全日空が1日乗り放題1万円の企画をやると知ってどこかに行きたくなったのが、12月1日。
その頃田崎真也さんの「焼酎を愉しむ:光文社新書002」を読んでいた。
大島の焼酎を飲みたくなったので大島に行くことにして飛行機の予約を取った。
2ヶ月後の2月1日。「今日はお泊まり?」大島空港から乗ったタクシーの女性運転手が尋ねた。「いや、最終便で帰る。」運転手はあきれていた。
3時間の大島滞在時間の間にくさやとジーンズと御神火を買った。
くさやはすごい臭いだった。ジーンズは掘り出し物だった。御神火はとてもおいしかった。

2回目の大島。前回買い損なったジーンズがほしかった。
3月1日にまた1日乗り放題で日帰りの予定だったのが、その日は空港のトラブルで3月24日に変わった。もう一度くさやも手に入れたい。
御神火は最後に酒屋で買えばいいや。そんな気持ちで羽田12時発の大島行きの飛行機を待つ間にふと御神火の蔵が見たくなった。
インターネットである程度の情報をもっていて何となく気になっていた。
「蔵を見学させていただけませんでしょうか。」
「蔵は今仕込み中なのでお見せできないのですがギャラリーがあります。試飲もできます。」
電話口の女性はそう言った。
(試飲か...。いいな。)「では急にで申し訳ないのですが13時過ぎにお伺いしてよろしいでしょうか」
「お待ちしています。何名様でしょうか。」
「望月と申します。一人です。よろしくお願いします。」
電話してよかった。楽しみが一つ増えた。
ジーンズを買ってからちらっとお邪魔しよう。

大島行きは2月1日と同じ搭乗口からバスで行って同じ飛行機に乗った。
搭乗したら客室乗務員のSさんがいた。
目がくりくりっとした美人のクルーだ。2回目だ。
離陸してわすか17分で大島に着いた。今日の大島も3時間。急がねば。
飛行機を降りて小走りでタクシーに乗った。M交通と書いてあった。
「元町北口まで。」車が動いた。女性運転手だった。
「この島に他の女性の運転手さんいらっしゃる?」
「私だけよ。」
「それじゃ2月1日に乗せてもらった運転手さんだ。」
「あぁ、覚えてる。今日は泊まんの?」
「いや、今日も日帰り。」
女性運転手はあきれていた。2回目だった。

まずジーンズショップ<エコー>に行った。昔はアンコだったに違いないおばさんが出てきた。
「あれ、また来たの?」
「うん、まだ欲しいのがあるから。」
「せんべい屋のおばさんも喜んでたよ。」
2月1日は佐賀生まれの奥さんのせんべい屋で「大分から1日乗り放題で来た。」と言ったら話がはずんだ。島の情報は早い。2回目だ。
店中のジーンズをひっくり返していたら13時15分になってしまった。急がねば。
昼飯は島すしを喰おうと思っていたが、時間が惜しいのでやめた。
郵便局からどっさり買ったジーンズを自宅に送ってM交通のFさんに電話した。
「野増の谷口酒造までお願い。」
「何しに行くの?」
「焼酎見に。」
「ふーん。」
13時25分頃着いた。
「ここで待ってようか?」
「いや何時になるかわからんし、たぶん14時16分のバスに乗るからいいわ。また電話するかもしれんけどそのときはお願い。」

タクシーを降りたところまではよかったのだが、ギャラリーはどこだ?
どこが入口なんだ?
最近はあちこちの清酒蔵や焼酎蔵がギャラリーやショールームを作って観光客に喜ばれている。
観光客は試飲していい気分になってどっさり商品を買っていく。
ショールームの名を語った売店だ。
谷口酒造のギャラリーには案内板もない。
入口とおぼしきところに行ってみた。どうも違う。
別のところに行ってみた。そこも違う。入口はどこだ??
気が小さくなった私のもとにめがねの男が現れた。
「ギャラリーはどこですか?」尋ねようと思って相手を見た。
この男どこかで見たことがある、そうだHPの写真の男だ。
「失礼ですが三代目でいらっしゃいますか。」
「はい」
「今日は大島の焼酎を見に来ました。鹿児島の芋焼酎は米麹を使うのに伊豆の芋焼酎は麦麹を使うのが珍しいと思っているんです。」男の目が光ったような気がした。
「昔、島では麹に使える米はなかったんですよ。麦はおかぼといって採れましたからこれを麹に使ったんです。今では米も手にはいるので米麹でもできるんでしょうけど、昔からやっていることなのでそのまま麦麹を使っているのです。」
「!!。」
御神火のおいしさの理由の一つがわかったような気がした。壱岐が麦焼酎のルーツである理由もわかったような気がした。
「鹿児島の芋焼酎と違って大島の焼酎は独特の味と香りがすると思っていたんです。それがとても私の口にあって御神火をおいしくいただいているんです。」
「そうですか。」男の顔がほころんだように見えた。
「まずはこちらのギャラリーへどうぞ。夏になると芝生が茂ってきれいになるんですよ。屋根には椿を植えてあります。よかったらあとで蔵も見ていってください。」

ギャラリーに入った。女性が一人、先ほどの電話の主だろう。
「お電話した望月と申 します。」
「お待ちしておりました。」
ふとギャラリーを見渡したが、何もない。少なくともその時点では何もないように感じた。よく見ると『一円大王』の書籍と谷口酒造の記事が載っている雑誌だけがカウンターの上にあった。
「どうぞ試飲を。」お猪口が目の前に並んだ。(いきなり試飲か...。御神火のおいしいのは知っているんだけどなぁ。)目の前にお酒が並んだ。
「こんなの見たことない!」思わず叫んでしまった。
三代目が現れた。「このお酒は造る量が少ないからここに来てくださったお客様だけに味わっていただいているのです。」
やっぱり来てよかった。そう思いながら勧められるままに一口、二口と味わっていった。どのお酒も未体験の味だ。こんなに重厚かつ繊細で奥が深いものは初めてだ。
「『凪海』のこちらは癖があるでしょう。こちらはそれほどでもないけれど。」
「いや、私は癖のあるこちらの『凪海』の方が好みです。やっぱりお酒は個性がないとつまらない。」アルコールが回り始めて生意気になっていく。
「『凪』というのは表面は穏やかだけれど海の中は激しく動いているんです。そんなイメージをいだいて作ったお酒なんです。」
お酒にかける三代目の情熱を見たような気がした。
「こちらは『椿城』といってこのギャラリーを建てたときに仕込んだお酒を、このギャラリーの壁と同じ漆喰を塗った瓶に詰めたんです。」女性が説明した。
「わかった!!」私は心 の中で叫んだ。ギャラリーといいながら何にもないじゃないかと思っていたことが間違いであったことが。実はここに出てきたお酒が谷口英久氏の作品なのだ。
絵画ならギャラリーに展示してあるものを鑑賞し、気に入ったものがあれば買う。それと同じことだ。谷口氏の『焼酎』という作品がある。口と鼻と喉で鑑賞する。気に入ったら買う。そういうことだと思った。
感激とアル コールのせいで不意に言葉が出てしまった。
「そういえばお昼食べてないや。」
「えっ、ご飯くらいならあるけれど、もしよろしかったら。」
「いえいえ、とんでもない。」
気配りのしっかりした方だ。三代目との会話を聞いていたら奥様に違いない。

「すみませーん。」次の客が来たようだった。「じゃ、こちらから蔵の方へどうぞ。」三代目が裏口から案内してくれた。
仕込み蔵だ。小さな仕込み用のタンクが10個。麹を作る機械、麹のむろ、2台の蒸留機、リフト、ありふれたものばかりだ。
「これが発酵中のものです。これは まだ若いけどこちらはそろそろ蒸留です。」
何ともよい香りがする。この香りが大好きだ。一通り設備を見せてもらったが、何の変哲もないものばかり。
どうしてあんなにおいしい焼酎ができるのだろう。蔵を見ながらずっと不思議だった。
「私一人で全部やっているから、タンクの大きさも蔵の大きさもこのくらいがちょうどいいんです。もっとたくさん作ったらという考えもあるけれどそれでは自分が納得できるものができないからこれだけしか作らないんです。」
減圧蒸留機や常圧蒸留機、麹のむろなどを見ているときに三代目が語った。
御神火のおいしさの理由が少しわかったような気がした。
蔵を出たところに一つのタンクがあってビニールが被されていた。
「これ蒸留したばっかのものなんですけれど味わってみませんか。」
何という幸せ。清酒蔵では蔵人だけが味わえる『ふなくち』という原酒がある。それは味わったことがある。しかし焼酎の『ふなくち』は初めてだ。濁っている。フーゼル油もぎらぎらしている。柄杓ですくってもらって口にする。
「ーーーっ。」声にならない。なんと表現してよいのかわからない。
「これを是非売りましょう。」愚かな私が言った。
「それは無理でしょう。品質がかわってしまうから。」食品製造の基本である。

「貯蔵の蔵にご案内しましょう。」
ギャラリーをはさんだ反対側の蔵に招かれた。蒸留された原酒はここで熟成を待つのだという。
「いろいろ味わってみませんか。」
「是非。」
まずは蒸留して間がないもの。新鮮ではあるがどこか荒い。高校生のようなものだ。
「これが数ヶ月経つとこういうように変化するんです。」
本当に変化していた。角が取れている。社会に出て少し右と左が区別できるくらいの若者のようだ。
「こちらが三年もの」「これが七年」「こっちが芋」。
三代目は自分が大事にしている宝物を人に見せて喜ぶ子供のように無邪気にあちこちのタンクによじ登って私のためにその宝物を見せてくれた。
こんなにいっぱいの宝物をもっている三代目がなんだかとてもうらやましかった。
宝物を見ていたらネクタイをきちっとしめた男が二人やってきた。
「先日はどうもありがとうございました。おかげさまで...。」
邪魔になってはいけないと思って蔵の角に引っ込んだ私はタンクのお酒の感動の余韻にひたりながら会話を聞くとはなく聞いていた。
「いえいえ、また何かありましたらいつでも...。」
どうも島で何かのイベントがあり、三代目が加勢したらしい。それがうまくいったことのお礼の挨拶にやってきたようだ。
その会話を聞きながらさっきの三代目の言葉を思い出していた。
「御神火は島の人たちのお酒でもあるんです。彼らにとって味はどうでもいいのかもしれないけれど自分の島のお酒しか飲まないんです。だから普通のお酒は高く売れなくて。」
自分の納得のいくお酒を造るために全精力を傾ける。造り手として納得できるお酒を造る。それをいろいろな飲み手に味わってほしい。けれども作ることができる量は限られている。
島の人たちへの責任も果たす。谷口英久という人間の魅力を垣間見たような気がした。
「大島にも蔵があるけれどあそこの谷口さんは変わった人だよ。」2月に八丈島の焼酎蔵を訪ねたときに聞いた話だ。
自分がうまいと思うような酒を造ることができればそれでよい。それを飲み手がうまいなぁと思ってもらえればなおよい。それだけらしい。御神火はおいしい。

ふと気がついたら15時をすぎていた。
「空港までお送りしますよ。ついでだから。」
アルコールが回って頭の回転が止まってしまっていた。帰りのことなどすっかり忘れていた。
「本当にすみません。今日はとてもよいものを見せていただいた上にお気遣いまでいただいて。」
厚意に甘えることにした。
「その前に御神火をいただいていきます。」
ギャラリーに戻って作品を5本求めた。
「どうやって持って行かれます?」
「じゃぁこの中に。一本一本箱に入れてください。」
カウンターの上でトラベルバッグのファスナーをあけた。
「あらまぁ、からっぽ。」奥様が驚いた。
「今日は御神火を買うためにこのバッグを持ってきたんですから。」
バッグの中に宝物と感動を詰めて空港まで送っていただいた。
「来月よかったらもう一度来ませんか。」三代目のお誘いを受けた。今度は造るところを見せてくださるという。
「それはご迷惑でなければ是非是非お願いします。」
「わかりました。では日程を調整してご連絡します。」
朦朧とした頭の中でお礼を申し上げて車から降りた。
空港では行きに乗ってきたDH−8型航空機が待機していた。搭乗したらクルーの中にあのSさんがいた。昼と同じくりくりっとした目で、満足そうな顔をした酔っぱらいの客を笑顔で迎えてくれた。
久しぶりに「生きててよかったぁ。」と思った一日だった。

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