日本で唯一の屋根に椿の木を植えた店舗から作家、社長、杜氏である谷口英久が綴る抱腹絶倒の「Blog」
風の吹く庭。
16/Sep.2020 [Wed] 13:55
八月に入ってすぐ、新島のM原さんから
電話があった。
朝早くの電話だったので、何があったのか? 心配しながら
電話に出た。
八丈島の磯崎さんが亡くなられた、という事で
それを伝えてくれたのだった。
磯崎さんは東京七島酒造組合の同じ組合員だった。
六年前だったか、突然、酒造を辞める旨を
東京七島新聞に掲載して、それを見せられる形で
組合からの退会も知らされた。
驚いたけれど、磯崎さんらしいやり方で、
異物を飲み込むようにして時間をかけて納得をした。
磯崎さんは後継者もいないし、その仕事を継ぐ時に
父親から「蔵はお前の好きにしていい」ということを言われた
ことから、廃業を決めた、という。
それからしばらくして、八丈島の磯崎さんに会いに出かけた。
必要な器械があれば譲るから遊びがてら見にこい、ということで
日帰りで羽田から飛行機に乗って出かけた。
醸造の規模が大きくてうちで使えるような器械はなく
最初から貰うつもりもなかったけれど
磯崎さんの顔を見たくなって出かけた。
ぶっきら棒で口が悪く影で磯崎さんのことを悪くいう人も
多かったけれど、ぼくは磯崎さんのことが好きだった。
造りに対しては真摯で、変わり者同士気が合ったのかもしれない。
磯崎さんの造る焼酎も骨太な中に繊細な味があって好きだった。
初めて組合の旅行に参加した時に磯崎さんにお酒を注ごうとすると
「要らねえ」
と言われたので
「俺の酒が飲めねえのか?」
と笑いながら言うと、周りの人が青ざめた様子で
「よせ、タニグチくん」
と言われたことがあった。
組合の旅行ではたいてい磯崎さんと誰かが喧嘩になるらしく
そう言うきっかけを作るな、と言われたらしかった。
でもぼくには喧嘩をするつもりもないし
言葉に剣がなかったからか
磯崎さんも笑って、グラスを差し出した。
そんなことで仲良くなった。
それでも言いたいことは誰かれ構わずズケズケ言うので、
やっぱりこれではよく思わない人も多いだろうな、と
磯崎さんのことを見て思った。
八丈島の磯崎さんの蔵に伺うのは初めてのことで
蔵の中で器械を見せてもらった後で
工場の裏に作ったと言う自慢の庭を見せてくれた。
自分で好きな木や植物を植えた庭で、時間がある時は
そこで過ごすのが唯一の磯崎さんの憩いだった、という。
磯崎さんの言う通り、居心地に良い風のよく通る場所で
二人でその庭を眺めながら、ゆっくりした。
心臓が悪いのでこれからはゆっくり養生するんだ、と
磯崎さんは言った。
磯崎さんは自宅で一人で亡くなっていたらしい。
亡くなってから何日か経っていたらしく
電話でそれを聞いてから寂しくなった。
ぼくも磯崎さんに似ているところがあり
彼が亡くなったことを聞いて
身につまされるものがあった。
あの蔵も壊してしまった話は人づてに聞いたけれど
庭はどうしただろう? と思った。
時が過ぎて行けば、すべては変わって行くものだけれど
組合の中でも、磯崎さんのことを話す人も少なくなった。
心臓の発作で倒れてそのまま亡くなったのか
詳しいこともわからないままとなってしまった。
いつか機会を作って、また八丈島に出かけたら
磯崎さんのあの庭のあった場所とお墓を訪ねてみたいと思っている。
寂しいことだけれど、仕方がない。
磯崎さん、安らかに眠ってください。
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