日本で唯一の屋根に椿の木を植えた店舗から作家、社長、杜氏である谷口英久が綴る抱腹絶倒の「Blog」
きみは「うな牛」を知っているか?
23/Jul.2018 [Mon] 18:37
浜松町から竹芝桟橋に向かって歩いていると
丼屋の看板が目に入った。
「うな牛」という字が見えて(なんだろう?)と思った。
写真も一緒に付いていて、
鰻の蒲焼の脇に牛肉が載っている。
(うーん・・・)
鰻だけで良いと思うけど、そこに牛肉。
重すぎる。
鰻ならなんとか消化できるけど
そこに牛肉も、というのはちょっと。
胃が過激に反応して、もだえ始めてきた。
横にいた妻に
「うな牛だって」
と言うと、やっぱり同じような表情をしている。
若い頃なら飛びついただろうか? うな牛。
いや、鰻と牛の食感がまず違うから、同じような
感触では食べられないのではないか?
鰻の歯ざわりは格別で、まず前歯で噛んでやわらかさを
味わったあとで、今度は奥歯でそれをもう一度愉しむ。
米粒と鰻の歯ざわりが絶妙なハーモニーを生み出すのだ。
そこに牛肉が入ってきても、もう楽しめる余地がない。
喰えばいいってもんじゃない、と思うけど、
こういうことを言うと近頃は炎上するんだそうですね。
まあ、どっちにしても食べないのだし、鰻だって
近頃は滅多に食べない。
脳の中であの食感とタレの味わいを再現して
(美味しいだろうなあ)とは思うけれど
実際に食べると胃が苦しいので、まず手が出ない。
たいていのことはすぐに忘れてしまうのに
一日経ってもまだ忘れないのは、よっぽど衝撃だったんだろう。
暑いので、日に日に体重が落ちてゆく。
身体に付いたよけいな肉が削げて、動きやすくなった。
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むせび泣く人。
16/Jul.2018 [Mon] 18:21
夕方、日が暮れ掛けている時間に家に帰ってくると
向こうから人が歩いてくるのが見えた。
島では歩く人は少なくて、たいていは近所に出かけるにも車を使う。
だから、島の人ではないのかな? と思った。
狭い道で顔を合わせて何にも言わないのも気持ちが悪いので
「こんばんは」
と声を掛けた。
すると
「あンたは誰?」
と訊かれた。
(うーん誰って言われても、単に挨拶をしただけなんだけど・・)
とも言えず、ちょっと困っていると
「トラさんのお孫さん?」
と訊かれた。
トラさんというのはぼくの父親なので
「いえ、息子です」
と答えた。
「え? お孫さんでしょう?」
とその初老の男性は言った。
短い髪の毛は白髪混じりで、立ち振る舞いからすると
島で暮らしている人ではないように見えた。
父親のことは知っていても、ぼくのことは知らないのだろう。
まあ、孫でも良いか、と思っていると
「お盆でお棚があればお参りしたいけど」
と言われた。
それで家に上がってもらって、お線香を上げてもらうことにした。
しかし、帰ってきたばかりで、家の中は暑くてたまらないだろう。
そう言うと、それでも構わないと言う。
父親の写真を見ると、その人は
「いやあ・・・良い写真だなあ・・・」
と声を詰まらせるようにして言った。
写真は店番をしている晩年の父の姿だった。
店のレジに立って、こちらを見てホンヤリ笑っている。
いつもこうしてレジに立って、店番をしていたので
遺影にもこの写真を使ったのだった。
ロウソクは置いていないので、ぼくがライターで
お線香に火をつけて、その人に手渡した。
すると、男性はなんだか声を詰まらせて
「トラさん、世話になったなあ・・」
と言って大声でこらえきれない、といったように泣いた。
「くっ・・・くうぅっ・・」
という声にならない声が部屋に響いた。
どう声を掛けたら良いのか、わからず、その人の隣に座って、
父の写真を一緒に見ていた。
「本当に良い人だったですよ。
去年も店で(帰ってくれば良いでえ)って言ってもらって
それで帰って来たのに・・」
とその男性は言った。
(良かったねえ)
と父の写真を見ながら、ぼくは大きな声で言った。
そうして頭を下げて、その人を見送った。
もうじきお盆も明けて、何もかも焼いてしまう日が来る。
生きているって何かなあ? と尋ねる人もいない。
同じく死ぬってどういうことかなあ? と尋ねる人もいない。
経験した父に訊いてみたいけれど、父はただ遺影の中で
笑っているだけである。
前歯が抜けてそれがチャーミングに見える。
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不思議な装置
08/Jul.2018 [Sun] 19:38
大島では「お棚」という独特の風習があって
これは亡くなった人を弔うための新盆の儀式である。
白い提灯に戒名を書いたお札を貼り、その提灯に
手と足を模した切り紙をぶら下げる。
これを天井から吊るして、飾る。
その脇に、お葬式で使った白木の位牌と香箱を置く。
あとは一本の串に四つ、団子を指して、これを四本並べる。
キュウリと茄子に爪楊枝で足を付けたものも飾る。
それを新盆の十六日前から家に祀って、近所の人が線香をあげにくる。
新盆が開けて、七月十六日になると、浜で、その飾ったものをすべて火で焼いてしまう。
「お炊きあげ」という行事で、そうやって、ようやく故人は
家族と別れてあの世に行くのだそうだ。
そのお炊きあげのときには、人型を模した提灯も焼いてしまうので
まあ本当にこれで死んでしまった人と袂(たもと)を分かつ、ということなのだろう。
しかし、この季節なので、串に指した十六個の団子は
すぐにカビが生えてくるし、仕事をしながら、団子を作るのは
なかなか大変なことだなあ、と考えてしまう。
先週はこの棚を飾るのに奔走した。
まず、提灯を吊るのに、一苦労をした。
売っているものを買えばそれで済むけれど
それではあまり供養にならないような気がして、
どうにか自分で作れないものか、と思った。
しかし、手と足を模した切り紙も複雑で、写真を見せてもらっても、
これを自分で作るのは無理だろうな、と考え直した。
昔は、この切り紙が得意な年寄りがいて
それぞれの家を廻って、ひとつずつ作ったのだそうだ。
今となっては作り方を教えてくれる人もいないので、
仕方なく、売っているものを買った。
お寺に戒名を書いたお札を貰いに行き、それから白い布を買いに
洋品店に出かけた。
洋品店なんて、もう東京にはないだろうなあ。
こういう単なる白い布は、東京ではどこで買えるものか、
ちょっと見当がつかない。
お棚を飾ると、お線香を上げに来る人がお香典やお供えを持ってきて
くれるので、それもお断りしなければ、と姉と話した。
しかし、家にずっと、二週間も、いるわけにもいかないので
やはり家には鍵を掛けて出かけるしかないだろう。
お線香を上げに来てくれる人がいれば、言ってもらって
鍵を開けてもらうように、姉に頼んだ。
あとはロウソクの火が、提灯の切り紙に燃え移って
火事になった前例があるので、その火には特に気をつけなければ、
ということで、ロウソクは置くのはやめて、
お線香に直接火をつけてもらうようにした。
昔はどの家にも年寄りがいて、こういう役を引き受けていたけれど
もう、そんなことも言っていられない。
妻もぼくも一緒に仕事に出かけるわけで、
そうなると線香番をする人間もいないのである。

とにかく十六日間に渡る、お棚の儀式が始まった。
お棚を飾ると、故人が帰ってきた気配がして
久しぶりに父親と接した気分になった。
話すというより、お互いの気配を察した、というほうが近い感じである。
生きているときも、男同士、積極的に話をするわけでもなかったので
それは今も変わらないのだろう。
そこにいるんだね、というような気持ちになった。
不思議な装置である。
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