日本で唯一の屋根に椿の木を植えた店舗から作家、社長、杜氏である谷口英久が綴る抱腹絶倒の「Blog」
すごいスピードで変化している。
09/Jul.2020 [Thu] 15:03
熊本の洪水に続いて
今日は岐阜でも大雨の警報が出た。
大変なことである。
球磨川の氾濫のニュースをラジオで聞いている時に
「可能な方は屋根に登ることをお勧めします」
とニュースでは言っていた。
しかし現実的に考えて、洪水が起きた時
咄嗟に屋根に登ることのできる人は
どのくらいいるんだろうか?
と思った。
状況として、洪水が起きているのであれば
もう家のまわりは水が溢れてきているだろう。
そんな状況で屋根に登るためには、ハシゴが必要になってくる。
ハシゴを架けるためには、外に出なければいけないわけで
そうなるともう水に流されてしまうこともあるだろう。
二階にベランダがあって、そこからハシゴで
屋根の上に上がれる、というのなら可能かもしれない。
つまり、ふだんから、そういうことを想定して
屋根に登れるようにしておかなければ、
いざという時に助からないかもしれないよ、ということだと思った。
そのくらい、地球の環境が変わってきているんだろう。
ぼくの住む家の周りだけを見ても
風の吹き方も、雨の降り方も子供の頃と違って
常に台風が来ているように荒れ狂うことが多い。
球磨川の近くに住む女性が家族を二人も亡くした直後に
インタビューに応えようとして泣いてしまい
「すみません」
と言っている映像を見て、自分も泣いてしまった。
「すみません」なんて言わなくていいのに、
とその人に言いたかった。
辛いことである。
comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
また今日も叫び声が聞こえる。
06/Jul.2020 [Mon] 14:06
工場の裏にある林の中から
奇妙な声が聞こえた。
ギグエエーッ、という低いけれど
そこに高音も混じる、そしてものすごく
よく通る声だ。
悪魔の声はこんな声だろうか?
と聞くたびに思ってしまう。
これはキョンの声で、一度鳴き始めると
しばらくその場に居座って鳴いている。
臆病なくせに「うるさい」と大声で言っても逃げない。
自分の声で他の音が聞こえないのかもしれない。
この何年かはキョンが大島全体で増えすぎているので
町が駆除をし始めた。
裏山に歩きに行くと防護ネットに
そのキョンが掛かっていることがある。
小さな華奢な体つきで、かよわい鹿に見える。
網に掛かっているとかわいそうで見るに耐えない。
(助けることは禁じられている)
しかし、その体つきとは裏腹に
声はすごいんですよね。
原稿を書いているときや、焼酎の帳面を付けている時に
こいつの声が聞こえてくると
仕事が出来なくなるくらい、ひどい声だ。
この何日かは毎日のように鳴いていて
ため息が出てしまうほどである。
まあキョンにしてみれば、鳴きたい事情もあるのだろう。
俺の言い分も聞いてくれよ、ということかもしれない。
これが東京なら、隣の部屋がうるさくてかなわない。
上の部屋の人の歩く音がうるさい、ということになるのだろう。
悪魔の声がいいか、隣人の人間の出す騒音がいいか、
まあどこにいても似たような悩みは尽きないというわけである。
とにかくそんなわけでキョンは今日も鳴いている。
百合の花に蕾がついているのは食べないでくれよ、と心の中で思った。
comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
ツバメは一日に一つずつ卵を産む。
15/Jun.2020 [Mon] 14:01
近所のヨシアキさんは自宅の倉庫に
毎年ツバメが巣を作るのを楽しみにしている。
今年はオスが一羽で来て巣を作ったものの
その後肝心のメスが来ないのでヤキモキしていたのだそうだ。
「家があっても、独身じゃあ寂しいよね」
と二人で話した。
その後オスのツバメには無事にお嫁さんが来て
とうとう巣には卵が四つ産みつけられた。
「卵は毎日一つずつ産みますね」
とヨシアキさんは教えてくれた。
巣の中を観察する専用の鏡を自分で作って見ているらしい。
それで、もう明日には卵が孵るという時になって
ツバメの片割れが巣の下で死んでいるのを
見つけたのだそうだ。
卵も四つとも無くなっていて
たぶん青大将という蛇の仕業だろう、と
いうことだった。
青大将は垂直の壁でも登ってゆくので
ツバメの巣も狙われてしまうのである。
「がっかりしましたよ」
とヨシアキさんは目にうっすら涙を浮かべながら話してくれた。
死んでいたのはたぶんオスのツバメだろうということ。
やってきた青大将を追い払おうとして
逆に噛まれたのだろう。
せっかく巣を直して、相手を見つけて
卵が孵る、というところまで行ったのに
自然界ではこういうこともよく起きる。
本当に残念だったね、とがっかりしているヨシアキさんに
そう声をかけた。
comments (2) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
神様にお願いしたこと。
08/Jun.2020 [Mon] 14:46
北に拉致された横田めぐみさんと
自分がほぼ同い歳だということに気がついたのは
いつ頃だったろうか?(正確には一学年違う)
そう考えると、めぐみさんの存在がグッと身近なものに感じられた。
中学生になって、桜が咲く頃に
風疹が流行ったのも同じだ。
昨日はお父さんの滋さんが亡くなられて
テレビでその報道を見てやっぱり泣いてしまった。
お父さんの姿を最近はテレビで見かけなくなったので
どうされているのか、心配だったけれど
やはり具合が悪かったんだ、と思った。
奥様の早紀江さんと二人で全国を回り
めぐみさんが拉致されたことを訴え続けた
あの真剣な表情を見るたびに
涙が出る。
どうしてうちの娘は拉致されたのか?
なぜうちの娘は帰ってこないのか?
もし問われてもぼくにはその答えが出せない。
自分の生きてきた人生に目を向けるのと同時に
今、めぐみさんはどうされているのか?
考えると深い穴の底を見つめるような気持ちになる。
本当に人生は不公平で
なぜ不公平なのか、
いまだに答えは出ない。
死ぬということはどういうことなのか?
それにも答えは出せない。
命が尽きるまでにその答えが言えたら良いなあ、と思っている。
本気でそう思っている。
そして、すぐにでもめぐみさんが日本に戻れることを心の底から
お祈りします。
comments (2) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
素晴らしい朝が今日も来ている。
04/Jun.2020 [Thu] 14:30
66キロあった体重が
58キロまで減ってしまった。
相変わらず気持ちが悪くて食べられないのが
原因だろう。
痩せると体力も落ちるし、忙しい時の
スタミナがなくなってしまう。
自分にとっては小太りくらいの方が
調子が良いのだけれど、まあ仕方がない。
何か美味しく食べられるものがないか、
考えても、買うものはたいてい添加物が
入っているので気持ちが悪くなってしまう。
車のガソリンを入れるために、さち子さんのところに
寄ったら
「ヒデ坊、大丈夫なの? 」
ともの凄く心配された。
こんなに痩せるのは良くないよ、ということらしい。
しかし胃も綺麗だし、癌の心配もないんだ、
と言っても、いや、どこか悪いところがあるんじゃないのか?
と怪訝そうな困ったような顔をしてそう言われた。
背中の凝りが原因だと言っても、普通はそんなふうには
見ないのだろう。
でも、この痛みは治るために必要なんですね。
この一年間は、この背中の凝りをなんとかしたくて
整形外科のリハビリも受けて、筋トレもしてきた、
その成果が出始めている、というわけだ。
激しい凝りが悪さをしているために
様々な弊害が出てくる。
体重の減少も、今が底だろう。
体重が減ったので内臓脂肪も体脂肪も減った。
血液検査をしてみたら、数値はどれも正常で
この歳にしては素晴らしい部類に入るのだそうだ。
あとはこの気持ちの悪さが治れば良いのである。
美味しく物が食べられることがどんなに素晴らしいことか
健康な人にはわからないだろうなあ。
そのことを考えると
この地球上の素晴らしいことにも触れたくなるけれど
そんなことを言っても
(またそんなこと言っているよ)
と笑われてしまうことだろう。
いや、本当に素晴らしいんですよ。
お日様が届いて温かいことがどれだけ素晴らしいことか
本当にありがたいことである。
素晴らしい朝が今朝も来ている。
comments (2) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
いつもこんなことを呟いてため息をついているんだな。
11/Aug.2018 [Sat] 17:28
台風が近づいてきている。
ゆうべもかなりの量の雨が降って、今日の午後には本格的に島に近づいてくるという。
朝になって倉庫に行ってみると、雨漏りしていることがわかった。
ここはもう古いので屋根のコンクリートに亀裂が入って、そこから
雨が漏れてくるのである。
亀裂の部分を削って、そこにコーキングを流し込み、なんとか修理をしたけれどやはりコーキングが古くなってくると、同じように水が染みてくる、らしい。
やれやれ、今日は焼酎の瓶詰めをしておきたかったけれど
仕方がない、一度工場に出かけて、修理の道具を持って、もう一度ここまで
戻ってくることにしよう。
(いつもこんなことを心の中で呟いてため息をついているんだな)
幸いなことに今は雨も止んでいるので、なんとかこのあいだに
雨漏りの修理をしてしまいたい。
あと二時間くらいは雨も降らない、という予報である。
ハシゴに、コーキング、それにコーキングのヘラ、を車に積んで
もう一度、倉庫に戻ってきた。
途中で、サイクリングをしているカップルを見かけた。
中年の男性はステテコ姿で、女性は自転車を停めて、上着を脱ごうとしているところだった。それを男性がすごい形相で見つめていた。
なんだってあんな形相で相手を見つめているんだろう? と思った。
おいおい、これから台風なんだぞ、そんな呑気なことをしている場合ではないぞ、と思いながら、車で走りぬけた。
あまりに疲れている人や、ちょっとこれは目的地まで辿り着く事が出来そうにもないような人を見かけたときは車を停めて声を掛けることもあるけれど、
今は、そんな余裕はない。
雨が降ってきたら屋根の修理どころではなくなってしまうからだ。
でもヘタに声を掛けると、怪しまれたり、怖がられたり、あとは
せっかくの休みに楽しんでいるんだから、ヘンなこと言わないでください
と怒られたりもする。
そうなのだ。
うちに買い物にきたお客さんが水着を着ていたので
「今日は台風だから、泳ぐのはやめたほうがいいですよ」
と言ったら、その人に
「せっかく休みを取ってきたんですよ」
と逆上されてしまったことがあった。
まあそれぞれ都合があるんだから、台風なんかに構っていられるか、ということなのだろう。
気持ちはわかるけど、でも死んじゃうこともよくあるよ、となんとか伝えたい。
しかしこちらが真剣になればなるほど、相手は引いてゆくので
これはダメだろうな、と思って、諦める。
それで倉庫の屋根に登ると、風がびゅんびゅん吹いて、帽子も、道具も飛ばされそうになった。
ちょっとでも空に近づくと、ひどく暑く感じるのは気のせいだろうか?
なんとかコーキングを塗って、やれやれ、と思って、工場に戻った。
さっきのサイクリングをしていたカップルの姿は見当たらず、
どうか無事に楽しい休暇になってもらえたら、と祈るばかりだった。
comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
むせび泣く人。
16/Jul.2018 [Mon] 18:21
夕方、日が暮れ掛けている時間に家に帰ってくると
向こうから人が歩いてくるのが見えた。
島では歩く人は少なくて、たいていは近所に出かけるにも車を使う。
だから、島の人ではないのかな? と思った。
狭い道で顔を合わせて何にも言わないのも気持ちが悪いので
「こんばんは」
と声を掛けた。
すると
「あンたは誰?」
と訊かれた。
(うーん誰って言われても、単に挨拶をしただけなんだけど・・)
とも言えず、ちょっと困っていると
「トラさんのお孫さん?」
と訊かれた。
トラさんというのはぼくの父親なので
「いえ、息子です」
と答えた。
「え? お孫さんでしょう?」
とその初老の男性は言った。
短い髪の毛は白髪混じりで、立ち振る舞いからすると
島で暮らしている人ではないように見えた。
父親のことは知っていても、ぼくのことは知らないのだろう。
まあ、孫でも良いか、と思っていると
「お盆でお棚があればお参りしたいけど」
と言われた。
それで家に上がってもらって、お線香を上げてもらうことにした。
しかし、帰ってきたばかりで、家の中は暑くてたまらないだろう。
そう言うと、それでも構わないと言う。
父親の写真を見ると、その人は
「いやあ・・・良い写真だなあ・・・」
と声を詰まらせるようにして言った。
写真は店番をしている晩年の父の姿だった。
店のレジに立って、こちらを見てホンヤリ笑っている。
いつもこうしてレジに立って、店番をしていたので
遺影にもこの写真を使ったのだった。
ロウソクは置いていないので、ぼくがライターで
お線香に火をつけて、その人に手渡した。
すると、男性はなんだか声を詰まらせて
「トラさん、世話になったなあ・・」
と言って大声でこらえきれない、といったように泣いた。
「くっ・・・くうぅっ・・」
という声にならない声が部屋に響いた。
どう声を掛けたら良いのか、わからず、その人の隣に座って、
父の写真を一緒に見ていた。
「本当に良い人だったですよ。
去年も店で(帰ってくれば良いでえ)って言ってもらって
それで帰って来たのに・・」
とその男性は言った。
(良かったねえ)
と父の写真を見ながら、ぼくは大きな声で言った。
そうして頭を下げて、その人を見送った。
もうじきお盆も明けて、何もかも焼いてしまう日が来る。
生きているって何かなあ? と尋ねる人もいない。
同じく死ぬってどういうことかなあ? と尋ねる人もいない。
経験した父に訊いてみたいけれど、父はただ遺影の中で
笑っているだけである。
前歯が抜けてそれがチャーミングに見える。
comments (0) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
不思議な装置
08/Jul.2018 [Sun] 19:38
大島では「お棚」という独特の風習があって
これは亡くなった人を弔うための新盆の儀式である。
白い提灯に戒名を書いたお札を貼り、その提灯に
手と足を模した切り紙をぶら下げる。
これを天井から吊るして、飾る。
その脇に、お葬式で使った白木の位牌と香箱を置く。
あとは一本の串に四つ、団子を指して、これを四本並べる。
キュウリと茄子に爪楊枝で足を付けたものも飾る。
それを新盆の十六日前から家に祀って、近所の人が線香をあげにくる。
新盆が開けて、七月十六日になると、浜で、その飾ったものをすべて火で焼いてしまう。
「お炊きあげ」という行事で、そうやって、ようやく故人は
家族と別れてあの世に行くのだそうだ。
そのお炊きあげのときには、人型を模した提灯も焼いてしまうので
まあ本当にこれで死んでしまった人と袂(たもと)を分かつ、ということなのだろう。
しかし、この季節なので、串に指した十六個の団子は
すぐにカビが生えてくるし、仕事をしながら、団子を作るのは
なかなか大変なことだなあ、と考えてしまう。
先週はこの棚を飾るのに奔走した。
まず、提灯を吊るのに、一苦労をした。
売っているものを買えばそれで済むけれど
それではあまり供養にならないような気がして、
どうにか自分で作れないものか、と思った。
しかし、手と足を模した切り紙も複雑で、写真を見せてもらっても、
これを自分で作るのは無理だろうな、と考え直した。
昔は、この切り紙が得意な年寄りがいて
それぞれの家を廻って、ひとつずつ作ったのだそうだ。
今となっては作り方を教えてくれる人もいないので、
仕方なく、売っているものを買った。
お寺に戒名を書いたお札を貰いに行き、それから白い布を買いに
洋品店に出かけた。
洋品店なんて、もう東京にはないだろうなあ。
こういう単なる白い布は、東京ではどこで買えるものか、
ちょっと見当がつかない。
お棚を飾ると、お線香を上げに来る人がお香典やお供えを持ってきて
くれるので、それもお断りしなければ、と姉と話した。
しかし、家にずっと、二週間も、いるわけにもいかないので
やはり家には鍵を掛けて出かけるしかないだろう。
お線香を上げに来てくれる人がいれば、言ってもらって
鍵を開けてもらうように、姉に頼んだ。
あとはロウソクの火が、提灯の切り紙に燃え移って
火事になった前例があるので、その火には特に気をつけなければ、
ということで、ロウソクは置くのはやめて、
お線香に直接火をつけてもらうようにした。
昔はどの家にも年寄りがいて、こういう役を引き受けていたけれど
もう、そんなことも言っていられない。
妻もぼくも一緒に仕事に出かけるわけで、
そうなると線香番をする人間もいないのである。

とにかく十六日間に渡る、お棚の儀式が始まった。
お棚を飾ると、故人が帰ってきた気配がして
久しぶりに父親と接した気分になった。
話すというより、お互いの気配を察した、というほうが近い感じである。
生きているときも、男同士、積極的に話をするわけでもなかったので
それは今も変わらないのだろう。
そこにいるんだね、というような気持ちになった。
不思議な装置である。
comments (4) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
なんと言っていいのかわからない。
17/Mar.2018 [Sat] 9:45
明日は父の百間日で、いよいよお墓に納骨をする予定だ。
納骨にあたって、石屋さんを頼むのだろう、と思っていたら
自分でお墓に収めるのだという。
それが先週、お寺のお坊さんと話していてわかった。
初めはそれを聞いてびっくりしたけれど
考えてみれば、葬式組合では、よく納骨をしている。
お葬式を終えてすぐに納骨をする人も多いので
そういう時は、葬式組合の人間がお墓の下を開けて
お骨を収めるのである。
ぼくの住む村には、葬儀屋さんがいない。
元町という、島で一番大きな町には葬儀屋さんが何軒か出来た。
しかし、ぼくの住む村では自分たちの手でお葬式をする形が残っていて
そのために組合がある、というわけだ。
組合では葬儀のための祭壇を作り、進行もする。
終わってから片付けもあって、さらに納骨もするのである。
ぼくはまだ若手なので、そういう仕事は進んでやらなければならない。
といっても仕事があったり、出かけていたりすることも多くて
いつも必ず参加するわけでもない。
まあ、そんなこともあって、納骨だって、自分で出来るのだ。
それで、一昨日だったか、墓石の下の石の目地をあらかじめ開けておく
作業をしに、お墓に出かけた。
バールで目地をこじ開けようとしたのだけれど、
この目地のセメントがずいぶんしっかり固定されていて
簡単には開けられないようになっていた。
まあ、お骨の入っている場所が簡単に開いてしまったら困るわけで
そういうものか、とも思った。
しかし、そうなると、金づちも持ってきて、バールで叩いて
目地を開けなくてはならないだろう。
また改めて出直さなきゃいけないかなあ? と思っていると
お坊さんが様子を見に出てきてくれた。
金づちが要るのなら、持ってきてくれるという。
そんなわけで、お坊さんにも手伝ってもらって
二人で、お墓の石の目地を開けて、石を引っ張りだすところまでやった。
なんとか動いたので、あとは当日、やることにしよう、ということに
なって、また石を元の通りに戻した。
土がずいぶん溜まって、スコップで掘らなければ、お骨を収めるのは
むつかしいこともわかった。
今度はセメンではなくて、コーキングという、ゴム系の
素材を使って目地を埋めようとお坊さんと話した。
そうすれば、次回はカッターで切れるから、とお坊さんが言った。
しかし、この次にこの石を開けてお骨を収めるときは
ぼくが入るときなんだ、ということに急に気が付いた。
30年前に母が、その翌年に祖母が、そして父が明日、ここに入る。
そのあとはぼくの番なんだ。
そうか、もうそんなことになるわけか。
s感慨深い気持ちになって、しかしそんなに嫌な気もしない。
お骨になって静かにここで過ごすのも悪くないだろう。
日当たりも良いし、なにより静かだ。
お骨になるって、不思議なことだ、と父のことを見て
そう思ったけれど、それも近未来の現実なんだなあ。
良いお骨になれるようにするにはどうしたら良いんだろう?
それには、まず、うーん、覚悟をして
生きていかなくてはいけないんだろう。
明日、晴れるといいな。
comments (3) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
そこにいるの?
31/Jan.2018 [Wed] 7:27
近所の民宿をやっている女性から電話があった。
電話に出たのは妻である。
「あのさ、お父さんが住んでいた家、あれ貸したり売ったりしないの?」
と訊かれたのだそうだ。
「いえ、まだ亡くなったばかりですし、それにまだお骨も置いてありますから」
と妻は応えた。
「うん、知ってる。親戚の人に聞いたら、見てもいいって言うから
今見てきた。お客さんを連れて」
その人はそう言ったという。
四十九日までは祭壇にお骨を置いて、近所の人でお線香をあげたい人がいれば
昼間のうちに勝手に家に入って手を合わせてもらえるようにしてある。
そこにお客さんを連れて、家の中を見てきたのだそうだ。
「お客さんはイギリス人で、ここに住みたくて、家を探しているのよ。
だから連れて行って家の中も見させてもらったけど、売る気があるかどうか、
旦那さんに聞いてくれない?」
そう言われて答えに窮して、仕事をしているぼくのところまで妻が電話を持って訊きに来た、というわけだった。
(だってお骨が置いてあるんだよ。そう言ったの?)
ぼくは電話の子機を手のひらで押さえている妻にそう言った。
「うん、何度も言ったけど・・・・」
妻も困ってしまったように少しうなだれるようにしてそう言った。
目の下に隈が出来たように青白い顔をしている。
お骨が置いてある棚には花も飾られて、父の遺影、それにいつも被っていたお気に入りの帽子も置かれている。
イギリス人の夫婦はそれをどういう気持ちで見たのか、それよりも家を欲しい気持ちが優先したのか、それはもう理解のしようがなかった。
「売る気も貸す気もないって言ってよ」
ぼくは電話に出ずに妻にそう言った。
妻がそう電話に向かって言うと
「じゃあもし気が変わって、売る気になったら連絡をちょうだいよ」
そう言ってその民宿の女性は電話を切ったという。
しばらくそのことを考えていたけれど
造っている焼酎が不味くなるので、考えるのをやめた。
(見に入ったのか・・・)
そう思うと可笑しくなってきて、ちょっと笑った。
死んだら何も言えないけれど、生きていても何も言えないことって
あるよなあ、と父に話しかけた。
焼酎蔵の中に四つぶら下がっている電球のひとつが消えた。
電球の球が切れたのかと思って取り替えようとしたら
また点いた。
不思議なことがあるもんだ、と思った。
comments (2) : trackback (x) : PAGE UP↑↑↑
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
<<<<< 2020,Jul >>>>>