蔵を見せていただいたときの感動に浸りながら御神火を味わっていたらメールが届いた。2003年3月のある日のことだ。4月の水曜日か土曜日に蒸留をするので,都合のよい日に来ませんかという三代目のお誘いだった。すぐさま手帳を見た。4月は新年度で何かと忙しい。会議をさぼってでも行くぞ!と決意?して都合を返信した。12日ということになった。
4月1日。辞令が出て昇任した。そのお祝いにと妻とちょっとしたレストランで食事をした。「12日にもう一回大島に行くんだけど。」「あら,そう。」妻はあきれていた。彼女は私が言い出したら止まらないことを結婚して20年の間に学習していた。

 今度は大島を思う存分堪能しよう。12日は大島に泊まろう。朝大島に入るには少なくとも11日には上京しなければならない。仕事を慌ただしく片づけて最終便で羽田に飛んだ。東京の宿は羽田東急ホテル。20年前の新婚旅行で宿泊したホテルだ。一人で泊まるのがちょっぴり寂しい(本当にちょっとだけ)。「強者どもが夢のあと(だったっけ)」。20年ぶりの羽田東急ホテルは往時の華やかさは見る影もなく静かに佇んでいた。アコモデーションは往時のままだ。あちこち傷んでいる。20年の歳月を感じさせる。エレベーターの「チーン」という音がプライドを感じさせる。しかしそんな感傷に浸っている場合ではない。「御神火」が生まれる瞬間を目の当たりにするのである。寝坊しないように早く寝ようと思っても興奮して寝付かれない。酒の力を借りて無理矢理寝た。

 12日朝,まだ暗いうちに目が覚めた。小学生の遠足のときと同じ気持ちだ。こんな気持ちになれたのは何年ぶりだろう。朝食を摂って余裕に余裕をもって空港に行った。朝一の大島行きはジェットだ。運航会社が違うのでSさんは乗務しない。8時45分に大島に着いた。真っ先に降りてタクシー乗り場に急いだ。「M交通」と書いてある。またFさんに会えるかな?超ベテランの男性運転手だった。「野増の谷口酒造まで」。気持ちがはやる。早く早く!運転手は安全運転だった。制限速度マイナス10キロをキープして走る。「早く行ってくれ!」口まで出そうな言葉をなんとか殺しながら蔵に到着した。

 蔵ではすでに作業が始まっていた。今日ご一緒させていただく秘剣さんこと和田さんはスタンバイOKであちこちの写真を撮ったりメモを取っておられた。和田さんはとても素敵なHPを公開しておられる。焼酎に対する造詣は足元にも及ばない。ご一緒させていただいて感激を共有できることがとても嬉しい。これまでいろいろな焼酎を味わってきて,それなりに美味しい不味いを判断できるつもりでいた。別に主観で決めればよいのだろうけれど,もし造詣の深い方と同じ判断をすることができるのであれば自信につながる。名刺を交換したけれど,お互い仕事のことはあまり話さない。三代目が忙しく立ち回る。「今日はアルコールが強いからまずはこれを飲んでおいてください。」手渡してくれた飲み物を飲んだ。ウコンだ。酒を飲み過ぎたときにはこれに限ると言われている(私は個人的には否定的である)。しばらくすると蒸留器の下から無色透明の液体が流れ落ちてきた。まさしく御神火の誕生である。三代目がすかさずコップに採って口にし,確かめる。「うん」。納得した表情でコップを和田さんに。和田さんも頷いて納得した表情で私にコップを渡して下さる。初留はアルコールが強いことは想像がつく。舐めるように舌の上を転がすようにゆっくりと口に含む。想像したとおりほとんど消毒用のアルコールに近い。2,3分したところで三代目がコップにとる。うなづく。和田さんにコップがわたる。そのあとわたしのところへ。ちがう!さっきのものとは明らかに。華やかな香りが出ている。わずか数分間の間にこれだけ変わるのか!ただただ驚くばかりである。この作業の繰り返し。焼酎の味が少しずつ変化しているのがよくわかる。「あれっ,ちょっと渋い香りがしますね」生意気な私。すると三代目はバルブをいじる。「これで少し変わると思いますよ」半信半疑な私。しかし2分経過したら確かに変わった。嫌味がなくなった。そうか,これが御神火のおいしさの秘密だ!杜氏みずからが刻々と変化する蒸留液を加熱バルブや冷却バルブを微妙にコントロールして満足のいくものを作る。まさに手作り。こんなに手間暇をかけて焼酎を仕上げている蔵など聞いたことがない。この作業の繰り返し。よいものが出てくればそのまま蒸留を続ける。少しでも満足できないものが出てきたらバルブを調整する。「こういうことは言葉で教えることができないんですよ。」三代目も自分で本当に満足できるものを作るまでには相当な年月を要したという。ひょっとしたら今でも十分に満足していないかもしれない。こんなことがしばらく続いて味に深みが出てきた。いわゆる「末垂れ」というものになるらしい。これが私の口にはおいしかった。2,3分おきに味を確かめながら製品になった御神火の味を復習していた。あの香りは最初のあのあたりに出てきたもの,この味は終わりの方に出てきたもの。どれ一つが欠けても御神火にならない。オーケストラの魔術師といわれているラヴェル作曲の「ボレロ」という曲がある。曲の最初から最後まで小太鼓が単調なしかし根底をなす規則正しいリズムを刻む。その上にいろんな楽器が決まった旋律を奏でる。そして最後にテュッティとなりすべての楽器がテーマを重ねて終わる。快感を覚える一曲である。この曲の怖いところは指揮者によって震えがくるような興奮をしたり,とてもしらけてしまうことがあることである。よい指揮者とよいソリスト。それが融合して名演を醸し出す。アルコールという小太鼓をベースにいろいろな香りのソリストが登場する。それをコントロールする指揮者が三代目。そのソリストを融合させ名演奏に仕上げるのも三代目。大きな感動を呼び起こす。アルコールの度数を測定しながら蒸留は続いた。「そろそろ終わります。」そう言うと三代目は惜しげもなく排水バルブを一気に開き,片づけの作業に入る。あんなに丁寧に進めていた作業の終わりとしては実にあっけない。「繊細かつ大胆に」実験屋の合い言葉である。三代目は文筆家,すなわち文系人間であると思っていた。けれどもこの作業をみていたら本当は理科系の人間かもしれないと思った。

 午前中の作業が終わり,昼食。奥様の心づくしの手料理が所狭しと並んでいる。聞くと私たちのために山に行って採ってきて下さったという。何よりのごちそう。そしてなにより体によいものばかり。谷口家では毎日並ぶものだという。おいしさと健康,食の原点である。肥満に気をつけて日頃食べる量を抑えている私もこのときは満腹になるまで堪能させていただいた。

 午後の作業が始まる。「理科系」の三代目はてきぱきと作業を進める。味を確かめてはバルブの調整という作業は午前中と変わらない。しかし,午後の桶は何となく出来がよいように思った。三代目のバルブ操作も少ない。こんなに繊細な仕事は長く続けられない。その日の体調によっても出来不出来があろう。気持ちが乗らないときには思うようなものができないであろう。命がけの焼酎である。
 午後の蒸留も無事終了した。言葉にならないほどの満足感に浸っていると,和田さんは今日のうちに帰るとおっしゃる。てっきり今晩は大島にお泊まりになるとばっかり思っていた。今日の感動を語りあかせると勝手に期待していたのにとても残念だった。和田さんと一緒に仕込み水の井戸を見に行く。「この井戸のここより上の部分を御神火がいただいているのです」三代目が言う井戸はまず集落の人々の生活の糧として,そして邪魔にならないところで御神火に。御神火をおいしくいただいていることに対して野増のみなさんに感謝しなければならない。「貯蔵の蔵にご案内しましょう」和田さんは初めてとのことでとてもわくわくしておられる様子。私は2度目。何となく先輩面をして貯蔵蔵に入る。あぁ。この前と同じだ。御神火の変化に改めて驚く。「今日詰めたものがここにあります」一口含む。とても深い味わいである。「あとでいろいろ注文する中に今日詰めたこれを入れて下さい。」昨日より今日,今日より明日。御神火は進化している。

 和田さんとまたお目にかかれることを願って名残惜しくお別れする。これまでの2回の大島は日帰りだった。でも今回は違う。一晩泊まって大島を存分に満喫する計画だ。宿泊は好意に甘えて三代目に手配をお願いしておいた。翌日はレンタカーを借りて島を回ろうと思っていたが,会社の車でよければと貸していただいた。宿まで三代目の車の後ろに続いて走る。「くさやを食べたいんですけど出ますかねぇ」どうしてもくさやを肴に御神火を味わいたかった。その土地のお酒にその土地の食べ物が絶対にマッチするというのは私の独断しかし譲れない持論である。宿では用意できないが,買ってきたくさやを焼いてくれるという。「それじゃ,途中で買っていきましょう」車を走らせて「タイガー」というお店でくさやを手に入れる。お店のひとは虎の絵のついた法被を着ていて,「あらまぁ,阪神タイガースのファンなのかしら」と思ったら何のことはない。三代目のお父上の名前からとった名前だそうな。2枚のくさやを買って2台の車は一路民宿へ。10分ほどして到着した。昔からの知り合いらしい。三代目と民宿の人たちとの会話に無理がない。民宿では早速夕食だ。持ち込んだくさやを焼いてもらう。食卓の上にはすでにおいしそうな料理が並んでいる。「お飲物は?」「まずビール,それと焼酎」今日の仕事に感謝しつつみんなで乾杯する。ほどなく,民宿のスタッフの「しんちゃん」も加わって賑やかな宴になった。しんちゃんは車椅子を巧みに扱って料理を運んでくれたり,話に加わってくれたりと忙しい。その間にもおいしい料理と「御神火いにしえ」が進む。だんだんとみんながご機嫌になっていくのがわかる。「自分で造った焼酎を飲むっていうのもおかしな気分だなぁ。」三代目が不思議そうにしかし楽しげに言う。奥様は「ビールおかわり!!」ジョッキが次々に空になる。楽しそうなのが何よりである。私もおいしいいにしえが回ってくる。しかしどこか冷静なところがある。少し味わっては「うーん,このさわやかな香りははじめの方に出てきたところ,このどっしりとしたところは最後の方か・・・」感激のうちに終わった蒸留作業を復習しているのである。ほどなくくさやが現れた。濡れたふきんも一緒である。「???何だ,このふきんは???」三代目はくさやを手で持ってしゃぶるように食べ,その手をふきんで拭う。初めて知った。くさやは素手で食べてこそおいしい。その土地にはその土地の食べ物,その土地の食べ方が存在する。食べきれないほどの料理が並んだ頃におかあさんも加わった。しんちゃんも相変わらずご機嫌の様子である。さっきから気になっていた。車椅子という不自由な身でみんな明るい。しかし気がついた。「不自由な身」というのは勝手にこちらが思いこんでいるのである。しんちゃんはどこかに落ちて下半身が不自由になったのだという。しんちゃんがけがをしてヘリコプターで運ばれる少し前,しんちゃんの父上が脳疾患で同じくヘリコプターで運ばれたのだという。そのときのことを思ってみた。この上ない不幸が起こったと思ったのではなかろうか。しかし今はまったくそんなことを考えさせない。あるがままを受け入れたのだと思った。煩悩まみれの私が同じような立場になったらとても耐えられないだろう。しんちゃんが車いすの生活になってから家も改造したという。しんちゃんが一人で生きていけるように。暖かい親心だ。それにしてもさっきからしんちゃんのご機嫌はどうだ。みんなのお酒が回ってきた。三代目の奥様は上機嫌でいつの間にか英語で会話をしている。横にいる三代目はニコニコしている。昼の鋭い顔からは想像できない。しんちゃんが言った。「今度結婚することになったんですよ」。どうりでみんなうれしいわけだ。私もうれしくなった。お嫁さんになる人の写真も見せてもらった。テニス大会のボランティアとして支えてくれた人だという。写真の笑顔がとてもチャーミングなお嬢さんだ。いつの間にかみんな当てられてしまった。笑い声の絶えない食卓から食べるものがすっかりなくなって夜も更けた。お開きだ。それぞれが今日一日の感動を胸にしまって名残惜しく別れた。「今日は本当にありがとうございました。貴重な体験をさせていただきました」「いいえ,また遊びに来て下さい。お気をつけて」三代目の暖かいことばをいただいて部屋に戻った。しっかり酔った。心地よく。その晩,7回トイレに起きた。こんな体験は初めてだ。<おいしいお酒を飲むと小便が近くなる>同業者の研究結果である。納得した。

 朝が来た。朝食を食べるために下に降りる。盛りだくさんのおかずが所狭しと並んでいる。「お好きなだけとって召し上がって下さいね」おかあさんが言う。聞けばほとんどが地元でとれたものなのだそうだ。つわぶきの煮物,なぜかサンマの干物などなど。サンマは買ってきたらしいが干したのは自家製とのこと。これぞ日本の朝御飯。朝から満腹になった。ふと見るとおとうさんも一緒に朝御飯だ。体が少し不自由そうだが元気だ。これまでいろいろご苦労をされてきたのだろう。病気も見事に克服されたのであろう。
 前の日の昼過ぎから降っていた雨もすっかり上がってよい日になった。「明日は使わないからもしよかったらこの車を使って下さい。」ありがたい言葉に甘えた谷口酒造の社用車が今日のお供だ。久しぶりのマニュアルシフトだ。慎重に行かなくては。朝,まずくさやの製造所に寄ることにした。初めてくさやと対面したときには正直まいった。あの特有のにおいである。しかし,前回,前々回に大島に来たときにスーパーで買ったり,2ヶ月ほど前に八丈島で求めたものを食べたらいっぺんにとりこになった。だめ押しは昨晩の食卓である。おいしいものにはおいしい食べ方の作法があることもわかった。窓を開けて車を走らせる。ほどなく「はぶ」に着いた。「はぶの港」という歌謡曲があった。「アンコ椿は恋の花」という唄もあった。大島には演歌が似合う。「おっ!くさやの加工場だ」目で見るより前に鼻でわかる。しかし昨晩三代目に教えていただいた加工場ではない。もう少し車を走らせるとその店があった。玄関のベルを押した。子供が出た。「お父さんは作業場に行っています」。造っているのは別のところらしい。その場所を示す張り紙があった。すぐ近くだ。歩いていけばいいやと思って歩くと加工場に行き着くことができずになぜかメインストリートにでてしまう。???戻った。もう一度チャレンジ。再度見つからない。???もう一度。わからない。3回行ったり来たりしたらふと獣道のような細い道を発見した。ひょっとしてと思って行ってみたらそこに加工場があった。ご主人が快く迎えてくれた。今日はトビウオを作っているという,くさや汁を見せてもらった。あのにおいである。私の同業者はくさや汁の分析を行ってたくさんの論文を書き,くさやに関する著書を書いている。そんなものを見ていたから,私はいろいろなことを知っているつもりだった。しかし,見て聞いて初めてわかったことが数多くあった。フィールドワークのおもしろさを感じた。

 加工場を辞して社用車でのドライブが再び始まった。「今日は東京都知事の選挙日です。」町のいたるところでスピーカーが呼びかけている。そうだ,ここは東京都なんだ。当たり前のことなのだがなぜか新鮮だった。三原山に行こう。そう決めて車を走らせた。道は広く整備されていて快適に登っていく。ほどなく山頂の駐車場に着いた。12時だった。少し歩くと展望台があった。ここから山頂までは歩かなくてはならない。14時までには車を返して大分に帰らなくてはならない。昼飯は食べてない。迷った。昼飯はいつでも食える。時間は急げば間に合う。よし!天気も良いことだから山頂まで行こう!少し早足で歩き始めた。久しぶりのハイキングだ。頬をかすめる風は心地よく,雄大な自然の中に身を任せる幸せを感じながら山頂を目指す。溶岩が転がっている。迫力を感じたければ身近に見るに限る。20年ほど前に噴火した溶岩だという。そんなことをニュースで言っていたなぁとかすかな記憶がよみがえる。この山が噴火したとき,島の人たちはどんな思いをしたのだろう−こういう思いを馳せ巡らせる人は多い。そのころの焼酎御神火はどんな味がしていたんだろう−こういう思いを馳せ巡らせる人は少ない。ゆるゆるとしばらく歩いていくと山頂の手前で一気に傾斜がきつくなる。あと少し。汗がにじむ。到着だ。今も煙があがっている噴火口を見た。上がった息を整えるためにしばらく見つめていた。なぜかわからないが妻を連れてくればよかったなとふと思った。

 下りの道はさっき来たのを引き返せばよいから楽なものである。ほぼ予定通りの13時30分に駐車場に戻った。ペットボトルの茶を一気に飲んで社用車のエンジンをかけた。心も体も大満足だ。登山道を降りて谷口酒造に着いた。今日は三代目は建物の打ち合わせがあるとのことで昼頃は蔵にいないだろうとのことだった。だれもいなかった。昨日はあんなに興奮と活気があった工場もひっそりしている。「すてきなひとときをありがとう」心の中でそうつぶやいて蔵をあとにした。港行きのバスに乗るために野増のバス停まで歩く。ほどなくしてバスが来た。なぜか超満員。港について空港行きのバスに乗り換える。発車まで1時間ほど。もう一度町を散策してみよう。あそこのお店の団子はおいしかったな。ここで焼酎を買ったっけ。このスーパーでくさやを求めたな。前々回と同じルートを歩く。同じものをおみやげに買う。習慣ができあがった。犬の散歩かもしれない。

 充実した2日間だった。谷口さんとの出会い。今までの人生になかった出会いだ。人生に広がりができた。一皮むけたような感じさえした。重くなった旅行カバンを持って羽田行きの飛行機に乗った。クルーはSさんではなかった。けれどもご機嫌な客を笑顔で迎えてくれた。

 翌日,谷口酒造から荷物が届いた。注文しておいた御神火だ。くさやとともに味わいながら,蔵でのひとときを思い出していた。一ヶ月ほどしたらまた荷物が届いた。さてまだ何か注文していたっけ?荷物を開けてみたら手紙とともに焼酎が入っていた。「一期一会」というラベルが貼ってあった。「あのときに蒸留したお酒です」手紙にはそう書かれていた。焼酎を愛し,文筆を愛し,そして人との出会いを愛する三代目の心が溢れていた。

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