初出:日経BP社、日経アーキテクチュア

2.夜明け前の土マンジュウ

藤森教授,伊豆大島にて「木刷り下地のナマコ壁」を発見。対岸の「伊豆長八」イシヤマに宣戦布告!

前回はしょっぱなから一発かましてしまった。テーマは,フジモリ流のナマコ壁である,と。それは伊豆松崎の左官の殿堂<伊豆長八美術館>のナマコ壁の向うを張るだろう,と。
谷口酒造の工場の外壁が思いもよらずナマコ壁になっているのを見て,じゃっかん興フンして“テーマはナマコ壁”なんて口ばしったわけだが,実は,現地に行く前から,全体の姿のスケッチは始めていた。もちろんナマコ壁とは無縁のスケッチを。
 共同設計者の大嶋君を通じて谷口氏の意向をはじめて聞いたのは,2年前の5月で,聞いてすぐ試みにスケッチを一つした。現地も知らないし条件も分からないが,伊豆大島の谷口氏にはこのような建物が似合うんじゃないかと思って,手近な紙の裏に絵を描いた。

 設計の話があると,ワクワクしてくる。しかし,すぐ手をつけるわけにはいかない。日常生活の時間の大半は建築史の研究や調査や原稿書きに追われ,身の回りは本と資料と原稿用紙ばかりで,製図台もなければスケッチ用の紙もない。ワクワク感を抑えながら,やりかけの原稿に再び向い,それを仕上げて,さてお茶でも飲もうと食堂へ行って,テーブルに座ったところで,一発目を描く。もちろん,現場も何も分からんまま,手近な紙の裏に描く。
そんないいかげんなスケッチが役に立つはずもない,と思いながら,どうしてそんなつまみ食いみたいなことをするのか,不思議な気もするが,きっとたいていの建築家もしてるんじゃあるまいか。
 この点が,原稿を書く時と全然ちがう。編集者から原稿や本の依頼があっても,すぐにちょこっと何か書くなんてことはまず考えられない。締切りまでは手をつけないし,締切りを過ぎて催促の電話があってようやくはじめる。自分から書きたいと思っている原稿でも,そうだ。
 同じかくでも,描くと書くでは大ちがいなのだ。
 個人差もあるだろうが,編集者に聞くと,たいていの物書きは締切りを遅らせるというし,一方,締切り(?)に間に合わなかった設計なんて聞いたことはない。
 描くより書く方がしんどい。同じように疲れるにしても,書くのは頭の芯がグッタリくる。そんなことはなかろう,と描く専門の人は思われるかもしれないが,建築家と建築史家の現役年齢をくらべてみれば,疑う余地はない。六十歳過ぎて傑作をものした建築家は,村野藤吾にせよザラだ。槇さん,磯崎さん,原さん,みんなもう六十過ぎてる。それにひきかえわが建築史の領分では,六十過ぎてちゃんとした歴史の本や論文を書いた人なんて知らない。自分のことでツラツラ思うが五十過ぎるともうアブナイ。集中力は続かないし,基本的な見方が時代とズレてくるし……。六十過ぎの建築史家の書くものはエッセイ以外読まないほうがいい。ガッカリするだけだ。稲垣栄三先生は,建築史の大学院の最初の授業の時に,「その人の最初の本以外は読むな」と断言された。ちょっとタンカを切りすぎだが,歴史の研究にはそういう性格がある。
書くということは,とりわけ論理性をもって緻密に書くということは,脳細胞の新しい層というか,死滅しやすい敏感な層を使っているはずで,それだけ無理をしていてはどうしても長続きしない。それにひきかえ,描くことは,脳の奥の方というか下の方というか,頑丈な脳細胞のなせる営みでありまして,ちっとやそっとチ密な層がボケたって大丈夫。
 書くことはその場の気分としてはツラく,描くことはその場の気分として楽しい,という差を,私は,使う脳細胞の差にしているが,どうだろう。
 電話が鳴って設計を頼まれた時,ワクワクしてすぐスケッチをはじめる建築家がほとんどじゃあるまいか。引き受けたものの,取りかかるのが嫌で,日延しにするような人はいまい。

 私の場合,一年に一回鳴ればいいほうだから,ワクワク度は濃度が濃く,本当の原稿が終わりしだい,食卓でお茶をすすりながら,エンピツかボールペンを動かしはじめる。そうやって最初に出来たスケッチを見ると,1998年5月21日の日付が入っている。その後のは5月27日,さらに6月10日。この6月10日のはたまたまCNNがタンポポ・ハウスの取材に来て,設計してるシーンを撮りたいというので描いたヤラセのスケッチ。
 現場も設計条件も知らず,何を手がかりにボールペンを動かしてるかというとこれは図から思い出されるのだが,“大島の海が見晴らせるように”。吹き通しのテラスのようなものが張り出していて,涼風に吹かれながら二人の人物がテーブルに座っている。この部分は初めての試みだが,左手の建物本体は,これはどうみたって,イッポンマツ・ハウス。というより,こうした形が好きで,処女作の神長官守矢史料館もタンポポ・ハウスもこれをベースにしている。
 二番目の5月27日付スケッチの方が私の好み度の純度は高く,こういう土マンジュウ的な形はほとんど好きだ。
 結論的にいうと,最初に気軽にはじめたスケッチのこの土マンジュウ性は,その後,紆余曲折をしながらも最後まで生き残り,
“ナマコ壁張り土マンジュウ”
 というシロモノへと成長してゆくことになる。
 そういう結果からしても土マンジュウについてここで何か語らなければいけないだろう。文章は頭の芯が疲れるというのはこういう時なのだ。イメージと論理を一緒に表出できるようなうまい言葉を探さなければならない。ひとやすみ。

 どうして土マンジュウがそんなに好きか,まだ自分でも分からない。理由は分からないが,土マンジュウに目覚めたキッカケはきわめて明確で,10年前,処女作の神長官守矢史料館設計の時になる。地元の民家風から始めてすぐ行き詰まり,本当に自分がやりたいのは何なのか思いをいたしている時,たまたま読んだ吉阪隆正の文章の中で,蒙古草原の土マンジュウ状の家に目を開かされた。その文とその時のことはすでに『タンポポ・ハウスのできるまで』に書いたから繰り返さないが,とにかく,風の吹き渡る草原にもっこり盛り上がる土マンジュウのような家こそ自分の好きな建物の原点である,と思った。
 土マンジュウは文の上だが,私が実際見たものとしてはポルトガルの高原の石の家がある。これも紹介したことがあるから繰り返さないが,こうした姿にどうしたら行きつくことができるのか,と途方にくれるほどのものだった。
 蒙古の土マンジュウとポルトガルの石の家には共通性があって,人気の絶えた草木もまばらな広々としたところにゴロリと土や石のカタマリがあり,中に人が住んでる,という状態。
 正確にいうと,そういう光景が好き。土や石のカタマリ的建築だけではどうも物足りなく,周囲の広々とした環境がないといけない。そしてその環境は区切りや境界もなく,見渡すかぎり続いて,果ては空に消えるようなのがいい。
 ということになるとどうしても,人跡まばらなどちらかというと砂漠に近い草原,高原地帯ということになってしまう。蒙古の草原とか,ポルトガルとスペインの国境の高原とか,チベットとか,アフリカのサバンナとか……。
 いずれも日本的な気候風土とはちがうし,もちろん木造地帯ではない。どうして木造地帯に決定的に引かれないのか。これについては,まだペンディング状態で,けっして木造が嫌とか重要でないと思っているわけではない。きわめて重視はしているのだが,どう取り組んでいいか分からないので,ペンディングにしてある。
 私の出自を言うと,木造だ。江戸時代に作られた茅葺きの民家でものごころつくまで育っている。周囲の光景もすべて木造だったし,野山で遊んで木についてはよく知っている。骨身にしみているのは山であり森であり木なのだが,しかし,イメージ上では土マンジュウや石が原点として湧いてくる。

 話がコンガラガりそうなので,木の問題は触れずに,土マンジュウと石にもどって,さて,それらのどこにそんなに引かれるんだろう。土や石の素材感に引かれている,とこれまで思ってきたが,それだけではなさそうだ。木や草だって,引かれるときがあり,たとえば草ならこんもりとした茅葺き屋根は土マンジュウや石のカタマリと同じようにいい。
 好きな条件は,思うに,自然の素材で,かつ,カタマリ的,コンモリ的,ということらしい。日本の現代の作でいうと,ほとんどいい例はないが,ただ一つ好例といえるのは,四国高松のイサム・ノグチのアトリエの裏庭にある古墳的な墓域がそうだ。土を個人の墓域としてはいかがかと思われるほど大きくコンモリと盛りあげ,草が生えている。生前から自分で作っていたそうだから,それを究極の造形と思い定めていた人だろう。原型は,古墳時代の古墳。それも,前方後円墳のような高度な形式に達したものじゃなくて,ただコンモリと峰高く土を盛った古墳。東京の近間でいうと,埼玉のサキタマ古墳群にあるよーなやつ。
 どうして古墳のようなコンモリ形が彫刻として究極的だったのか,イサム・ノグチは語っていないようだから,私としては自分で言語化するしかないのだが,おそらく深く触覚の問題とからんでいるのではあるまいか。
 粘土でもソバでも,両手で練りはじめるとまずカタマリになる。扁平にもなるのだが,なぜか玉状のカタマリにしないと落ちつかない。両手の平にズッシリ。カタマリの表面は手の跡で微妙に凹凸する。陶芸やソバ打ち好きの人なら経験しているように,この時のうれしさはなかなかのものだ。もはやただの土クレや粉体ではなく,明らかに人の手が入った状態になっているが,しかし,まだ器なりソバなりの形式にはいたっていない。
 原料と形式のあいだの狭い時間。原料を自然状態,形式を人為状態,とするなら,自然と人為の境目。そこには,人の手の痕跡だけが純粋に残されている。もっと手をかけると形式という美の領分に入ってしまう。その直前の,手は働いていてもまだ形式を生む美意識が訪れない時間帯。美意識という目の働きがない状態。夜明け前の,太陽が顔出す直前の空の光景。
 カタマリの形は,そういう狭い時間を,手だけが純粋に痕を残す時間を,刻んでいる。目がなくて手だけ。視覚がなくて触覚だけ。カタマリは触覚が作った形,なのである。
 画家ではなく,手で原料を扱う彫刻家だったイサム・ノグチが,カタマリを究極の造形としたのは当然だろう。
 土でも石でも草でも木でもいい。自然の素材で作られたカタマリ的な建物に私が引かれるのは,おそらく,その
“触覚性”
 にあるにちがいない。
 そう思うと,CNNヤラセスケッチがカタマリの表面を芝草で包んでいるのはよく分かる。草の毛深い触覚を求めている。

 谷口氏からの話を電話で聞いて,最初にスケッチした5月21日,5月27日,6月10日(CNN)の三案のうち,最終的にイメージが生き残ったのは,5月27日のだった。現場を見る前だからもちろんこのまま使えるはずももないし,まだナマコ壁のことなんか予想だにしていないが,それでもこれが残ったのは,今になって考えると,それなりの理由がある。
 きっとそれは,左手のカタマリとそこから右手に伸びる屋根の関係にある。5月21日の第一案は肝心のカタマリ性が弱いしギコチないから論外として,5月27日とCNNの二つをくらべるなら,CNNはカタマリ性に問題がある。カタマリの上に屋根が乗っかり,カタマリ性が弱くなっている。それにくらべ,5月27日のはあくまで主役はカタマリで,屋根はその従者という上下関係を守っている。
 こういうスケッチを二年前に描いてから,少しして6月21日にはじめて大島を訪れ,ナマコ壁と出会うのである。

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