伊豆大島にある御神火の谷口酒造さんに行くことが決まったのが、5月6日の火曜日。
いきなりのお誘いでしたが、興味津々で即答でOK! 話は、とんとんと進みました。
静岡に住む自分なのに、近くの大島にはまだ行ったことがなく、交通手段もわからないまま。時刻表を取り出し、静岡県内からは、熱海と伊東や稲取から船が出ているのがわかった。熱海から行くのが好都合なので、東海汽船にすぐさま電話で予約をした。船の手配もできたし、後は行くだけだ。よ〜し。
  一日経って、出発の当日。

  大島行きの船が出ないことはないとも思いつつ、安心したいので、テレビの天気予報を見た。いつものきれいなキャスターが笑顔で言う。
「午前中からお昼頃にかけて、雨の降るところもありますが、午後から夕方には天気は回復するでしょう。」
雨は降るかもしれないが、やむらしい。
これなら、まず大丈夫だと思って新幹線に乗った。
熱海駅から波止場まではバスで行き、東海汽船の窓口でにこにこしながら乗車券を買う予定だった。
予約してあるということは、何だか自慢げに感じるからだ。そんなの自分だけかな。
「予約してある大島までの往復切符をお願いします。」
と元気よく告げたが、
「今日は天気が悪くて、帰りの船は欠航すると思うから片道にしてください。」
と言われた。
「はい、わかりました。船がだめなら飛行機で帰りますから。」
と言い返すと、
「飛行機は朝からずっと欠航ですから、大島発はありません。」
と言うではないか。

  さて、どうしようか。もし、帰れなければ、泊まるしかない。泊まるということは、今日家に戻ってからやろうとしている仕事や、子供をお風呂に入れること、それから明日の仕事や保育園に連れて行くことができないではないか。
それより何より、お金がないや。

  出航まであと30分。悩みました。

今から帰れば、・・・大島には行けないものの、生活パターンは狂わない。
泊まるとしたら、・・・もういいさ、独身の気分でも味わってしまおう。平気平気。
妻と家の人たちへの申し訳なさを尻目に、乗客の中で一番最初に乗船しました。

  出発進行 いざ御神火の大島へ、

  海は思った以上に強い風雨。暗いため嵐のようにも感じました。
波は3メートルから4メートルでしょうか、400人クラスの船が波に流され、横揺れします。デッキにも波がかぶり危ない感じになってきました。
眠っていた乗客もいっせいに起きて、船の一番前に並びました。誰もが無口。
携帯電話のベルが不自然に鳴っているだけでした。
  到着の予定時刻よりも遅れること20分、大島の北側にある岡田港に入港。
やれやれ、来ることだけはできたと自分を慰め、帰りの船の状況を関係者に聞いてみた。
「これから午後にかけて、天気は悪くなるから、帰りはどうでしょうねえ。」
おかしいなあ、確かテレビの天気予報では、午後からはよくなると言っていたのになあ。
まあ、何はともあれ、せっかく来たのだから、御神火に急ごう。
タクシーという普段乗りなれないものに乗り込み、15分くらいで ついに御神火に到着。

「うおお!ここかあ。ここが御神火かあ。」
蔵元というのは、敷地が広くて、古い建物と決まっていると思っていた私の目の前にある御神火は想像することができない蔵構えでした。
通称ツバキ城、四角錐の形をした建物のてっぺんには1本の椿があるではありませんか。
石で造られたこの蔵は建築家の手づくりにも思える、いわばブティックのようでもありました。

  玄関を前にして、なかなか入れません。
実は谷口さんとは話したこともなく、私の想像している谷口さんはというと、御神火のホームページに出てくるめがねをかけた一見変わり者なのです。
開口一番何と言われるか、びびっていました。
おそるおそる、「こんにちはっ!」と首を出すと、中からはやさしい女性の声がしました。奥さんです。
ああ、よかった。思わず私の顔には迎えられたという、笑みがこぼれました。

  そして谷口さんが帰ってきて、初対面。

一体御神火の焼酎を造っている人とは、どんな人なのだろうか。
焼酎蔵の中を案内する谷口さんの一言一言に耳を傾け、御神火の焼酎とともに谷口さんをも観察していました。
谷口さんは製造する蔵の中で、淡々と造りに関しての説明をしてくれます。

  造りに関するお話が終わって、場所は貯蔵蔵に移りました。
何本か並んでいるホーロータンクには熟成をしている焼酎が入っています。
瓶詰めされる前の状態ですから、商品とは一味違っているのでしょう。

  谷口さんがはしごでタンクのトップから一杯、一杯と焼酎を汲んでくれます。
製造者から訪問者へグラスが移った瞬間は勝負の世界です。
一体どんな感じの焼酎なのかと訪問者は考え、この人たちはどんな人間なのかと蔵元は反応を見る。
蔵元と自分と製造物である焼酎、これら3つが交わり、どんな三角形を描くのか。
蔵を訪問する人にとっても楽しみであります。
ひとつひとつのお酒を飲むたびに感動があります。
雰囲気に飲み込まれているせいもあるのですが、蔵で飲むお酒は格別です。
35度の原酒や熟成酒。言われてからわかった凪海など、そのひとつひとつの特徴がしっかりと脳裏に刻まれます。
私にとって、ある共通の香りがありました。それはお茶の花の香りです。
蔵の中では、そんな感じで香りが漂っています。
7つくらいの焼酎を利いた頃でしょうか、にんにくの匂いがしてきました。なんなのかなあ。
何と、お昼までご馳走になってしまいました。
我々が利き酒をしている間に、谷口さんの奥さんが料理を作ってくれていたのです。
まさか、私の分まであるとは思いませんでしたので、飛び上がるほどにうれしくなってしまいました。料理も最高です。
こういうことは内緒にした方が良いと思うので、奥さんの料理についてはこれ以上は言いませんが、おもてなしの心がいっぱいの手料理でした。

 時間は1時30分を回ろうとしています。風もお昼頃よりは弱くなり、外で話ができるくらいです。
そろそろ帰りの船が出るかどうか決まる頃なので、奥さんに電話で聞いてもらいました。
しかし、この時点でも決まらず、2時には決まるということでした。あきらめると気が楽になります。

  食事が終わるとセンター棟であるツバキ城に戻って、製品の利き酒をさせていただきました。
御神火いにしえ、平兵衛翁、天上、芋、凪海原酒、最後にここでしか飲めない、いも太郎。
うーん、個性的です、格別です。
どれもこれも飲み手にへりくだらない姿勢を貫いています。
雲の上にある焼酎とでもいいましょうか。
ここは地上ではない。ふわふわと蔵ごと、いや大島ごと浮いているようでした。

  試飲とはいえ、少しばかり気分がよくなった午後2時、島内放送が流れました。
「熱海行きの船だけは出航します。出航時間は40分くりあがりますのでご注意ください。」

  お別れの時

  島内放送は自分にも聞こえました。それでも奥さんにもう一度聞きました。
「何と言ってるのですか?」
奥さんは笑顔で
「よかったですねえ。帰れますよ。」
我々一同、肩の荷が下りたようでした。
御神火を出発間際、奥さんが写真を撮ってくださり、タクシーだと間に合わないので、谷口さんが4輪駆動の自家用車で送ってくれました。

船上で想う御神火。

  帰りの海は明るくきれいでなめらかです。
天上の光を帯びた遠方の凪海に向かって船は快適に飛ばしています。
最後尾に座って船の引き波が帰り波となり自分に問いかけます。
御神火はずっと御神火であってほしい。

  御神火の焼酎はここに来た人だけに飲んでほしい。決してお金儲けの材料に使われたくない。
できれば、酒屋さんで売るとか、飲み屋さんで飲ませるとかやめてほしいなあと、奥さんに言ったことをしみじみと実感しました。

  私はあれからというもの、物の価値について考える毎日です。
一円大王という本を読み、価値観が磨かれていく自分を感じることができます。
こころが豊かになっているのか、年をとっているだけなのかは、わかりませんが、御神火で過ごした一日は私のすばらしい人生の一日になりました。

  谷口さん、奥さん、光り輝く一日を、どうもありがとうございました。


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