大井町魚屋篇

一円持って店に行き、何が買えるか尋ねてみれば、笑われるより無視される。
物価の高い東京で、一円玉で買えるもの。それは何かと考えて、やってきました魚屋さん。
もし一円分買えたなら、領収書も欲しいんだけど・・・・・・。ヤラセなしの土壇場勝負、いざ!!


   まだ築地の市場の中をウロウロしていた。
   包丁を一円分、研いでもらうことができないのなら、魚屋で一円分、なにか買って帰ろうと同行している編集者のM・山口は言い出した。M・山口は案外臆病だということが実は判ってしまった。というのも、包丁研ぎがだめだと、ぼくがあきらめかけていると、
「もう一軒行きましょう!!」
と強気でぼくにけしかける。
「なら、山口さんがやってみてくださいよ」
とぼくが言うと
「いいですよォ!」
と口を尖らせながら、包丁屋の親父には何ひとつ言えなかったのだ。頬が強ばり、蒼ざめて、うつむいているばかりで、心なしか指先も震えているM・山口を見て、
「恐いのはぼくだけじゃないんだ」
ということがよく判った。なんだかホッとした。
   さて気を取り直して、市場のまん中にある魚屋さんに入ってみる。一軒目は
「キャンペーンだろ?協力するよ、何がいい?」
と勘違いされたまま、いくら説明しても判ってもらえず仕方なく店を出た。
   二軒目。こんどは、さっきから店の前を通るだびに声をかけてくれる魚屋さんの親父さん。老眼鏡をかけて、店のナンバーのついた帽子をかぶっている。実はこの間、この市場に仕事とは関係なく寿司を食べにきたときに立ち話をして仲良くなり、ヒラメを2匹買ったことがある「丸善水産」という店だった。知り合いの店では買物はしないというルールを破ることにはなるけれど一円で買えるもの欲しさに、つい声をかけてしまった。
「おう、寿司食ったのかい?」
親父さんはニコニコしながら声をかけてくれる。
「いや、今日はまだ・・・・・・あのねェ親父さん、この店で一円で買えるものないかなァ?」
「一円?落ちてるよ、そこらあたりによ」
   親父さんは老眼鏡の混じった眼鏡を一度ずり下げ、ぼくの方には顔を向けず、魚を見ながら続けて言った。
「一円なんてそんなのねェよ。そりゃ損すりゃあるよ、でも仕様がねェよ、そんなことしたって。変わりも者もんならやるかもしれねェけどよ」
   そう言ってそっぽを向くと、スーッとぼくの前を通りすぎて店先に立ち、通りかかる人に声をかけ始めた。
   作戦を変更して、それなら別の魚屋さんに日を改めて出かけようということになった。大井町にM・山口の友人の御両親がやっている「魚春」といういい魚屋さんがあるという。またも「知り合いの店」ということになるけれど、「ちょっとした知り合い」はこういう場合どんな対応をするのか、それならそれで見極めた方がいいんじゃないか? ということになったのだった。
   JR大井町駅で電車を降り、住所を確かめながら店にたどりつく途中、束になった宝くじを拾ってしまった。慌ててカバンに詰め込み、魚春さんの店先に立った。ガラス張りの自動扉ドアのついた奇麗な店で、思っていた佇いとはずい分違い、店の前で立ちどまってしまった。店の中から親父さんとおかみさんがこっちをじっと見ている。二人で何やら我々を見て話している。
「出直しましょうか?」
とM・山口は言うけれど出直したって同じことは今までの経験上判っているので、思いきって店に入ってみることにした。自動扉の前に立ってみる。けれども扉は開かない。
「はいはい。待ってね」
魚屋のお母さんはそう言って自動扉を重そうに手で押して開けてくれた。まだ開店時間では、ないらしい。温厚そうな、会社の部長さんのような顔をしたお父さんがニコニコして、こっちを見ている。
「あんのー、おいしい魚を買いにきたんですけど」
   なるべくふつうの客の声でそう言った。
「学生さん?」
   お父さんは我々に向かってそう言った。
「いや・・・・・・そういう訳じゃないんですけど」
「そう・・・・・・。今日はね、ヤリイカの生きたのがあンの。お母さんちょっと見せてあげて」
   お母さんがゴム長をギュッギュッといわせながら生きたヤリイカを見せてくれる。指で撫でるとその色に合わせるかのようにイカの体色も変化する。
「今日はね、グラム三〇〇円でいいや、魚好きなの?」
「そりゃもう、ぼくは伊豆の大島の出身なんで。じゃ、これを一杯ください、刺身ですよね、これは・・・・・・」
「そう、これは刺身で食わなきゃ、今造る?」
「いや自分でしますから、それでね親父さん、この店で一円で買えるものなにかないですか?」
「えっ、何?雑誌かなんか?」
「いや・・・・・・学校の・・・・・・」
   学校というのは口から出たデマカセだった。
「学校?先生かなんか?」
「いや、マァ」
「へェーかわったことやってるね、お母さん一円で何買える?」
「そうねェ、このこうなご(小女子)なら百グラム一五〇円だから・・・・・・あっシラスもいいか?五〇グラムで三〇〇円なら、百グラム六〇〇円か、一匹なら買えるの? え? 判んないよ1/600でしょう、一グラムで六円だからね」
   といってシラスを一匹、電子計りの上に載せてくれた。けれどもこの計りでは一グラム以下は計ることはできず、六円という表示しか出なかった。
「ウーン、それならねぇ・・・・・・ならねェ・・・・・・コブ。コブは百グラムで八〇円だから一グラム八〇銭・・・・・・でしょ?これなら計りやすいわね」
   値段をセットして細いコブを一本計りの上に載せるとちゃんと一円という表示がでた。
「あんたら弘済出版社の人じゃないの?」
   親父さんがニヤニヤしてそう言った。
「え?」
   M・山口は顔が赤くなった。
「いや娘がね、高校の先輩が『散歩の達人』の編集部に入って取材にくるかもしんないよっていってたけど、あんたたち・・・・・・?」
「いや知りません・・・・・・なァ?」
   ぼくはM・山口に相槌を求めた。
「あ、そう、そうだろうねェ、出版の人ってのはもっと変わってるわなァ、でも面白いことやってんねェ、一円ねェ」
   そう言ってコブの入ったビニール袋に一円のシールを貼って手渡してくれた。M・山口は慌ててそれを受け取ると急いでカバンにしまいこみ、二人大あわてで店をあとにした。
   領収書も貰ったけれど、これが成功といえるのかどうか、いまだによく判らない。


御神火のページへ ホームへ 一円大王Web版のページへ