日本で唯一の屋根に椿の木を植えた店舗から作家、社長、杜氏である谷口英久が綴る抱腹絶倒の「Blog」
いずれ行く道。
22/Oct.2017 [Sun] 17:10
父親の足が弱って、きちんと歩くことが出来なくなってしまった。
トイレに行くのも大変で、行く途中で転びそうで危なくて仕方がない。
オムツをしてもらい、それにすれば良いから、と言っても、やっぱりトイレに行きたいらしい。
それでも、まだ夜は自分の家で一人で寝るので、夜も見に行かなくてはならなくなった。
いつも父のことを見てくれている姉が出かけてしまい、先週からはぼく一人で父を看ることになった。
朝と晩はご飯を食べさせるとして、昼間はどうしたらいいか、途方にくれた。
工場に連れていこうか、とも思ったけれど、寝かせておくような場所がない。
知らない場所に行くと、不安になるので、外に出たがる。
つまり一人にしておけないのだ。
仕事場は自分一人なので、父親のことを看ていると仕事がまったく進まない。
「結いの家」という高齢者を見てくれるケアサービスの施設があって、ここに訊いてみたら? と教えてくれる人がいた。
今までは週に二回ここに行って、お風呂に入れてもらっていたのである。
直接行って訊いてみると、今のところは空いているので、毎日、来ても良いことになった。
「一人で看るって大変でしょう? 何もわからないまま、介護を始めたら、ふつうの百倍たいへんなのよ」
結いの家の代表者であるI瀬さんがそう言ってくれた。
本当にそうなのだ。
着るものの世話、オムツを履かせること、食事の支度、夜も外に出てしまっていないか、家の中で倒れていないか、本当に気が狂いそうになる。
でも朝、着替えさせておけば、岩瀬さんが迎えに来てくれて、結いの家まで連れて行ってくれるので、本当にありがたい。
お昼を食べさせてくれて、お風呂にも入れてもらって、夕方家まで連れてきてくれるのである。
児童託児所がなくて困っている若いお母さんも多いらしいけれど、高齢者を預かってもらえる施設も、これからは必要になってくるんだろうなあ、と実感した。
さあ、これから、夕ご飯を作って、それを食べさせて、ベッドで寝てもらわなければならない。
しかし、これが簡単には寝てくれなくて、また困ってしまう。
「まだ早いよ」
とか
「自分で寝るからいいよ」
と必ず言うのである。
しかしベッドまで歩けないのに、どうやって自分で寝るのか? そう訊いても
「大丈夫だ」
と言うばかりである。
父の世話をしていると、消耗が激しくて、仕事以外は何もできなくなってしまった。
暇があれば寝ているような状態で、関係なく涙も出てくる。
世の中には、ぼくよりも、もっと大変な介護をしている人もたくさんいることだろう。
結いの家には本当に感謝してもしきれない。
「ありがとうございます、本当に助かります」、と今日はI瀬さんに会ったので、心からそう言って頭を下げた。
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秘剣さんに捧げる焼酎
20/Oct.2017 [Fri] 16:31
秘剣さんことW田博温さんが逝かれた、という知らせを
友人から教えてもらった。
えーっ? という言葉がまず口から漏れて、あとは言葉が出てこなかった。
どういう状況だったのか、近頃具合が悪かったのか
詳しいことは何もわからないままである。
お葬式には出られないので、奥様に宛てて花を送った。
するとその奥様から電話があって、
「長いこと患っていたけど、誰にも言わないでくれ」と言われていた、と
話してくれたのだそうだ。(ちょうど電話を貰ったときに出かけていて奥様と話すことは出来なかった)
そうか、秘剣さん、そんなことがあったのか。
何にも知らなくて悪かったなあ。
焼酎ブームも過ぎ去って、世間の焼酎に対する熱もすっかり消えてしまった。
あの頃は楽しかったけれど、辛いことも多かったなあ、と思う。
今日は当時の日記を読み返して、秘剣さんと初めて会ったときのことを
思い返していた。
14年前に、秘剣さんは大島に来て、うちの蔵の蒸留を見ていかれた。
それが焼酎工場を見学する初めてのことだったという。
そのときに蒸留した焼酎に「一期一会」というラベルを貼って、同席した大分の望月さんと、秘剣さんにその焼酎を送った。
タンクには今でもその焼酎が眠っている。
今日は猪口を二つ置いて、一杯は秘剣さんに、それを捧げた。
14年が経って、深い味わいになっていた。
そうだ、この焼酎を池袋のベッタコさんのカウンターに置いてもらって
秘剣さんの友人の方々に飲んでもらうというのはどうだろう?
そのときは必ず、猪口は二つ用意してもらい、一杯は秘剣さんに捧げる形にする。そうすれば秘剣さんもカウンターに立ち寄ってくれるかもしれない。
東京に出かけて、ベッタコの入り口から中を覗くと、秘剣さんが飲んでいる姿がいつも見えた。
「おっ、今日もやっているな」
と思った。本当に焼酎の好きな人だった。
まずは奥様とベッタコさんに相談しなければいけない。
秘剣さん、どうぞ安らかに眠ってください。
長い闘病生活を垣間見せなかったその姿には驚かされました。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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元気で良かった。
11/Aug.2017 [Fri] 18:03
夜になって、玄関のあたりから鳥の鳴き声が聞こえた。
(あいつかもしれない)
と思って、外に飛び出した。
朝、倉庫の中にいた、あの雛のヒヨドリではないか?
と思ったのだ。
外に出てみると、鳥の姿はどこにも見えなかった。
気のせいだったのかな? と思いながらその辺りに
佇んで様子を見た。
蚊が足のすねに喰いついてきて、また家の中に戻った。
翌朝、妻が仏さまのご飯を庭にまくと、
「雀に混じってぽちゃっとした鳥が来たよ」
と教えてくれた。
大きなヒヨドリも一緒だったのだそうだ。
そうか、それは親に連れられてきたあの雛のヒヨドリだったのかも
しれないなあ。
良かった。
妻の言うことには、地面から屋根まで羽ばたいて飛んでいたという。
それを聞いてすぐに見に行ってみたけれど
ぼくはその姿を見ることは出来なかった。
いずれにしろ、親に守られて元気でやっているんだ。
良かったねえ、と妻と話した。
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なんとか。なんとか。
14/Jul.2017 [Fri] 19:20
朝早く、倉庫に瓶を取りに行くと
隅のほうで何かが動く気配がした。
ここはすき間だらけなので、何かが入ってきても
おかしくはない。
こちらが動くと動物は怖がって気配を消すので
ジッとしてしばらく待った。
「チイッ」
と短く鋭い鳴き声がして羽根を羽ばたかせる音がした。
鳥が入り込んでしまったらしい。
鳥が入るのは珍しいな、と思って、動かずに眼だけをこらした。
鳥は窓に向かって羽ばたいている。
でも、羽ばたく力が弱くて、うまく飛べないようにも見えた。
近寄ってみると、逃げもせずにコンクリートの地面に
うずくまってこちらを見ている。
ヒヨドリの雛らしいことが、なんとなくわかった。
頭の毛が寝ぐせが付いたみたいに
ちょっと逆立っているのがかわいい。
横にぴょんぴょんと跳ねている。
窓を開けてあげたいけれど、ここの戸は開かないように
板を打ち付けてしまっている。
外に出すには、向こうの出入り口まで追いやらなければならない。
(うまく行くかなあ?)
と思いながら、
「ほらあっちに行け。そうじゃない、あっちだよ」
と呟きながら、雛を追っていった。
うまい具合に雛は羽ばたきながら、向こうの出入り口の
ところまで進んでいった。
あとは出るだけ、というところになって、また地面にうずくまってしまった。
眼がくりっとして、見上げる視線がかわいい。
「ほら、外に出るんだよ」
そう言って手を叩くと、雛は外に出て行った。
まだ高く飛ぶことが出来なくて、倉庫の壁に摑まって
羽ばたいたあとで、地面に落ちた。
親鳥が近くにいるかもしれないので、そのままにして
そこを離れた。
猫にやられないといいんだけど。
うまく餌が食べられて、もう少し高く飛べるようになるといいなあ。
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プチトマトの収穫
15/Feb.2017 [Wed] 17:38
右手の人差し指の先端がお昼のあとで急に痛み出した。
なにかを触ると、ズキンと痛む。
これは何かな?
爪を剥がしかけたのかな? と思った。
でも爪はなんともない。
ちょうど鍼に行くところだったので
阪本さんにそのことも訊いてみた。
「うーん、わからないけど、とりあえず瀉血(しゃけつ)をしてみよう」
と言って、小さな道具を取り出した。
糖尿病の患者さんが血液を測定するときに使う道具で
ペンの先端に針が付いているらしい。
それを指先に当てて、シャープペンの芯を押し出すように
お尻のボタンを押すと、針が出て、指先にプツンと小さな穴が開いた。
プチトマトのように指先から紅いものが盛り上がってくる。
指をしごいて、血をどんどん出すように、と言われて
そうすると、血がいくらでも出る。
阪本さんはそれを待っていて、脱脂綿にアルコールを含ませたもので拭いてくれる。
指をしごけばしごくだけ、血が出るので、少し心配になった。
「輸血をしないと・・・」
とぼくが言うと、
「大丈夫。そのうちピタッと止まるから」
と阪本さんは言った。
そんなことを二十回くらいやっただろうか。
血が止まって、もういくら指をしごいても血は出なくなった。
すると指先の痛みも消えてしまった。
うっ血したものを出せば痛みも消えるのだという。
面白いものだなあ、と思って阪本さんにそう言うと
「本当にねえ」
と言って、嬉しそうに笑った。
お地蔵さんのような、しみじみとした笑顔だった。
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もうそういう歳になったんだなあ、と友達が言った。
21/Jan.2017 [Sat] 17:39
仕事をしていると、S藤のお母さんがやってきた。
うちにS藤のお母さんが来たのは
初めてのことだったので、どうしたんだろう? と思った。
お母さんはぼくの顔を見るなり涙ぐんで
眼から涙が溢れてくるのが見えたので、驚いた。
驚いたのと同時に何か悪いことがあったんだな、
と思った。
でも、そんなことは考えたくないな、とも思った。
「ヒロユキがねえ、死んじゃったのよ」
とお母さんは言った。
S藤とは中学一年生のときに同じクラスになった。
気があって、一緒によく遊んだ。
S藤の家にもよく遊びに行ったので
お母さんにもお世話になった。
大学生になって、東京に出てからも、神楽坂から
S藤の住んでいる中野のアパートまでよくバイクで
出かけた。
最後に会ったのは三年前で、お正月休みに大島に戻ってきたので
と言って、焼酎工場に寄ってくれた。
娘さんが一緒で、その子が中学時代のS藤に本当によく似ていて
嬉しくなった。
二年前に寄ってくれたときは、ぼくが出かけていて
会うことが出来なかった。
そのことをときどき思い出して、
「そうだ。連絡をしなくちゃなあ」
と思っていたのである。
昨年の秋に胆管が詰まったことで手術をしたのだそうだ。
すると肝臓に癌が見つかった。
その癌がずいぶん進んでいたのだそうだ。
胆管を手術したあとで、仕事場である大学にすぐに
復帰をしたらしい。
けれども、また具合が悪くなってクリスマスの日に
亡くなったのだそうだ。
お母さんの話しを聞いて、ぼくも涙がとまらなくなった。
お葬式は現役の大学教授だったこともあり
住んでいた街で執り行われたのだという。
「今日、大島のお墓に納骨をしてきたの。
そうしたらあんたの顔が眼に浮かんだから
ここに来てみたのよ」
とお母さんは言った。
少し前に、S藤が高校生のときに録音してくれた
ビートルズのカセットテープを久しぶりに聴いたのだった。
シングルの発表順になっていて、それを調べて
録音してくれたものである。
誕生日プレゼントにS藤がくれたもので
それが今でもちゃんと聴けることが素晴らしいなあ、
と思ったばかりだった。
夕方になって、家に帰るまえに、S藤のお墓参りに出かけた。
村が違うので、場所がよく判らなくて、しばらく探した。
お墓の前にマグカップが置いてあって、それをしばらく眺めた。
冷たい風が足元から吹きつけていた。
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また必ず会おうね。
27/Nov.2016 [Sun] 19:23
カナダからロバートがやってきた。
と言っても、これを読んでいる人には何のことか、わからないだろう。
妻の高校時代の英語の先生が
カナダ人の女性で、ロブ(ロバートの愛称)はその息子さんにあたる。
息子さんと言っても我々よりはずっと年上で
見た目はもうおじいさんのようである。
ぼくが初めてロブに会ったのは18年前のことだった。
奥さんのジャネットも一緒だった。
18年前はぼくものんびりしていて
一緒に遊ぶ時間もたっぷりあった。
ところが今回は焼酎の仕込みにぶつかってしまい
伊豆大島でロブを迎えることがどうしても出来なかった。
さつま芋の仕込みで忙しかったのと
麹菌が身体に入ると、ものすごく気分が落ち込むので
とてもお客さんを迎えるような気持になれなかったのである。
それで東京で一晩だけロブと逢うことになった。
その日は税務署の用事があり、夜なら時間が空いているので
どこかでご飯を食べようということにした。
静かな和食のレストランを予約して
三人で夕食を食べた。
三年ぶりに見たロブは、背中がずいぶん丸まってしまって
歳を取ったなあ、と思った。
ぼくの顔を見ると、ロブは本当に嬉しそうに笑って
「ヒデだよ。これは幻じゃないか?」
と言った。それからお互いに「久しぶりだね」と言って抱き合った。
「今回は本当に申し訳なかったね、ロブ。
大島に来て欲しかったんだけど、どうしても忙しくて
迎えることが出来なかったんだよ。ごめんね」
とぼくは言った。
ロブは東横インというビジネスホテルが気に入っていて
今回は東京での部屋が取れず、秋川のホテルに泊まっているという。
「今日は何を食べたの?」 と訊いたら
「お昼はオムライスを食べたよ」
と言って、笑ってみせた。
しばらくはお互いの近況や、カナダに暮らしているロブの兄弟の
話しをしたけれど、それから亡くなったジャネットの話になった。
18年前は一緒に鎌倉にも出かけて、山の中を散策したね。
それから長谷寺の近くの宿に泊まったよね。
歩きすぎてジャネットの足が腫れあがって
あのときは大変だったね、と話した。
ジャネットのことを思い出すと、ぼくはすぐに泣いてしまう。
ジャネットが亡くなったあと、お遍路さんの道をロブと二人で歩いたときも
ずいぶん色々な話をした。
言葉が途切れると、ビートルズの曲を口笛で吹いて
ロブはそれをなぞって歌った。
春の始まりで、桜の咲く夕闇の中を二人で歩いた。
インマイライフという曲が胸に染みた。

ロブを見送った翌日、大島に戻ってきて、また焼酎の仕込みを始めた。
夜、家に帰ってきて、ホッと一息ついたときに
ロブのことを思い出して、涙が出てきた。
あんなにおじいさんになって、はるばる日本にやってきたのに
どうして大島に迎えてあげられなかったんだろう?
と思った。
ロブはジャネットと過ごした大島の思い出の場所を
一人でも歩きたったんだろうな、と今になって思った。
忙しいことにかまけて、ロブの身になって深く考えなかった自分を恥じた。
きっと後悔することになるぞ、と思って、
妻に頼んでロブに電話をしてもらった。
「一泊でも大島に来ない?」
と訊いてみたけれど、もう約束が入っていて
今回は無理だと言う。
「一人でも楽しんでいるから、心配しないようにヒデに伝えてくれよ」
とロブは言っているという。
秋川渓谷を散策して、紅葉の素晴らしい道を歩いたのだそうだ。
「また必ず日本に来るから、そのときは大島で会おうね」
と話して電話を切った。

今日、ロブはカナダに帰っていった。
さよなら、ロブ。
また必ず会おうね。
秋の空に雲がひとつ浮かんでいる。
夕暮れがその雲を柿色に染めていた。
その柿色の雲をしばらく眺めてから、また仕込みに戻った。
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台風凄かったですね。
22/Aug.2016 [Mon] 17:56
台風、すごかったですね。
もうね、雨がザバザバと降ってきて
窓から外を見ていても、すぐ向こうの屋根が
見えないくらい、白く霞んでいました。
こうなると家の天井から雨漏りもしてくるし
寝室の窓ガラスからは水が入ってきます。
風に押されて雨水が窓のどこからか浸入してくるらしいんですが
しかし、床が濡れるので困ります。
これが何時間も続けば、本当に水浸しになるだろうなあ、
と思いながら、台所からボウルを持ってきて
水が垂れてくる場所に置きました。
こういう日は昼寝が一番。
雨戸を閉めているので、家の中も暗いし、
風と雨の音を聞きながら眠るとよく眠れます。
心配はしているんですけど、その一方で
それ以上考えても仕方ないよ、と思ってしまう。
よく眠れることはありがたいことです。

気にしていたのは三年前の台風で大きな被害があった
元町という街に、また水が溢れるのではないか? 
ということでした。
知り合いのIさんの家は民宿をしていたのですが
やはりその民宿は水害で大変なことになり
この三年間、営業も出来ず、仮設住宅で暮らしていました。
三年を経て、ようやくそこに新しい店を作り直して、
もうすぐ再開というところまで来ていたので
ここでもう一度被害に遭ったら辛いなあ、
と思っていました。
でも、今回は大きな被害もなく、ホッと一安心。

ご心配してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
東の空に手を合わせて、何事もなかったことに
お礼を言いました。
工場はどうなったのかって? 雨がだいぶ小降りになったので
もう少ししたら見に行ってみます。
ありがとうございました。
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そんなことがあるかなあ?
09/Aug.2016 [Tue] 18:59
近頃は暑いせいか、雀がご飯を食べに来ない。
仏さまにお供えしたご飯を雀におすそ分けして
庭にまくのだけれど、雀がちっとも食べに来ない、
と妻はつまらなさそうに言った。
ところが今朝はその雀がたくさん電線にとまって
ご飯を待っているので嬉しくなったの、と言った。
しかし、それは雀ではなくてツバメだった。
眼が悪いので、よく見えていないらしい。
たしかに、ツバメが横並びに電線にとまっている。
一羽、また一羽と、見ているあいだにも、その数は増えている。
春からの巣作りと子育ても終わって、これから群れを作って
どこか南の暖かい地方へ移動するのかもしれない。
暑いとは言っても、ツバメたちには、移動する季節なのだろう。
そうか、もうそんな季節なのか。
渡ってゆく途中で死んでしまうツバメもいることだろう。
渡るのは過酷な旅なのだ。
だからみんなで群れを為して飛んでいく必要があるのだ。
このツバメたちが集まる風景を見ると
なんともいえない気持にさせられる。
窓辺から離れて、朝ごはんを食べていると
「あっ、リス。リスがご飯を食べに来た」
と妻が大きな声で言った。
尻尾の大きな台湾リスが屋根に登ってきたという。
(そんなことがあるかなあ?)
と思いながら、味噌の効いた濃い味噌汁を飲んだ。
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びっくりしたなあ。 5
26/May.2016 [Thu] 6:53
「昔のままですか?」
ぼくはI葉さんに訊いた。
「はい」
もう言葉よりも眼が先に動くという風にI葉さんは
家の中を見渡している。
十年前に改修をしたときに、より原型に近い形に戻したのだ。
祖父が移築したあとで付け足したお風呂場や洗面所は別の場所に移した。
ただし客間だけはもう使わないので、畳敷きを板張りに変えて
ある。
廊下だったところは、そのまま板張りの部屋と一体化させた。
しかし、だからと言って原型を損なうようにはなっていない。
設計者と何度も相談して改修したのである。
ぼくは奥にある囲炉裏の部屋のことを話した。
ここにはかつてI葉さんのおばあさんが座っていたらしいことを
聞いたことがあったからだ。
でも、350年も経った家なら、本当に様々な人が座っていたことだろう。
I葉さんはご家族で撮ったいう古い写真を見せてくれた。
この家の前で撮ったものだという。
I葉さんはまだ赤ちゃんで、お母様に抱かれていた。
たしかにこの家の前で撮った写真で、それを見ていると不思議な気持になった。
かつて縁側があったこの家の前で、知らない家族が写真に写っている。
その奥には見たことのない庭が広がっている。
この家を大島に持ってきて建てたときに島の大工さんたちでは
建てることが出来なかったことも、叔母から聞いたことがあった。
釘を使わず、木組みだけで建ててあるために、構造がわからないと
組み立てられなかったのだろう。
そこで、伊東から宮大工を呼んで、建ててもらったのだそうだ。
襖には中国の漢詩が書かれていて、そこには明治乙巳春日と記されている。
およそ百十年前のものであることが改修のときにわかった。
酸性紙が破れてきて、京都に直せる人がいるということで
そこまで送って張り替えて貰った。
やはり島には直せる人がいなかったからだった。
するとその襖の中から染物の売り上げ台帳の紙が出てきた、ということで
それも一緒に京都から送ってもらったことを、ぼくはI葉さんに
話した。
大川村でこの襖を張り替えたときには、紙は貴重なものだったのだろう。
それで一度使った台帳を襖の中に使ったのではないか?
と京都の経師屋さんは教えてくれた。
十分という時間はあっという間に過ぎてしまった。
でもI葉さんにこの家を見てもらうことが出来て
本当に良かった。
今度はぼくは大川村に出かけて、この家が建っていた場所を
訪れることにしたい、と思った。
囲炉裏の火を眺めると不思議な気持になる、その気持の根っこの
ところがなんとなくわかったような気持になった。
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