日本で唯一の屋根に椿の木を植えた店舗から作家、社長、杜氏である谷口英久が綴る抱腹絶倒の「Blog」
こんなに急にダメになるものなのか?
29/Sep.2020 [Tue] 13:38
冷蔵庫が急に冷えなくなってしまった。
裏側の羽の音が煩くなったので
引っ張り出して、油を差したのだけれど
音は静かになったものの
静かに急激に温暖化が進行している。
まず冷凍庫の中が冷えなくなって
氷が溶け、さらにパンや魚類、たまに食べる
肉も溶け始めた。
これはまずい、と思っているうちに
冷蔵庫の中も温暖化が進んで野菜が傷みはじめた。
義理の母が使っていたものをもらい受けて
使っていたので、二十年以上使ったのだと思う。
いやー、しかしこんなに急にダメになってしまう
ものなのかどうか、わからないけれど
とにかく使えないので困った。
そこで倉庫に入れてあった古い巨大な冷蔵庫に
電源を入れてみるととりあえず冷えることが判明。
しかしこんなに大きなものをどうやって運び込むのか?
途方にくれる。
そこで運送屋さんに頼んで
動かなくなった冷蔵庫を外に出し
この巨大な冷蔵庫を家の中に入れてもらうことにした。
玄関からでは入らず、縁側のガラス戸からなんとか入れた。
ふぃー、これで一安心かと思っていたら
今度はこの冷蔵庫も冷えなくなってきた。
外側は熱を発して、中は冷えず、とりあえず冷凍庫だけが
少し冷えるだけというような状態である。
こりゃダメだ、ということで急遽冷蔵庫を買おうと
思うけれど、島嶼に送る事はできない
と、どこのショップでも言われてしまう。
どうしたら良いんだ? と思うも氷はない、
水も冷えない、野菜も貯蔵できない、肉は腐る、
といった状態である。
冷蔵庫というものはこんなに急に壊れるものなのかどうか?
人生にはわからないことが沢山ある。
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なんと恵まれていることか。
23/Sep.2020 [Wed] 13:31
今年の夏は暑くて湿度も高かったので
かつてジャングルで30年も暮らした小野田さんはどういう暮らしをしていたのか、
急に知りたくなった。
小野田さんが居たのはフィリピンの小さな島だったけれど
きっと湿度も高かったことだろう。
それに雨も大量に降って、それをどうやって凌いでいたのか
考えてみると大変なことだと思った。
うちも仕事場には冷房装置がなくて
従姉妹に言わせると
「そんなこと考えられない、熱中病で死んじゃう」
と言われてしまった。
確かに暑いし、午前中はまだ仕事になるけれど
午後はひどくなるともう仕事にならない。
それでもまだ帰る前に裏山に走りに出かけて
もう一汗かく。こうするとめまいが少し治まるからだ。
というわけで体重が全然元に戻らない。
それどころかさらに痩せてしまった。
でもね、夕方、家に帰って玄関を開けると
もう天国なんですね。
「おおー、涼しい」
と妻と手を取り合うほど素晴らしい気持ちになる。
風呂に入って汗を流すと、もうとんでもなく気持ちが良い。
一日中冷房装置の中にいたら、すぐに体調を崩すだろう。
朝、仕事に行く時に外に出ると
本当に暑くてこれからどうなるんだろう?
と思うほど汗をかくけれど、
そのうち慣れる。
台風で停電にでもなれば、もうクーラーも使えないわけで
その時はこの暑さに耐えるしかなくなる。
そこで小野田さんのことを思い出したというわけだった。
調べてみると小野田さんはフィリピンのその島の
諜報活動の指令を受けて活動していたので
棲み家というものを持たなかったという。
三日から五日で居場所を転々として、
キャンプを張るわけでもなく、
寝るときも傾斜している土の上に横になるくらいだったらしい。
雨が降ると、土砂降りになり、下からの跳ね返りが
酷かったと書いてある。
そういう中で横になると体温を奪われるので
しゃがんで過ごしたという。
そんな生活を三十年も続けていたのである。
さらに食べ物は果物や、牛を殺して食べていたということで
それだって充分ではなかっただろう。
そんなことを知って、自分の暮らしがどんなに良いか
思い知った。家に帰ればクーラーが効いて
風呂にも入って、雨も凌げる。
昨年は台風で雨漏りが長く続いたので
雨が凌げるというだけでも本当にありがたい気持ちになる。
乾燥した布団の上でぐっすり眠ることもできる。
洗濯も器械で出来るし、お湯もすぐに沸かせる。
火もスイッチをひねるだけだ。
現代の生活と小野田さんの暮らしを比べる方がおかしいという人もいるだろうけれど
ぼくは小野田さんの生活を知って身の引き締まる思いがする。
(思想的なことではなく、あくまでその暮らしぶりのことだ)
快適な暮らしも素晴らしいけれど
島で暮らして行く以上はいつ災害に巻き込まれるか
わからないのである。その時に勘が働かなければ
すぐに息たえてしまうことだろう。
なんだか真面目な話になってしまった。
これを読んでいる人には絵空事の御伽話に聞こえるかもしれない。
バカなことを真剣に考えているよ、と笑われても、
今の世の中は何が起きるかわからない、と思っている。
ま、そんなことを言っても小野田さんには到底及ばないし、
家にはクーラーがあるのでなんとか生きていけるのだった。
クーラーは素晴らしいなあ、って
そんな話をしたかったのかどうか?

(暑い時に書いたものですが、急に涼しくなって
ようやく一息ついているところです)
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オレゴン州の山火事
18/Sep.2020 [Fri] 14:41
カリフォルニアの山火事がひどい事は
ニュースで聞いて知っていたけれど
それがオレゴン州にまで飛び火している事は知らなかった。
オレゴン州といえば、ビールの修行に出かけたポートランドが
ある街で、師匠のジョナサンもこの街のダウンタウンに住んでいる。
家には何度も呼んでくれて、近所の友達も紹介されて
一緒にバカ話をしながらご飯を食べに出かけた。
ご飯といっても、レストランに行くわけではなく
タイでその味を習得した店主の作るスパイスの効いた鳥の手羽先を食べさせる店で(これが旨い)
ウイスキーを飲みながら、それをワイワイ食べるのである。
ポートランドのダウンタウンはもう人間の一通りの愉しみは
やり尽くした、という趣が強く、一風かわった印象の店が
流行っていた。
例えば、アイスクリーム屋さんにしても、
ジェラートの美味しい店という味ではなくて
日本で言うとクサヤ味のジェラートのような店に
行列が出来ている。
ジョナサンの友人のリサに連れられてその店に行き
試食してみなさいよ、と言われて食べてみると
とんでもない味がして
「グエー、なんだこりゃ?」
と思わず言ってしまったことがあった。
するとリサもそこの店員の兄ちゃんも大喜びで笑っている。
「もっと欲しい?」
と訊かれて
「いらないよ」
と言うとまた大喜び。
そんなふうに毎日を楽しんでいるらしい。
そういう街の気風が好きだった。
そのダウンタウンとジョナサンの家にも火は迫ってきていて
あと六キロというところまで近づいてきているという。
水をかけて消すというようなことも無理らしく
退去命令がいつ出るか、ということになっているということである。
まったく何があるかわからない。
大島にいれば、台風で家を壊されることに怯えるけれど
ポートランドでも安全ということにはならず
火事の心配をしなければならないのである。
しかし事態は深刻で、どうなることやら
遠い日本から心配をしている。
どうか火が鎮火しますように、と心から願っている。
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風の吹く庭。
16/Sep.2020 [Wed] 13:55
八月に入ってすぐ、新島のM原さんから
電話があった。
朝早くの電話だったので、何があったのか? 心配しながら
電話に出た。
八丈島の磯崎さんが亡くなられた、という事で
それを伝えてくれたのだった。
磯崎さんは東京七島酒造組合の同じ組合員だった。
六年前だったか、突然、酒造を辞める旨を
東京七島新聞に掲載して、それを見せられる形で
組合からの退会も知らされた。
驚いたけれど、磯崎さんらしいやり方で、
異物を飲み込むようにして時間をかけて納得をした。
磯崎さんは後継者もいないし、その仕事を継ぐ時に
父親から「蔵はお前の好きにしていい」ということを言われた
ことから、廃業を決めた、という。
それからしばらくして、八丈島の磯崎さんに会いに出かけた。
必要な器械があれば譲るから遊びがてら見にこい、ということで
日帰りで羽田から飛行機に乗って出かけた。
醸造の規模が大きくてうちで使えるような器械はなく
最初から貰うつもりもなかったけれど
磯崎さんの顔を見たくなって出かけた。
ぶっきら棒で口が悪く影で磯崎さんのことを悪くいう人も
多かったけれど、ぼくは磯崎さんのことが好きだった。
造りに対しては真摯で、変わり者同士気が合ったのかもしれない。
磯崎さんの造る焼酎も骨太な中に繊細な味があって好きだった。
初めて組合の旅行に参加した時に磯崎さんにお酒を注ごうとすると
「要らねえ」
と言われたので
「俺の酒が飲めねえのか?」
と笑いながら言うと、周りの人が青ざめた様子で
「よせ、タニグチくん」
と言われたことがあった。
組合の旅行ではたいてい磯崎さんと誰かが喧嘩になるらしく
そう言うきっかけを作るな、と言われたらしかった。
でもぼくには喧嘩をするつもりもないし
言葉に剣がなかったからか
磯崎さんも笑って、グラスを差し出した。
そんなことで仲良くなった。
それでも言いたいことは誰かれ構わずズケズケ言うので、
やっぱりこれではよく思わない人も多いだろうな、と
磯崎さんのことを見て思った。
八丈島の磯崎さんの蔵に伺うのは初めてのことで
蔵の中で器械を見せてもらった後で
工場の裏に作ったと言う自慢の庭を見せてくれた。
自分で好きな木や植物を植えた庭で、時間がある時は
そこで過ごすのが唯一の磯崎さんの憩いだった、という。
磯崎さんの言う通り、居心地に良い風のよく通る場所で
二人でその庭を眺めながら、ゆっくりした。
心臓が悪いのでこれからはゆっくり養生するんだ、と
磯崎さんは言った。
磯崎さんは自宅で一人で亡くなっていたらしい。
亡くなってから何日か経っていたらしく
電話でそれを聞いてから寂しくなった。
ぼくも磯崎さんに似ているところがあり
彼が亡くなったことを聞いて
身につまされるものがあった。
あの蔵も壊してしまった話は人づてに聞いたけれど
庭はどうしただろう? と思った。
時が過ぎて行けば、すべては変わって行くものだけれど
組合の中でも、磯崎さんのことを話す人も少なくなった。
心臓の発作で倒れてそのまま亡くなったのか
詳しいこともわからないままとなってしまった。
いつか機会を作って、また八丈島に出かけたら
磯崎さんのあの庭のあった場所とお墓を訪ねてみたいと思っている。
寂しいことだけれど、仕方がない。
磯崎さん、安らかに眠ってください。
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こんなもの誰も欲しがらないだろうな。
12/Sep.2020 [Sat] 13:21
ラジカセの巻き戻し機能が
壊れたことは以前書いたのだけれど
テープを巻き戻す良い方法がないか、考えていたんですね。
そうだ、それなら、電池とモーターで動く巻き戻し器を作ったらどうなのか? と自分の中で盛り上がった。
プラモデルに使うモーターを動力にして、軸を延ばしてカセットテープに繋げば良いのである。
うーん、これは良いかもしれない。
しかし動力がどのくらいの速さで回るかが鍵になるだろう。
あんまり速いとテープが千切れることもあるし、逆にゆっくりだと話にならない。
そんなわけでネットでモーターを見てみると、四段階にギアの調節のできるモーターが売っていた。
それが届いたので早速組み立てに入るか? というと、そうでもない。箱を開けてみたら、ギアの組み立てが難しすぎてわからないので困ってしまった。
こりゃダメだ、という訳で一週間、放置してあった。
仕事場では暑くてやる気がしないので、家に持って帰って、
酔った勢いでやってしまおう、という作戦にした。
酔うと頭のハードルが下がるので、難しく見えるものも、一つずつ順番にやっていけば案外出来てしまったりするのである。
取り扱い説明書を見るとギア比によって、回転する速さが決まると書いてある。
しかし、そのギア比というのがわからない。こういうものは小学生向けに書いてあるのかと思ったけど、そんなことはなくて、難しいのである。とりあえず、一番速い回転数だと思われるものを選んで、それに必要なパーツを組み立てていくことにする。
しかしこの取り扱い説明書はモノクロの印刷で、今度はこのパーツで良いのかどうか、迷ってしまう。やれやれ、こういうことは不得手なんだ、ということが今になってわかる。やめれば良かったか? と弱気になるけど、しかし、もう後には戻れない。ま、失敗したって良いんである。
気楽に行こうぜ、と自分に暗示をかけてなんとかモーターを組み立てた。
さて次は木工の仕事。カセットテープがしっくり収まるように、まずモーターの軸に合わせて板に穴を開ける。それからモーターの軸の先にコルクを取り付ける。これがカセットテープの、穴の片方に入ってテープを回す役目をする、という壮大な計画。
木工の仕事は正確に距離を測って切ってゆくということが
まず苦手である。
たいてい寸法を間違えたり、面倒くさくなって
適当に切ってしまうことがよくある。
それでもなんとか、綺麗に材木を切った。
次に穴を開ける作業。
これも穴の位置を間違うとモーターの軸がずれてしまうので
緊張する。大体、どうやってこの穴の位置を決めるのか
大汗をかいて作業をした。
モーターの軸の先に付けるコルクは切り出してみると
完全な丸にはなっておらず、付けて回してみると
よれてしまう。
そこで鉛筆を少し切って、芯の部分に穴を開けた。
これでうまくいくかもしれない。
手が芯だらけになったけれど、早く次の作業に入りたい。
どうか? 
うまくいった。
試しに電池を入れて、モーターを回して、カセットを
巻き戻してみる。
おおー、素晴らしい。ゆっくりだけど確実に巻き戻している。
満足した。
妻に見せると、すごいすごいと言って褒めてくれる。
こんなことをしているうちに八月が終わってしまった。
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峠の我が家に辿り着く。
12/Sep.2020 [Sat] 13:17
「ずいぶん良くなったねえ」
と妻に言われた。
妻はしみじみとした柔らかい表情になった。
大切に育てている植物が元気になった時に見せる
嬉しそうな誇らしいような表情に似ていた。
めまいと吐き気が一番酷かった頃は
生気が無くなって、
本当に死んでしまうかと思ったほどだという。
鍼を打ってくれる阪本さんも
「あの頃は目に力が無くなっていた」
と言われた。
確かに危なかったなあ、と自分でも思う。
あんなに具合が悪くなったのは
今までの人生の中でも無かったことのように思った。
お腹が痛くなって手術をしたこともあるけれど
それでも医者に行けば理由がわかるので
不安になることはなかった。
けれども今回はどこに行ってもその原因がわからず
それが一番辛かった。
食べられないことでどんどん痩せてゆくのも
本当に困った。
足に力が入らないし、体が枯れ木のように細くなってゆくのである。
体重は今でも痩せた時のままだけれど
近頃は筋肉がついてきたように思う。
これではいけないと思って毎日歩きに出かけたことが
良かったのかもしれない。
もう峠は越したのだろう。
いやはや、人生何が起きるか、わからない。
具合が悪くなっても原因がわからないことだってあるのである。
そんな時にどうすればいいか?
と思っても、泥沼にはまったように身動きが取れない
状態になっていることもある。
それに気がついただけでも儲けものだった。
吐き気とめまいもまだ続いているけれど
なんとか凌げるようになってきた。
健康は本当に大事だなあ、と歳を取って
ようやく実感しているというわけである。
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洞察力を養う。
10/Sep.2020 [Thu] 15:01
歯医者さんに出掛けた。
左上の歯が疼いて、浮いたような感覚を覚えるからだった。
「家の方はどうです? 修理できましたか?」
と先生は言った。
「いえ。大工さんは手が足りないし
とりあえずの応急措置だけでまた台風が迫っています」
そう言うと先生は
「そうですね。まだブルーシートを張ったままの家がたくさん
あるもんね」
と言った。
「タニグチさんは大きなストレスを抱えて、
歯を食いしばっているから
それで歯が痛んでいるんだ。
その結果が今、この浮いた歯に出てきているんだ」
と先生は助手を務める女医さんに言った。
確かにその通りである。
台風の修理に屋根に登っているうちに
肩が凝り、胃が傷んだのだろう。
自分が思っているよりずっと、大きなストレスを
背負っているのかもしれない。
何気ない会話から先生は原因を引き出しているわけで
(すごいなあ)
と感心してしまった。
先生はもう白髪で、けれども治療の時の集中力はすごいものがある。
こういうお医者さんはもう少なくなってしまった。
会話の中から、その人が病んでいる原因と背景を
引き出してくるのである。
診察室でお医者さんの前に座っても
患者の顔も見ない人もいるけれど
この先生は何気ない会話から
歯の痛む原因を探り当てているのである。
良い先生と巡り合えて良かったと
心の底から思っている。
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おーい、元気か?
06/Sep.2020 [Sun] 14:49
毎日、裏山に歩きに出かける。
その時に、藪の中から「にゃあ」という声が聞こえて
きて、何だろう?と思った。
猫じゃないの? と妻が言うけれど
姿が見えない。
こんなところで猫が? と思うけれど
確かに猫の声である。
翌日になるとその声はもっと近づいてきた。
「おーい」
と声をかけると、にゃあという声は激しくなって
沢の下の方からどんどん近づいてくる。
小さな猫だった。
生まれて間もない猫が段ボールの箱に入れられて
捨てられたらしかった。
猫は沢を登って、排水溝の中にいる。
そこは金網が張られているので、こちらからは手が届かない。
「こっちにおいで」
と声を掛けるとちゃんと来た。
金網が途切れる場所までトコトコと歩いて来た。
生まれて間もない本当に小さな猫だった。
何か食べるものを持ってこないとこのままでは死んでしまうだろう。
それで工場に戻って、牛乳に鰹節の粉を混ぜたものを
持っていってみた。
入れ物はどうしようか? と妻と話して
お灸が入っていたプラスチックの容器を使うことにした。
持っていってみると、子猫は最初は警戒していたものの
すぐにこれを飲んだ。
良かった。これでとりあえず死ぬことはないだろう。
翌日は東京の病院に検査に行くことになっていたので
どうしようか、迷ったものの、船に乗る前に
やはり牛乳を持って出かけてみた。
昨日の牛乳が残っていたのでそれを捨てて
新しいものに替えた。
病院の検査は二日掛かって、三日目になって帰ってきた。
帰ってきてすぐ猫のいる裏山に行ってみたけれど
猫の姿は見えなかった。
あたりをずいぶん探してみたけれど、どこにも見つからなかった。
山の中なので、人もあまり歩かない場所である。
どこかで元気に暮らしているといいね、と妻と話した。
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受け入れること。
01/Sep.2020 [Tue] 15:45
髪の毛を刈っている最中に
バリカンのアダプターが
折れてしまった。アダプターはプラスチックでできているので
古くなって折れてしまったらしかった。
8ミリに設定してあったアダプターは
それが折れたことでいきなり1ミリに変わってしまった。
つまりその部分だけ剥げたように髪の毛が
短くなってしまったのだった。
頭の左の側面で、目立つといえば目立つところだ。
風呂から上がって妻に見てもらうと
(あーあ)
という顔をしている。
仕事だけをして誰にも会わないというのなら
それでも良いけれど
今週は東京の歯医者にも行かなければいけないし
人にも会わなければいけない。
帽子をかぶっていればわからないけれど
歯医者に行って帽子をかぶっているのも変だ。
「ま、そのうち伸びるよ」
と妻は言った。
髪の毛は頭頂部は少し長く
下に下がるに従って短く刈っている。
それなりに工夫がしてある。
初めてこういう風に刈った時はうまく出来なくて
トラ刈りのようにマダラになったりした。
ま、自分には見えないので良いか、とも思うけど
これはちょっとひどいなあ、と思った。
しかし、こういう場合はいじればいじるほど
ひどくなってゆくのである。
覚悟を決めて忘れて暮らすのが一番だと
いうことも経験から分かった。
床屋さんに行ってもこれは修正不可能だろう。
放っておくのが一番良いこと、
今日はそう思って、鏡も見ないことにした。
出来事というのは予測不能で
突然起きるものだ。
それが抗えないものなら、受け入れるしかない。
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