日本で唯一の屋根に椿の木を植えた店舗から作家、社長、杜氏である谷口英久が綴る抱腹絶倒の「Blog」
なんと言っていいのかわからない。
17/Mar.2018 [Sat] 9:45
明日は父の百間日で、いよいよお墓に納骨をする予定だ。
納骨にあたって、石屋さんを頼むのだろう、と思っていたら
自分でお墓に収めるのだという。
それが先週、お寺のお坊さんと話していてわかった。
初めはそれを聞いてびっくりしたけれど
考えてみれば、葬式組合では、よく納骨をしている。
お葬式を終えてすぐに納骨をする人も多いので
そういう時は、葬式組合の人間がお墓の下を開けて
お骨を収めるのである。
ぼくの住む村には、葬儀屋さんがいない。
元町という、島で一番大きな町には葬儀屋さんが何軒か出来た。
しかし、ぼくの住む村では自分たちの手でお葬式をする形が残っていて
そのために組合がある、というわけだ。
組合では葬儀のための祭壇を作り、進行もする。
終わってから片付けもあって、さらに納骨もするのである。
ぼくはまだ若手なので、そういう仕事は進んでやらなければならない。
といっても仕事があったり、出かけていたりすることも多くて
いつも必ず参加するわけでもない。
まあ、そんなこともあって、納骨だって、自分で出来るのだ。
それで、一昨日だったか、墓石の下の石の目地をあらかじめ開けておく
作業をしに、お墓に出かけた。
バールで目地をこじ開けようとしたのだけれど、
この目地のセメントがずいぶんしっかり固定されていて
簡単には開けられないようになっていた。
まあ、お骨の入っている場所が簡単に開いてしまったら困るわけで
そういうものか、とも思った。
しかし、そうなると、金づちも持ってきて、バールで叩いて
目地を開けなくてはならないだろう。
また改めて出直さなきゃいけないかなあ? と思っていると
お坊さんが様子を見に出てきてくれた。
金づちが要るのなら、持ってきてくれるという。
そんなわけで、お坊さんにも手伝ってもらって
二人で、お墓の石の目地を開けて、石を引っ張りだすところまでやった。
なんとか動いたので、あとは当日、やることにしよう、ということに
なって、また石を元の通りに戻した。
土がずいぶん溜まって、スコップで掘らなければ、お骨を収めるのは
むつかしいこともわかった。
今度はセメンではなくて、コーキングという、ゴム系の
素材を使って目地を埋めようとお坊さんと話した。
そうすれば、次回はカッターで切れるから、とお坊さんが言った。
しかし、この次にこの石を開けてお骨を収めるときは
ぼくが入るときなんだ、ということに急に気が付いた。
30年前に母が、その翌年に祖母が、そして父が明日、ここに入る。
そのあとはぼくの番なんだ。
そうか、もうそんなことになるわけか。
s感慨深い気持ちになって、しかしそんなに嫌な気もしない。
お骨になって静かにここで過ごすのも悪くないだろう。
日当たりも良いし、なにより静かだ。
お骨になるって、不思議なことだ、と父のことを見て
そう思ったけれど、それも近未来の現実なんだなあ。
良いお骨になれるようにするにはどうしたら良いんだろう?
それには、まず、うーん、覚悟をして
生きていかなくてはいけないんだろう。
明日、晴れるといいな。
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そこにいるの?
31/Jan.2018 [Wed] 7:27
近所の民宿をやっている女性から電話があった。
電話に出たのは妻である。
「あのさ、お父さんが住んでいた家、あれ貸したり売ったりしないの?」
と訊かれたのだそうだ。
「いえ、まだ亡くなったばかりですし、それにまだお骨も置いてありますから」
と妻は応えた。
「うん、知ってる。親戚の人に聞いたら、見てもいいって言うから
今見てきた。お客さんを連れて」
その人はそう言ったという。
四十九日までは祭壇にお骨を置いて、近所の人でお線香をあげたい人がいれば
昼間のうちに勝手に家に入って手を合わせてもらえるようにしてある。
そこにお客さんを連れて、家の中を見てきたのだそうだ。
「お客さんはイギリス人で、ここに住みたくて、家を探しているのよ。
だから連れて行って家の中も見させてもらったけど、売る気があるかどうか、
旦那さんに聞いてくれない?」
そう言われて答えに窮して、仕事をしているぼくのところまで妻が電話を持って訊きに来た、というわけだった。
(だってお骨が置いてあるんだよ。そう言ったの?)
ぼくは電話の子機を手のひらで押さえている妻にそう言った。
「うん、何度も言ったけど・・・・」
妻も困ってしまったように少しうなだれるようにしてそう言った。
目の下に隈が出来たように青白い顔をしている。
お骨が置いてある棚には花も飾られて、父の遺影、それにいつも被っていたお気に入りの帽子も置かれている。
イギリス人の夫婦はそれをどういう気持ちで見たのか、それよりも家を欲しい気持ちが優先したのか、それはもう理解のしようがなかった。
「売る気も貸す気もないって言ってよ」
ぼくは電話に出ずに妻にそう言った。
妻がそう電話に向かって言うと
「じゃあもし気が変わって、売る気になったら連絡をちょうだいよ」
そう言ってその民宿の女性は電話を切ったという。
しばらくそのことを考えていたけれど
造っている焼酎が不味くなるので、考えるのをやめた。
(見に入ったのか・・・)
そう思うと可笑しくなってきて、ちょっと笑った。
死んだら何も言えないけれど、生きていても何も言えないことって
あるよなあ、と父に話しかけた。
焼酎蔵の中に四つぶら下がっている電球のひとつが消えた。
電球の球が切れたのかと思って取り替えようとしたら
また点いた。
不思議なことがあるもんだ、と思った。
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お骨を拾ってもまだ。
24/Dec.2017 [Sun] 15:53
お骨を拾って、葬式も終えたのに、まだ夕方になると
病院に行こうとして、身体が身構える。
病院に行くのは仕込みとはまた違った力の入ることで
どうしても身構えて身体に力を入れないと、足が向かない。
しかし、もう葬儀も終えて、今は自宅にお骨を安置してあるので
そのまま家に帰って、線香を供えればいいのに、どうしても
朝や夕方になると、そのことを考えて身体が反応している。
麹を造る日は三日が必要で、その晩は工場に泊り込んで仕事をする。
こうして仕事をするようになって何年経つのか、もうはっきりしたことは
わからないけれど、夜中まで麹を見て、家に帰る途中で居眠り運転をしかけたことがあってから、家を借りることにした。
その家には簡単なベッドを二つ置いて、あとは食卓と台所、風呂も付いている。
安普請なので、冷気が家の中に容赦なく入ってきて、一度布団に潜り込むと
なかなか出ることが出来なくなる。
父が具合が悪くなってからは、夜中に電話が鳴ると驚いて目を覚ます。
一度は明け方に電話があって、びっくりして電話に出ると、従兄弟から
台風で道路わきの屋根のスレートが落ちかかっているから、気をつけるように
という内容でホッとした。
下を歩く人に重いスレートが落ちれば大変なことになるのだけれど、しかし
それでも、ホッとした。
父はときどきは病院で目を開けていることがあって、
「おーい」と話しかけると、目をぱちくりすることもあったし
何かを喋ろうとすることもあった。
途中からは酸素マスクを付けられて、そのゴムが伸びて、マスクははずれ掛けていることもよくあった。
もう、具合は明らかに良くないけれど、それでも次の日になると、また恢復していることもあった。
手や足はむくんで、喉の周りも水が溜まったようになって、そういうときはたいてい熱を出していた。
若いインターンの医者がちょっといいですか? と言って、病人のすぐ脇で大きな声で話し出すこともあった。
食道に出来ているがん細胞が脳にまで達していることが、昨日スキャンをして
わかったんです、と言った。
耳だって聞こえるし、声に明らかに反応しているのに、そんなことを大きな声で言うかなあ、と訝しく思った。
なによりこんなに具合の悪い人間をCTスキャン室まで連れて行って、あの轟音のする器械に潜らせたことにびっくりした。
そんなことをしなくても、もう長くないことは見ればわかるのに、と思いながら、(そうですか、ありがとうございました)と頭を下げて、お医者さんを廊下に引っ張って、そこで話しを聞いた。
麹に種を付けて、明日の朝にはもうタンクに出すことになっている夜中に電話が掛かってきて、姉からだった。
「今ね、呼吸が止まって、すぐに病院に来てくださいって連絡があった」
と言った。落ちついた低い声だった。
慌てて着替えて、一度工場に寄って、麹の様子を見てから、病院に向かった。
星が冷たい空にさえざえと光っていて、それを見上げた。
まだ額は熱かったけれど、もう息はしていなかった。
お骨を拾っているときに、死ぬってなんだろうな? と改めて思った。
生きていて、星を見上げて、今度はお骨になっている。
それはどういうことだろう? とまた昔から考えていることを改めて想った。
お坊さんは、三途の川を渡るときに、一本目の川はゆるやかに、それから急流に、最後は激流を渡ってあの世に行くのだ、と話していた。
しかし、死ぬということはどういうことか尋ねてみる気にはならなかった。
曹洞宗のお経の中に
「生を明らめ、死を明きらむるは仏家一大事の因縁なり」
というくだりが出てきて、そのことを、このお坊さんに訊いてみようかな?
といつも思う。
葬儀のときにはそのお経本を一緒に唱えるように、と言うのである。
しかし、どうしても、それを尋ねてみる気にはなれない。
それは自分で紐解くしかないのではないか? と思う。
亡くなって、葬儀が始まるまでに、お坊さんの都合や、友引が入って
二日ほど時間があった。
そのあいだに、工場に出かけては、麹を出してタンクに入れた。
翌日には麦を蒸して、仕込みをした。
よく喋る、叔母がいて、途切れなく喋っている。
父はこの妹が来ると、
「いつ帰るんだ?」
と訊いていた。
(うるさいから、もう帰れって言うことなのよ)
とその妹は、不満そうな、困ったような顔をして言っていた。
そんな人がたくさん来て、父の棺の周りであれこれ喋っている。
自分は賑やかなのはあまり得意ではないので、醗酵するもろみの
静かに浮かんでは消える泡を見つめているほうが、父と話しているような気持ちになった。

(お香典は戴いておりませんので、ご了承くださいますよう、お願い致します)
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いずれ行く道。
22/Oct.2017 [Sun] 17:10
父親の足が弱って、きちんと歩くことが出来なくなってしまった。
トイレに行くのも大変で、行く途中で転びそうで危なくて仕方がない。
オムツをしてもらい、それにすれば良いから、と言っても、やっぱりトイレに行きたいらしい。
それでも、まだ夜は自分の家で一人で寝るので、夜も見に行かなくてはならなくなった。
いつも父のことを見てくれている姉が出かけてしまい、先週からはぼく一人で父を看ることになった。
朝と晩はご飯を食べさせるとして、昼間はどうしたらいいか、途方にくれた。
工場に連れていこうか、とも思ったけれど、寝かせておくような場所がない。
知らない場所に行くと、不安になるので、外に出たがる。
つまり一人にしておけないのだ。
仕事場は自分一人なので、父親のことを看ていると仕事がまったく進まない。
「結いの家」という高齢者を見てくれるケアサービスの施設があって、ここに訊いてみたら? と教えてくれる人がいた。
今までは週に二回ここに行って、お風呂に入れてもらっていたのである。
直接行って訊いてみると、今のところは空いているので、毎日、来ても良いことになった。
「一人で看るって大変でしょう? 何もわからないまま、介護を始めたら、ふつうの百倍たいへんなのよ」
結いの家の代表者であるI瀬さんがそう言ってくれた。
本当にそうなのだ。
着るものの世話、オムツを履かせること、食事の支度、夜も外に出てしまっていないか、家の中で倒れていないか、本当に気が狂いそうになる。
でも朝、着替えさせておけば、岩瀬さんが迎えに来てくれて、結いの家まで連れて行ってくれるので、本当にありがたい。
お昼を食べさせてくれて、お風呂にも入れてもらって、夕方家まで連れてきてくれるのである。
児童託児所がなくて困っている若いお母さんも多いらしいけれど、高齢者を預かってもらえる施設も、これからは必要になってくるんだろうなあ、と実感した。
さあ、これから、夕ご飯を作って、それを食べさせて、ベッドで寝てもらわなければならない。
しかし、これが簡単には寝てくれなくて、また困ってしまう。
「まだ早いよ」
とか
「自分で寝るからいいよ」
と必ず言うのである。
しかしベッドまで歩けないのに、どうやって自分で寝るのか? そう訊いても
「大丈夫だ」
と言うばかりである。
父の世話をしていると、消耗が激しくて、仕事以外は何もできなくなってしまった。
暇があれば寝ているような状態で、関係なく涙も出てくる。
世の中には、ぼくよりも、もっと大変な介護をしている人もたくさんいることだろう。
結いの家には本当に感謝してもしきれない。
「ありがとうございます、本当に助かります」、と今日はI瀬さんに会ったので、心からそう言って頭を下げた。
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秘剣さんに捧げる焼酎
20/Oct.2017 [Fri] 16:31
秘剣さんことW田博温さんが逝かれた、という知らせを
友人から教えてもらった。
えーっ? という言葉がまず口から漏れて、あとは言葉が出てこなかった。
どういう状況だったのか、近頃具合が悪かったのか
詳しいことは何もわからないままである。
お葬式には出られないので、奥様に宛てて花を送った。
するとその奥様から電話があって、
「長いこと患っていたけど、誰にも言わないでくれ」と言われていた、と
話してくれたのだそうだ。(ちょうど電話を貰ったときに出かけていて奥様と話すことは出来なかった)
そうか、秘剣さん、そんなことがあったのか。
何にも知らなくて悪かったなあ。
焼酎ブームも過ぎ去って、世間の焼酎に対する熱もすっかり消えてしまった。
あの頃は楽しかったけれど、辛いことも多かったなあ、と思う。
今日は当時の日記を読み返して、秘剣さんと初めて会ったときのことを
思い返していた。
14年前に、秘剣さんは大島に来て、うちの蔵の蒸留を見ていかれた。
それが焼酎工場を見学する初めてのことだったという。
そのときに蒸留した焼酎に「一期一会」というラベルを貼って、同席した大分の望月さんと、秘剣さんにその焼酎を送った。
タンクには今でもその焼酎が眠っている。
今日は猪口を二つ置いて、一杯は秘剣さんに、それを捧げた。
14年が経って、深い味わいになっていた。
そうだ、この焼酎を池袋のベッタコさんのカウンターに置いてもらって
秘剣さんの友人の方々に飲んでもらうというのはどうだろう?
そのときは必ず、猪口は二つ用意してもらい、一杯は秘剣さんに捧げる形にする。そうすれば秘剣さんもカウンターに立ち寄ってくれるかもしれない。
東京に出かけて、ベッタコの入り口から中を覗くと、秘剣さんが飲んでいる姿がいつも見えた。
「おっ、今日もやっているな」
と思った。本当に焼酎の好きな人だった。
まずは奥様とベッタコさんに相談しなければいけない。
秘剣さん、どうぞ安らかに眠ってください。
長い闘病生活を垣間見せなかったその姿には驚かされました。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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元気で良かった。
11/Aug.2017 [Fri] 18:03
夜になって、玄関のあたりから鳥の鳴き声が聞こえた。
(あいつかもしれない)
と思って、外に飛び出した。
朝、倉庫の中にいた、あの雛のヒヨドリではないか?
と思ったのだ。
外に出てみると、鳥の姿はどこにも見えなかった。
気のせいだったのかな? と思いながらその辺りに
佇んで様子を見た。
蚊が足のすねに喰いついてきて、また家の中に戻った。
翌朝、妻が仏さまのご飯を庭にまくと、
「雀に混じってぽちゃっとした鳥が来たよ」
と教えてくれた。
大きなヒヨドリも一緒だったのだそうだ。
そうか、それは親に連れられてきたあの雛のヒヨドリだったのかも
しれないなあ。
良かった。
妻の言うことには、地面から屋根まで羽ばたいて飛んでいたという。
それを聞いてすぐに見に行ってみたけれど
ぼくはその姿を見ることは出来なかった。
いずれにしろ、親に守られて元気でやっているんだ。
良かったねえ、と妻と話した。
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なんとか。なんとか。
14/Jul.2017 [Fri] 19:20
朝早く、倉庫に瓶を取りに行くと
隅のほうで何かが動く気配がした。
ここはすき間だらけなので、何かが入ってきても
おかしくはない。
こちらが動くと動物は怖がって気配を消すので
ジッとしてしばらく待った。
「チイッ」
と短く鋭い鳴き声がして羽根を羽ばたかせる音がした。
鳥が入り込んでしまったらしい。
鳥が入るのは珍しいな、と思って、動かずに眼だけをこらした。
鳥は窓に向かって羽ばたいている。
でも、羽ばたく力が弱くて、うまく飛べないようにも見えた。
近寄ってみると、逃げもせずにコンクリートの地面に
うずくまってこちらを見ている。
ヒヨドリの雛らしいことが、なんとなくわかった。
頭の毛が寝ぐせが付いたみたいに
ちょっと逆立っているのがかわいい。
横にぴょんぴょんと跳ねている。
窓を開けてあげたいけれど、ここの戸は開かないように
板を打ち付けてしまっている。
外に出すには、向こうの出入り口まで追いやらなければならない。
(うまく行くかなあ?)
と思いながら、
「ほらあっちに行け。そうじゃない、あっちだよ」
と呟きながら、雛を追っていった。
うまい具合に雛は羽ばたきながら、向こうの出入り口の
ところまで進んでいった。
あとは出るだけ、というところになって、また地面にうずくまってしまった。
眼がくりっとして、見上げる視線がかわいい。
「ほら、外に出るんだよ」
そう言って手を叩くと、雛は外に出て行った。
まだ高く飛ぶことが出来なくて、倉庫の壁に摑まって
羽ばたいたあとで、地面に落ちた。
親鳥が近くにいるかもしれないので、そのままにして
そこを離れた。
猫にやられないといいんだけど。
うまく餌が食べられて、もう少し高く飛べるようになるといいなあ。
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プチトマトの収穫
15/Feb.2017 [Wed] 17:38
右手の人差し指の先端がお昼のあとで急に痛み出した。
なにかを触ると、ズキンと痛む。
これは何かな?
爪を剥がしかけたのかな? と思った。
でも爪はなんともない。
ちょうど鍼に行くところだったので
阪本さんにそのことも訊いてみた。
「うーん、わからないけど、とりあえず瀉血(しゃけつ)をしてみよう」
と言って、小さな道具を取り出した。
糖尿病の患者さんが血液を測定するときに使う道具で
ペンの先端に針が付いているらしい。
それを指先に当てて、シャープペンの芯を押し出すように
お尻のボタンを押すと、針が出て、指先にプツンと小さな穴が開いた。
プチトマトのように指先から紅いものが盛り上がってくる。
指をしごいて、血をどんどん出すように、と言われて
そうすると、血がいくらでも出る。
阪本さんはそれを待っていて、脱脂綿にアルコールを含ませたもので拭いてくれる。
指をしごけばしごくだけ、血が出るので、少し心配になった。
「輸血をしないと・・・」
とぼくが言うと、
「大丈夫。そのうちピタッと止まるから」
と阪本さんは言った。
そんなことを二十回くらいやっただろうか。
血が止まって、もういくら指をしごいても血は出なくなった。
すると指先の痛みも消えてしまった。
うっ血したものを出せば痛みも消えるのだという。
面白いものだなあ、と思って阪本さんにそう言うと
「本当にねえ」
と言って、嬉しそうに笑った。
お地蔵さんのような、しみじみとした笑顔だった。
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もうそういう歳になったんだなあ、と友達が言った。
21/Jan.2017 [Sat] 17:39
仕事をしていると、S藤のお母さんがやってきた。
うちにS藤のお母さんが来たのは
初めてのことだったので、どうしたんだろう? と思った。
お母さんはぼくの顔を見るなり涙ぐんで
眼から涙が溢れてくるのが見えたので、驚いた。
驚いたのと同時に何か悪いことがあったんだな、
と思った。
でも、そんなことは考えたくないな、とも思った。
「ヒロユキがねえ、死んじゃったのよ」
とお母さんは言った。
S藤とは中学一年生のときに同じクラスになった。
気があって、一緒によく遊んだ。
S藤の家にもよく遊びに行ったので
お母さんにもお世話になった。
大学生になって、東京に出てからも、神楽坂から
S藤の住んでいる中野のアパートまでよくバイクで
出かけた。
最後に会ったのは三年前で、お正月休みに大島に戻ってきたので
と言って、焼酎工場に寄ってくれた。
娘さんが一緒で、その子が中学時代のS藤に本当によく似ていて
嬉しくなった。
二年前に寄ってくれたときは、ぼくが出かけていて
会うことが出来なかった。
そのことをときどき思い出して、
「そうだ。連絡をしなくちゃなあ」
と思っていたのである。
昨年の秋に胆管が詰まったことで手術をしたのだそうだ。
すると肝臓に癌が見つかった。
その癌がずいぶん進んでいたのだそうだ。
胆管を手術したあとで、仕事場である大学にすぐに
復帰をしたらしい。
けれども、また具合が悪くなってクリスマスの日に
亡くなったのだそうだ。
お母さんの話しを聞いて、ぼくも涙がとまらなくなった。
お葬式は現役の大学教授だったこともあり
住んでいた街で執り行われたのだという。
「今日、大島のお墓に納骨をしてきたの。
そうしたらあんたの顔が眼に浮かんだから
ここに来てみたのよ」
とお母さんは言った。
少し前に、S藤が高校生のときに録音してくれた
ビートルズのカセットテープを久しぶりに聴いたのだった。
シングルの発表順になっていて、それを調べて
録音してくれたものである。
誕生日プレゼントにS藤がくれたもので
それが今でもちゃんと聴けることが素晴らしいなあ、
と思ったばかりだった。
夕方になって、家に帰るまえに、S藤のお墓参りに出かけた。
村が違うので、場所がよく判らなくて、しばらく探した。
お墓の前にマグカップが置いてあって、それをしばらく眺めた。
冷たい風が足元から吹きつけていた。
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また必ず会おうね。
27/Nov.2016 [Sun] 19:23
カナダからロバートがやってきた。
と言っても、これを読んでいる人には何のことか、わからないだろう。
妻の高校時代の英語の先生が
カナダ人の女性で、ロブ(ロバートの愛称)はその息子さんにあたる。
息子さんと言っても我々よりはずっと年上で
見た目はもうおじいさんのようである。
ぼくが初めてロブに会ったのは18年前のことだった。
奥さんのジャネットも一緒だった。
18年前はぼくものんびりしていて
一緒に遊ぶ時間もたっぷりあった。
ところが今回は焼酎の仕込みにぶつかってしまい
伊豆大島でロブを迎えることがどうしても出来なかった。
さつま芋の仕込みで忙しかったのと
麹菌が身体に入ると、ものすごく気分が落ち込むので
とてもお客さんを迎えるような気持になれなかったのである。
それで東京で一晩だけロブと逢うことになった。
その日は税務署の用事があり、夜なら時間が空いているので
どこかでご飯を食べようということにした。
静かな和食のレストランを予約して
三人で夕食を食べた。
三年ぶりに見たロブは、背中がずいぶん丸まってしまって
歳を取ったなあ、と思った。
ぼくの顔を見ると、ロブは本当に嬉しそうに笑って
「ヒデだよ。これは幻じゃないか?」
と言った。それからお互いに「久しぶりだね」と言って抱き合った。
「今回は本当に申し訳なかったね、ロブ。
大島に来て欲しかったんだけど、どうしても忙しくて
迎えることが出来なかったんだよ。ごめんね」
とぼくは言った。
ロブは東横インというビジネスホテルが気に入っていて
今回は東京での部屋が取れず、秋川のホテルに泊まっているという。
「今日は何を食べたの?」 と訊いたら
「お昼はオムライスを食べたよ」
と言って、笑ってみせた。
しばらくはお互いの近況や、カナダに暮らしているロブの兄弟の
話しをしたけれど、それから亡くなったジャネットの話になった。
18年前は一緒に鎌倉にも出かけて、山の中を散策したね。
それから長谷寺の近くの宿に泊まったよね。
歩きすぎてジャネットの足が腫れあがって
あのときは大変だったね、と話した。
ジャネットのことを思い出すと、ぼくはすぐに泣いてしまう。
ジャネットが亡くなったあと、お遍路さんの道をロブと二人で歩いたときも
ずいぶん色々な話をした。
言葉が途切れると、ビートルズの曲を口笛で吹いて
ロブはそれをなぞって歌った。
春の始まりで、桜の咲く夕闇の中を二人で歩いた。
インマイライフという曲が胸に染みた。

ロブを見送った翌日、大島に戻ってきて、また焼酎の仕込みを始めた。
夜、家に帰ってきて、ホッと一息ついたときに
ロブのことを思い出して、涙が出てきた。
あんなにおじいさんになって、はるばる日本にやってきたのに
どうして大島に迎えてあげられなかったんだろう?
と思った。
ロブはジャネットと過ごした大島の思い出の場所を
一人でも歩きたったんだろうな、と今になって思った。
忙しいことにかまけて、ロブの身になって深く考えなかった自分を恥じた。
きっと後悔することになるぞ、と思って、
妻に頼んでロブに電話をしてもらった。
「一泊でも大島に来ない?」
と訊いてみたけれど、もう約束が入っていて
今回は無理だと言う。
「一人でも楽しんでいるから、心配しないようにヒデに伝えてくれよ」
とロブは言っているという。
秋川渓谷を散策して、紅葉の素晴らしい道を歩いたのだそうだ。
「また必ず日本に来るから、そのときは大島で会おうね」
と話して電話を切った。

今日、ロブはカナダに帰っていった。
さよなら、ロブ。
また必ず会おうね。
秋の空に雲がひとつ浮かんでいる。
夕暮れがその雲を柿色に染めていた。
その柿色の雲をしばらく眺めてから、また仕込みに戻った。
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