかったのだろう。
そこで、伊東から宮大工を呼んで、建ててもらったのだそうだ。
襖には中国の漢詩が書かれていて、そこには明治乙巳春日と記されている。
およそ百十年前のものであることが改修のときにわかった。
酸性紙が破れてきて、京都に直せる人がいるということで
そこまで送って張り替えて貰った。
やはり島には直せる人がいなかったからだった。
するとその襖の中から染物の売り上げ台帳の紙が出てきた、ということで
それも一緒に京都から送ってもらったことを、ぼくはI葉さんに
話した。
大川村でこの襖を張り替えたときには、紙は貴重なものだったのだろう。
それで一度使った台帳を襖の中に使ったのではないか?
と京都の経師屋さんは教えてくれた。
十分という時間はあっという間に過ぎてしまった。
でもI葉さんにこの家を見てもらうことが出来て
本当に良かった。
今度はぼくは大川村に出かけて、この家が建っていた場所を
訪れることにしたい、と思った。
囲炉裏の火を眺めると不思議な気持になる、その気持の根っこの
ところがなんとなくわかったような気持になった。
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びっくりしたなあ。 4
24/May.2016 [Tue] 7:05
もう十年前になるだろうか、この家が傷んでひどいので
原型はそのままに改修をしたのである。
ずっと改修がしたかったけれど、その前にツバキ城を
建てることになって、なかなかその工事に入れなかった。
改修にはお金が掛かるし、さらにその改修をきちんと出来る
設計者と工務店がいなければ、話にならない。
そんなことでなかなか着工できないまま、
冬は家の中でダウンジャケットの上下を着て暮らしていた。
すきま風がびょうびょうと入り込んできて
寒くて仕方がなかった。
そんなことをI葉さんに話しているうちに車は家に着いた。
すぐ後ろを付いてきたタクシーから
奥さんと娘さんも降りてきた。
「少しだけ待って貰えますか?」
と言って、洗濯物やら、なにやら、気になるものを片した。
玄関を入るなり、I葉さんは唸るような声をあげた。
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びっくりしたなあ。  3
17/May.2016 [Tue] 17:24
「父はそれまでシアトルに住んでいました」
とI葉さんは言った。
そうか、それで判った。
祖父も18歳のときに伊豆大島を出てアメリカのシアトルに渡り
そこでソーダ会社を設立して仕事をしていた。
そのときに知り合ったのではないか? と思った。
I葉さんにその話しをすると
「そうか、そうですね。その通りかもしれません」
と膝を打つようにして言った。
何しろ古い家で、伊豆にあった時点で350年経った家だと
言う。
I葉さんは今71歳で、それというのも、お父様がシアトルから
日本に戻ってきて、その後、結婚されて生まれた子供だったのだそうだ。
「父が50歳のときに生まれたんですから」
と言った。
「それでね、私はあの家に小学校一年生のときまで暮らしておりました」
I葉さんは言った。
I葉さんは三年前に脳梗塞に掛かり、なんとか動けるうちに
大島にあるその家を見ておきたい、と思って出かけてきたらしい。
「近所に大島出身の人がいて、きれいに直して住んでいるよ、って
聞いていましたから、それも気になって・・・」
とI葉さんは言った。
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びっくりしたなあ。 2
13/May.2016 [Fri] 7:01
今から父親を病院に連れていかなけれればいけないので
家を見てもらうにしても時間は10分くらいしかない。
それでもいいかどうか? と訊いてみると
「私たちも、これから船に乗って帰るところだから・・・」
と言う。
じゃあまあ、とにかく、もう一度、家のあるところまで戻って
中を見てください、ということになった。
しかし、急にそんなことになっても、ふだん生活をしている
場所なので、きちんと片付いているわけではない。
お客様を迎えるように掃除もしていないし、どうしたものかなあ、
とも思った。
妻に訊くと
「干してある洗濯物だけは片付けて欲しい」
と言われた。
大島では急に雨が降りだすことがよくあるので
洗濯物は家の中に干してある。そのことを言っているのだ。
たしかになあ、と思った。
旦那さんだけ、ぼくの車に乗っていただくことにして
その車の中で話すことにした。
旦那さんはI葉さんと言って、大川村でわさび漬けを
作って販売をしているのだそうだ。
大島に来るのは三度目で、いずれもぼくの住んでいる家が
見たくて来てみたけれど、家主には会えず、今回も会えないまま
帰ることになるな、と思っていたらしい。
かつては染物をしていた家で、それをI葉さんのお父さんが
ぼくの祖父に売ったという。
「うちの祖父さんとお父様は
どこで知り合ったんでしょうね? そしてどういうわけで
ぼくの祖父はあの家を買ったんでしょうね?」
とぼくはハンドルを握りながら言った。
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びっくりしたなあ。 1
10/May.2016 [Tue] 17:03
朝、味噌汁を作って父のところに出かけてゆくと
父親がお腹が痛いと言う。
なにしろ高齢なので、なにかあって寝込んでしまうと
大変なことになる。
お腹は見せてもらうと盲腸のあたりが膨らんでいて
「こりゃ、ヘルニアかなあ」
と思った。
病院の予約を取り、午後になって、さて、
父を家まで迎えに出かけようか、と思っていると
父の店で働いている従兄弟から電話が掛かってきた。
「今、お客さんが来て、家を見せて欲しいって言っている」
と従兄弟は言った。
自宅とぼくの仕事場である焼酎工場とは離れているので
すぐに、と言われてもむつかしいものがある。
「伊豆の大川村から来た人で、家の持ち主だった人みたいだよ」
と従兄弟は言った。
「それで? その人は?」
とぼくは訊いた。
「俺には分かんないから、工場に行くようにしてもらった。
今そっちに向かっているから」
と言う。
こういう話も突然、降ったように湧いてくるから悩ましい。
工場の外に出て待っていると、しばらくしてそのお客さんを乗せた
タクシーがやってきた。
車から降りようとしているところを窓を開けてもらって
その人と話した。
初老の男性とその奥さん、若い娘さんも乗っている。
話しを聞くと、やはり、今ぼくが住んでいる家の
元の持ち主だった人らしい。
祖父が伊豆から買ってきた家で、大川村にあったということだけは
わかっていたけれど、それ以上のことは何も知らない。
一度、大川村に出かけて、話を聞いてみたいと思っていたけれど
闇雲に出かけても、仕方がないだろうなあ、と考えて
もう三十年近くが経ってしまった。
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