日本で唯一の屋根に椿の木を植えた店舗から作家、社長、杜氏である谷口英久が綴る抱腹絶倒の「Blog」
むせび泣く人。
16/Jul.2018 [Mon] 18:21
夕方、日が暮れ掛けている時間に家に帰ってくると
向こうから人が歩いてくるのが見えた。
島では歩く人は少なくて、たいていは近所に出かけるにも車を使う。
だから、島の人ではないのかな? と思った。
狭い道で顔を合わせて何にも言わないのも気持ちが悪いので
「こんばんは」
と声を掛けた。
すると
「あンたは誰?」
と訊かれた。
(うーん誰って言われても、単に挨拶をしただけなんだけど・・)
とも言えず、ちょっと困っていると
「トラさんのお孫さん?」
と訊かれた。
トラさんというのはぼくの父親なので
「いえ、息子です」
と答えた。
「え? お孫さんでしょう?」
とその初老の男性は言った。
短い髪の毛は白髪混じりで、立ち振る舞いからすると
島で暮らしている人ではないように見えた。
父親のことは知っていても、ぼくのことは知らないのだろう。
まあ、孫でも良いか、と思っていると
「お盆でお棚があればお参りしたいけど」
と言われた。
それで家に上がってもらって、お線香を上げてもらうことにした。
しかし、帰ってきたばかりで、家の中は暑くてたまらないだろう。
そう言うと、それでも構わないと言う。
父親の写真を見ると、その人は
「いやあ・・・良い写真だなあ・・・」
と声を詰まらせるようにして言った。
写真は店番をしている晩年の父の姿だった。
店のレジに立って、こちらを見てホンヤリ笑っている。
いつもこうしてレジに立って、店番をしていたので
遺影にもこの写真を使ったのだった。
ロウソクは置いていないので、ぼくがライターで
お線香に火をつけて、その人に手渡した。
すると、男性はなんだか声を詰まらせて
「トラさん、世話になったなあ・・」
と言って大声でこらえきれない、といったように泣いた。
「くっ・・・くうぅっ・・」
という声にならない声が部屋に響いた。
どう声を掛けたら良いのか、わからず、その人の隣に座って、
父の写真を一緒に見ていた。
「本当に良い人だったですよ。
去年も店で(帰ってくれば良いでえ)って言ってもらって
それで帰って来たのに・・」
とその男性は言った。
(良かったねえ)
と父の写真を見ながら、ぼくは大きな声で言った。
そうして頭を下げて、その人を見送った。
もうじきお盆も明けて、何もかも焼いてしまう日が来る。
生きているって何かなあ? と尋ねる人もいない。
同じく死ぬってどういうことかなあ? と尋ねる人もいない。
経験した父に訊いてみたいけれど、父はただ遺影の中で
笑っているだけである。
前歯が抜けてそれがチャーミングに見える。
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不思議な装置
08/Jul.2018 [Sun] 19:38
大島では「お棚」という独特の風習があって
これは亡くなった人を弔うための新盆の儀式である。
白い提灯に戒名を書いたお札を貼り、その提灯に
手と足を模した切り紙をぶら下げる。
これを天井から吊るして、飾る。
その脇に、お葬式で使った白木の位牌と香箱を置く。
あとは一本の串に四つ、団子を指して、これを四本並べる。
キュウリと茄子に爪楊枝で足を付けたものも飾る。
それを新盆の十六日前から家に祀って、近所の人が線香をあげにくる。
新盆が開けて、七月十六日になると、浜で、その飾ったものをすべて火で焼いてしまう。
「お炊きあげ」という行事で、そうやって、ようやく故人は
家族と別れてあの世に行くのだそうだ。
そのお炊きあげのときには、人型を模した提灯も焼いてしまうので
まあ本当にこれで死んでしまった人と袂(たもと)を分かつ、ということなのだろう。
しかし、この季節なので、串に指した十六個の団子は
すぐにカビが生えてくるし、仕事をしながら、団子を作るのは
なかなか大変なことだなあ、と考えてしまう。
先週はこの棚を飾るのに奔走した。
まず、提灯を吊るのに、一苦労をした。
売っているものを買えばそれで済むけれど
それではあまり供養にならないような気がして、
どうにか自分で作れないものか、と思った。
しかし、手と足を模した切り紙も複雑で、写真を見せてもらっても、
これを自分で作るのは無理だろうな、と考え直した。
昔は、この切り紙が得意な年寄りがいて
それぞれの家を廻って、ひとつずつ作ったのだそうだ。
今となっては作り方を教えてくれる人もいないので、
仕方なく、売っているものを買った。
お寺に戒名を書いたお札を貰いに行き、それから白い布を買いに
洋品店に出かけた。
洋品店なんて、もう東京にはないだろうなあ。
こういう単なる白い布は、東京ではどこで買えるものか、
ちょっと見当がつかない。
お棚を飾ると、お線香を上げに来る人がお香典やお供えを持ってきて
くれるので、それもお断りしなければ、と姉と話した。
しかし、家にずっと、二週間も、いるわけにもいかないので
やはり家には鍵を掛けて出かけるしかないだろう。
お線香を上げに来てくれる人がいれば、言ってもらって
鍵を開けてもらうように、姉に頼んだ。
あとはロウソクの火が、提灯の切り紙に燃え移って
火事になった前例があるので、その火には特に気をつけなければ、
ということで、ロウソクは置くのはやめて、
お線香に直接火をつけてもらうようにした。
昔はどの家にも年寄りがいて、こういう役を引き受けていたけれど
もう、そんなことも言っていられない。
妻もぼくも一緒に仕事に出かけるわけで、
そうなると線香番をする人間もいないのである。

とにかく十六日間に渡る、お棚の儀式が始まった。
お棚を飾ると、故人が帰ってきた気配がして
久しぶりに父親と接した気分になった。
話すというより、お互いの気配を察した、というほうが近い感じである。
生きているときも、男同士、積極的に話をするわけでもなかったので
それは今も変わらないのだろう。
そこにいるんだね、というような気持ちになった。
不思議な装置である。
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なんと言っていいのかわからない。
17/Mar.2018 [Sat] 9:45
明日は父の百間日で、いよいよお墓に納骨をする予定だ。
納骨にあたって、石屋さんを頼むのだろう、と思っていたら
自分でお墓に収めるのだという。
それが先週、お寺のお坊さんと話していてわかった。
初めはそれを聞いてびっくりしたけれど
考えてみれば、葬式組合では、よく納骨をしている。
お葬式を終えてすぐに納骨をする人も多いので
そういう時は、葬式組合の人間がお墓の下を開けて
お骨を収めるのである。
ぼくの住む村には、葬儀屋さんがいない。
元町という、島で一番大きな町には葬儀屋さんが何軒か出来た。
しかし、ぼくの住む村では自分たちの手でお葬式をする形が残っていて
そのために組合がある、というわけだ。
組合では葬儀のための祭壇を作り、進行もする。
終わってから片付けもあって、さらに納骨もするのである。
ぼくはまだ若手なので、そういう仕事は進んでやらなければならない。
といっても仕事があったり、出かけていたりすることも多くて
いつも必ず参加するわけでもない。
まあ、そんなこともあって、納骨だって、自分で出来るのだ。
それで、一昨日だったか、墓石の下の石の目地をあらかじめ開けておく
作業をしに、お墓に出かけた。
バールで目地をこじ開けようとしたのだけれど、
この目地のセメントがずいぶんしっかり固定されていて
簡単には開けられないようになっていた。
まあ、お骨の入っている場所が簡単に開いてしまったら困るわけで
そういうものか、とも思った。
しかし、そうなると、金づちも持ってきて、バールで叩いて
目地を開けなくてはならないだろう。
また改めて出直さなきゃいけないかなあ? と思っていると
お坊さんが様子を見に出てきてくれた。
金づちが要るのなら、持ってきてくれるという。
そんなわけで、お坊さんにも手伝ってもらって
二人で、お墓の石の目地を開けて、石を引っ張りだすところまでやった。
なんとか動いたので、あとは当日、やることにしよう、ということに
なって、また石を元の通りに戻した。
土がずいぶん溜まって、スコップで掘らなければ、お骨を収めるのは
むつかしいこともわかった。
今度はセメンではなくて、コーキングという、ゴム系の
素材を使って目地を埋めようとお坊さんと話した。
そうすれば、次回はカッターで切れるから、とお坊さんが言った。
しかし、この次にこの石を開けてお骨を収めるときは
ぼくが入るときなんだ、ということに急に気が付いた。
30年前に母が、その翌年に祖母が、そして父が明日、ここに入る。
そのあとはぼくの番なんだ。
そうか、もうそんなことになるわけか。
s感慨深い気持ちになって、しかしそんなに嫌な気もしない。
お骨になって静かにここで過ごすのも悪くないだろう。
日当たりも良いし、なにより静かだ。
お骨になるって、不思議なことだ、と父のことを見て
そう思ったけれど、それも近未来の現実なんだなあ。
良いお骨になれるようにするにはどうしたら良いんだろう?
それには、まず、うーん、覚悟をして
生きていかなくてはいけないんだろう。
明日、晴れるといいな。
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そこにいるの?
31/Jan.2018 [Wed] 7:27
近所の民宿をやっている女性から電話があった。
電話に出たのは妻である。
「あのさ、お父さんが住んでいた家、あれ貸したり売ったりしないの?」
と訊かれたのだそうだ。
「いえ、まだ亡くなったばかりですし、それにまだお骨も置いてありますから」
と妻は応えた。
「うん、知ってる。親戚の人に聞いたら、見てもいいって言うから
今見てきた。お客さんを連れて」
その人はそう言ったという。
四十九日までは祭壇にお骨を置いて、近所の人でお線香をあげたい人がいれば
昼間のうちに勝手に家に入って手を合わせてもらえるようにしてある。
そこにお客さんを連れて、家の中を見てきたのだそうだ。
「お客さんはイギリス人で、ここに住みたくて、家を探しているのよ。
だから連れて行って家の中も見させてもらったけど、売る気があるかどうか、
旦那さんに聞いてくれない?」
そう言われて答えに窮して、仕事をしているぼくのところまで妻が電話を持って訊きに来た、というわけだった。
(だってお骨が置いてあるんだよ。そう言ったの?)
ぼくは電話の子機を手のひらで押さえている妻にそう言った。
「うん、何度も言ったけど・・・・」
妻も困ってしまったように少しうなだれるようにしてそう言った。
目の下に隈が出来たように青白い顔をしている。
お骨が置いてある棚には花も飾られて、父の遺影、それにいつも被っていたお気に入りの帽子も置かれている。
イギリス人の夫婦はそれをどういう気持ちで見たのか、それよりも家を欲しい気持ちが優先したのか、それはもう理解のしようがなかった。
「売る気も貸す気もないって言ってよ」
ぼくは電話に出ずに妻にそう言った。
妻がそう電話に向かって言うと
「じゃあもし気が変わって、売る気になったら連絡をちょうだいよ」
そう言ってその民宿の女性は電話を切ったという。
しばらくそのことを考えていたけれど
造っている焼酎が不味くなるので、考えるのをやめた。
(見に入ったのか・・・)
そう思うと可笑しくなってきて、ちょっと笑った。
死んだら何も言えないけれど、生きていても何も言えないことって
あるよなあ、と父に話しかけた。
焼酎蔵の中に四つぶら下がっている電球のひとつが消えた。
電球の球が切れたのかと思って取り替えようとしたら
また点いた。
不思議なことがあるもんだ、と思った。
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お骨を拾ってもまだ。
24/Dec.2017 [Sun] 15:53
お骨を拾って、葬式も終えたのに、まだ夕方になると
病院に行こうとして、身体が身構える。
病院に行くのは仕込みとはまた違った力の入ることで
どうしても身構えて身体に力を入れないと、足が向かない。
しかし、もう葬儀も終えて、今は自宅にお骨を安置してあるので
そのまま家に帰って、線香を供えればいいのに、どうしても
朝や夕方になると、そのことを考えて身体が反応している。
麹を造る日は三日が必要で、その晩は工場に泊り込んで仕事をする。
こうして仕事をするようになって何年経つのか、もうはっきりしたことは
わからないけれど、夜中まで麹を見て、家に帰る途中で居眠り運転をしかけたことがあってから、家を借りることにした。
その家には簡単なベッドを二つ置いて、あとは食卓と台所、風呂も付いている。
安普請なので、冷気が家の中に容赦なく入ってきて、一度布団に潜り込むと
なかなか出ることが出来なくなる。
父が具合が悪くなってからは、夜中に電話が鳴ると驚いて目を覚ます。
一度は明け方に電話があって、びっくりして電話に出ると、従兄弟から
台風で道路わきの屋根のスレートが落ちかかっているから、気をつけるように
という内容でホッとした。
下を歩く人に重いスレートが落ちれば大変なことになるのだけれど、しかし
それでも、ホッとした。
父はときどきは病院で目を開けていることがあって、
「おーい」と話しかけると、目をぱちくりすることもあったし
何かを喋ろうとすることもあった。
途中からは酸素マスクを付けられて、そのゴムが伸びて、マスクははずれ掛けていることもよくあった。
もう、具合は明らかに良くないけれど、それでも次の日になると、また恢復していることもあった。
手や足はむくんで、喉の周りも水が溜まったようになって、そういうときはたいてい熱を出していた。
若いインターンの医者がちょっといいですか? と言って、病人のすぐ脇で大きな声で話し出すこともあった。
食道に出来ているがん細胞が脳にまで達していることが、昨日スキャンをして
わかったんです、と言った。
耳だって聞こえるし、声に明らかに反応しているのに、そんなことを大きな声で言うかなあ、と訝しく思った。
なによりこんなに具合の悪い人間をCTスキャン室まで連れて行って、あの轟音のする器械に潜らせたことにびっくりした。
そんなことをしなくても、もう長くないことは見ればわかるのに、と思いながら、(そうですか、ありがとうございました)と頭を下げて、お医者さんを廊下に引っ張って、そこで話しを聞いた。
麹に種を付けて、明日の朝にはもうタンクに出すことになっている夜中に電話が掛かってきて、姉からだった。
「今ね、呼吸が止まって、すぐに病院に来てくださいって連絡があった」
と言った。落ちついた低い声だった。
慌てて着替えて、一度工場に寄って、麹の様子を見てから、病院に向かった。
星が冷たい空にさえざえと光っていて、それを見上げた。
まだ額は熱かったけれど、もう息はしていなかった。
お骨を拾っているときに、死ぬってなんだろうな? と改めて思った。
生きていて、星を見上げて、今度はお骨になっている。
それはどういうことだろう? とまた昔から考えていることを改めて想った。
お坊さんは、三途の川を渡るときに、一本目の川はゆるやかに、それから急流に、最後は激流を渡ってあの世に行くのだ、と話していた。
しかし、死ぬということはどういうことか尋ねてみる気にはならなかった。
曹洞宗のお経の中に
「生を明らめ、死を明きらむるは仏家一大事の因縁なり」
というくだりが出てきて、そのことを、このお坊さんに訊いてみようかな?
といつも思う。
葬儀のときにはそのお経本を一緒に唱えるように、と言うのである。
しかし、どうしても、それを尋ねてみる気にはなれない。
それは自分で紐解くしかないのではないか? と思う。
亡くなって、葬儀が始まるまでに、お坊さんの都合や、友引が入って
二日ほど時間があった。
そのあいだに、工場に出かけては、麹を出してタンクに入れた。
翌日には麦を蒸して、仕込みをした。
よく喋る、叔母がいて、途切れなく喋っている。
父はこの妹が来ると、
「いつ帰るんだ?」
と訊いていた。
(うるさいから、もう帰れって言うことなのよ)
とその妹は、不満そうな、困ったような顔をして言っていた。
そんな人がたくさん来て、父の棺の周りであれこれ喋っている。
自分は賑やかなのはあまり得意ではないので、醗酵するもろみの
静かに浮かんでは消える泡を見つめているほうが、父と話しているような気持ちになった。

(お香典は戴いておりませんので、ご了承くださいますよう、お願い致します)
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いずれ行く道。
22/Oct.2017 [Sun] 17:10
父親の足が弱って、きちんと歩くことが出来なくなってしまった。
トイレに行くのも大変で、行く途中で転びそうで危なくて仕方がない。
オムツをしてもらい、それにすれば良いから、と言っても、やっぱりトイレに行きたいらしい。
それでも、まだ夜は自分の家で一人で寝るので、夜も見に行かなくてはならなくなった。
いつも父のことを見てくれている姉が出かけてしまい、先週からはぼく一人で父を看ることになった。
朝と晩はご飯を食べさせるとして、昼間はどうしたらいいか、途方にくれた。
工場に連れていこうか、とも思ったけれど、寝かせておくような場所がない。
知らない場所に行くと、不安になるので、外に出たがる。
つまり一人にしておけないのだ。
仕事場は自分一人なので、父親のことを看ていると仕事がまったく進まない。
「結いの家」という高齢者を見てくれるケアサービスの施設があって、ここに訊いてみたら? と教えてくれる人がいた。
今までは週に二回ここに行って、お風呂に入れてもらっていたのである。
直接行って訊いてみると、今のところは空いているので、毎日、来ても良いことになった。
「一人で看るって大変でしょう? 何もわからないまま、介護を始めたら、ふつうの百倍たいへんなのよ」
結いの家の代表者であるI瀬さんがそう言ってくれた。
本当にそうなのだ。
着るものの世話、オムツを履かせること、食事の支度、夜も外に出てしまっていないか、家の中で倒れていないか、本当に気が狂いそうになる。
でも朝、着替えさせておけば、岩瀬さんが迎えに来てくれて、結いの家まで連れて行ってくれるので、本当にありがたい。
お昼を食べさせてくれて、お風呂にも入れてもらって、夕方家まで連れてきてくれるのである。
児童託児所がなくて困っている若いお母さんも多いらしいけれど、高齢者を預かってもらえる施設も、これからは必要になってくるんだろうなあ、と実感した。
さあ、これから、夕ご飯を作って、それを食べさせて、ベッドで寝てもらわなければならない。
しかし、これが簡単には寝てくれなくて、また困ってしまう。
「まだ早いよ」
とか
「自分で寝るからいいよ」
と必ず言うのである。
しかしベッドまで歩けないのに、どうやって自分で寝るのか? そう訊いても
「大丈夫だ」
と言うばかりである。
父の世話をしていると、消耗が激しくて、仕事以外は何もできなくなってしまった。
暇があれば寝ているような状態で、関係なく涙も出てくる。
世の中には、ぼくよりも、もっと大変な介護をしている人もたくさんいることだろう。
結いの家には本当に感謝してもしきれない。
「ありがとうございます、本当に助かります」、と今日はI瀬さんに会ったので、心からそう言って頭を下げた。
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秘剣さんに捧げる焼酎
20/Oct.2017 [Fri] 16:31
秘剣さんことW田博温さんが逝かれた、という知らせを
友人から教えてもらった。
えーっ? という言葉がまず口から漏れて、あとは言葉が出てこなかった。
どういう状況だったのか、近頃具合が悪かったのか
詳しいことは何もわからないままである。
お葬式には出られないので、奥様に宛てて花を送った。
するとその奥様から電話があって、
「長いこと患っていたけど、誰にも言わないでくれ」と言われていた、と
話してくれたのだそうだ。(ちょうど電話を貰ったときに出かけていて奥様と話すことは出来なかった)
そうか、秘剣さん、そんなことがあったのか。
何にも知らなくて悪かったなあ。
焼酎ブームも過ぎ去って、世間の焼酎に対する熱もすっかり消えてしまった。
あの頃は楽しかったけれど、辛いことも多かったなあ、と思う。
今日は当時の日記を読み返して、秘剣さんと初めて会ったときのことを
思い返していた。
14年前に、秘剣さんは大島に来て、うちの蔵の蒸留を見ていかれた。
それが焼酎工場を見学する初めてのことだったという。
そのときに蒸留した焼酎に「一期一会」というラベルを貼って、同席した大分の望月さんと、秘剣さんにその焼酎を送った。
タンクには今でもその焼酎が眠っている。
今日は猪口を二つ置いて、一杯は秘剣さんに、それを捧げた。
14年が経って、深い味わいになっていた。
そうだ、この焼酎を池袋のベッタコさんのカウンターに置いてもらって
秘剣さんの友人の方々に飲んでもらうというのはどうだろう?
そのときは必ず、猪口は二つ用意してもらい、一杯は秘剣さんに捧げる形にする。そうすれば秘剣さんもカウンターに立ち寄ってくれるかもしれない。
東京に出かけて、ベッタコの入り口から中を覗くと、秘剣さんが飲んでいる姿がいつも見えた。
「おっ、今日もやっているな」
と思った。本当に焼酎の好きな人だった。
まずは奥様とベッタコさんに相談しなければいけない。
秘剣さん、どうぞ安らかに眠ってください。
長い闘病生活を垣間見せなかったその姿には驚かされました。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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元気で良かった。
11/Aug.2017 [Fri] 18:03
夜になって、玄関のあたりから鳥の鳴き声が聞こえた。
(あいつかもしれない)
と思って、外に飛び出した。
朝、倉庫の中にいた、あの雛のヒヨドリではないか?
と思ったのだ。
外に出てみると、鳥の姿はどこにも見えなかった。
気のせいだったのかな? と思いながらその辺りに
佇んで様子を見た。
蚊が足のすねに喰いついてきて、また家の中に戻った。
翌朝、妻が仏さまのご飯を庭にまくと、
「雀に混じってぽちゃっとした鳥が来たよ」
と教えてくれた。
大きなヒヨドリも一緒だったのだそうだ。
そうか、それは親に連れられてきたあの雛のヒヨドリだったのかも
しれないなあ。
良かった。
妻の言うことには、地面から屋根まで羽ばたいて飛んでいたという。
それを聞いてすぐに見に行ってみたけれど
ぼくはその姿を見ることは出来なかった。
いずれにしろ、親に守られて元気でやっているんだ。
良かったねえ、と妻と話した。
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なんとか。なんとか。
14/Jul.2017 [Fri] 19:20
朝早く、倉庫に瓶を取りに行くと
隅のほうで何かが動く気配がした。
ここはすき間だらけなので、何かが入ってきても
おかしくはない。
こちらが動くと動物は怖がって気配を消すので
ジッとしてしばらく待った。
「チイッ」
と短く鋭い鳴き声がして羽根を羽ばたかせる音がした。
鳥が入り込んでしまったらしい。
鳥が入るのは珍しいな、と思って、動かずに眼だけをこらした。
鳥は窓に向かって羽ばたいている。
でも、羽ばたく力が弱くて、うまく飛べないようにも見えた。
近寄ってみると、逃げもせずにコンクリートの地面に
うずくまってこちらを見ている。
ヒヨドリの雛らしいことが、なんとなくわかった。
頭の毛が寝ぐせが付いたみたいに
ちょっと逆立っているのがかわいい。
横にぴょんぴょんと跳ねている。
窓を開けてあげたいけれど、ここの戸は開かないように
板を打ち付けてしまっている。
外に出すには、向こうの出入り口まで追いやらなければならない。
(うまく行くかなあ?)
と思いながら、
「ほらあっちに行け。そうじゃない、あっちだよ」
と呟きながら、雛を追っていった。
うまい具合に雛は羽ばたきながら、向こうの出入り口の
ところまで進んでいった。
あとは出るだけ、というところになって、また地面にうずくまってしまった。
眼がくりっとして、見上げる視線がかわいい。
「ほら、外に出るんだよ」
そう言って手を叩くと、雛は外に出て行った。
まだ高く飛ぶことが出来なくて、倉庫の壁に摑まって
羽ばたいたあとで、地面に落ちた。
親鳥が近くにいるかもしれないので、そのままにして
そこを離れた。
猫にやられないといいんだけど。
うまく餌が食べられて、もう少し高く飛べるようになるといいなあ。
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プチトマトの収穫
15/Feb.2017 [Wed] 17:38
右手の人差し指の先端がお昼のあとで急に痛み出した。
なにかを触ると、ズキンと痛む。
これは何かな?
爪を剥がしかけたのかな? と思った。
でも爪はなんともない。
ちょうど鍼に行くところだったので
阪本さんにそのことも訊いてみた。
「うーん、わからないけど、とりあえず瀉血(しゃけつ)をしてみよう」
と言って、小さな道具を取り出した。
糖尿病の患者さんが血液を測定するときに使う道具で
ペンの先端に針が付いているらしい。
それを指先に当てて、シャープペンの芯を押し出すように
お尻のボタンを押すと、針が出て、指先にプツンと小さな穴が開いた。
プチトマトのように指先から紅いものが盛り上がってくる。
指をしごいて、血をどんどん出すように、と言われて
そうすると、血がいくらでも出る。
阪本さんはそれを待っていて、脱脂綿にアルコールを含ませたもので拭いてくれる。
指をしごけばしごくだけ、血が出るので、少し心配になった。
「輸血をしないと・・・」
とぼくが言うと、
「大丈夫。そのうちピタッと止まるから」
と阪本さんは言った。
そんなことを二十回くらいやっただろうか。
血が止まって、もういくら指をしごいても血は出なくなった。
すると指先の痛みも消えてしまった。
うっ血したものを出せば痛みも消えるのだという。
面白いものだなあ、と思って阪本さんにそう言うと
「本当にねえ」
と言って、嬉しそうに笑った。
お地蔵さんのような、しみじみとした笑顔だった。
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